2021年1月30日土曜日

週報 礼拝メッセージ 20210131

 



今週の聖書のことば

福音書 マルコ1:21~28(新62)

一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 

人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

説教「悪霊の方が『信仰』がある」 徳弘浩隆師


1. エクソシストという映画を…

今日の聖書の物語は、イエス様が「汚れた霊」を追い出したというエピソードが記されています。これを読んで思い出すのは、「エクソシスト」という映画です。1973年に映画化され、話題になったのを覚えていますが、とにかく恐ろしい映像だったのが印象に強すぎて、話の筋はあまり覚えていません。子どものころ覚えたのはエクソシストというのは、「悪魔祓い」をするカトリックの神父さんのことだということくらいでした。

そんな映画ははるか昔の話で、今は「鬼滅の刃」ということになるかもしれません。これは私はほとんど知りませんでした。なんと、日本語教室で日本語を教えているブラジル人の女性が教えてくれたのです。文字にルビ・ふりがながついているので読みやすいといって、大好きだと紹介してくれました。これは、鬼になってしまった妹を、殺さないで鬼を追い出すというストーリだそうですね。

それでは、イエス様は昔活躍した有名な「ただの悪魔祓い」だったのでしょうか?それだけがすごかったのでしょうか?今日の聖書の話から、神様が私たちに伝えたいことを聞き取りながら、私たちの生き方にも思いをはせていきましょう。

2. 聖書を学びましょう

最初は、イエス様がカファルナウムに着いたところから始まります。先週読んだ聖書の場所の流れからすると、洗礼者ヨハネが捕らえられたことを聞き、人々の前に出て活動を始めたイエス様でした。すぐさま数人を弟子として従えたという出来事の次が今日の所です。まず行かれたのが、ユダヤ教でいう教会のようなもの、会堂。安息日に会堂で教え始められました。今のようなコンパクトな聖書はない時代ですから、大きな巻物がいくつかある中から一つを取り出し朗読し、説明をされたと考えられています。そしてその姿は、「律法学者のようではなく、権威あるものとしてお教えになった」ので人々は非常に驚いたとあります。

その時、会堂にいた一人の男が叫びました。彼は、けがれた霊に取りつかれていたというのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と叫びました。そこでイエス様が「黙れ。この人から出て行け」とおしかりになると、その人から出ていきました。

恐ろしい出来事でした。人々は、二回驚きました。一つはイエス様の教えがただ律法を知っている専門家のようにではなく、権威あるものとしての教えと映ったこと。もうひとつはイエス様が命じるとけがれた霊が言うことを聞いた、ということでした。そしてたちまち、イエス様の評判が広まったのでした。

3. 振り返り 

 私たちは、何をここから聞き取り、学ぶべきでしょうか?それは、そこにいた彼らが驚いた二つのことだけだとしたら、大切なことを見逃していると思えます。

それは、今までのどの先生よりも素晴らしい権威ある教え方をしてくれる、と驚いたこと。そしてその人が命じると悪霊が言うことを聞いたという奇跡に驚いただけだからです。

彼らは、イエス様の正体が分かっていないのです。そして皮肉なことに、この「汚れた霊」はそれが分かっていました。見抜いたのです。「神の聖者」つまり、神様が送ってこられた、「救い主・キリスト」であることをです。

私たちはどうでしょう?いろいろな関心や興味、祈りや願いで、聖書を読んでいるかもしれません。何に驚き、何に関心を持ち、どう生きているでしょうか?聖書への知識、書かれた出来事、そして人々が驚く奇跡だけでこの方を偉大な方と信じているのでしょうか?最初はそうかもしれません。しかし、次第にイエス様の価値が分かり、私たちの生き方が変えられているでしょうか?私たちの心に新約聖書のヤコブの手紙の2章19節の言葉が刺さります。「あなたは『神は唯一だ』と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じておののいている」と。

4、勧め 

驚くこと、知ることと、生きることは違います。悪霊さえ、悪霊の方が、イエス様の本当の力や価値を知っているのです。悪霊の方が「信仰」があるといってもよいかもしれません。それはちょうどこうです。今はインターネットの時代。昔はいろいろなことを知っているという知識が価値がありました。知識を求めて、図書館に行き、本を探し、師を求めました。しかし今は、掌の中の小さな機械で世界の知識や情報をすぐに調べることが出来ます。今の時代にこそ、大切なことは、知識ではなくて、浅くてもよいから広く知っている総合的な知識で、必要な時にさらに情報を集め、それらを基礎知識から総合判断し、新しい発見や、問題解決に取り組んでいくこと。そして、知っているだけではなくて、それを実行実践していけること。それが今の情報があふれている時代にこそ、必要なことと叫ばれています。信仰でも同じです。私たちの信仰はどうでしょうか?私たちの愛はどうでしょうか?何を知っていて、どう生きていて、何を実行しているでしょうか?そんなことを今日は神様から問われています。神を知り、神に従い、人をゆるし、人を愛し、人に仕えていくこと、そこから、自分も社会も変わっていくのです。神様の祝福がありますように。 

 

ワンポイント講座 ・ ZOOMでも学びや祈祷会を! 

コロナ対策で集会を休止し、Zoomを使って聖書研究祈祷会や、聖書と英語を学ぶ会、日本語教室などを始めました。今後は全国の教会の集会、海外教会との交流、「聖地ツアー」も企画中です。「でも、むつかしく面倒そう」「自分は関係ない」とか「新しいものばかりに飛びつかなくても」と思われるかと思います。コロナが終われば従来の方法に戻れますが、コロナ対応で苦労した分もっと便利で環境や人にやさしい社会や教会になっているかもしれません。今日は、お迷いの方からの質問にお答えして少し説明いたします。無理強いではありません。よかったらどうぞ。

1, Zoomって何ですか?

今ではコロナ対策で小学校でもパソコンやタブレットが配られ、自宅で授業を受けるのも「新しい普通」になりました。牧師も会議はインターネットが「普通」になりました。

Zoom(ズームと読みます)はそのために、顔や資料を見ながら会議をしたり、授業を受けたりするソフトです。ほかにも似たソフトがありますが、現状では一番広く使われ、データ使用量も少なく安定していて使いやすいなど、標準になりました。

2, お金がかかるのですか?

 会議や授業を主宰する人は有料登録をしないと人数や時間制限がありますが、参加する側の人は、無料です。

 ただ、インターネットの「データー通信」を使うので、定額制のWi-Fiが自宅などにある人は、スマホ・タブレット・パソコン等どれで使っても余分な出費はありませんが、スマホだけの方はデータ通信費がかかります。でも、最近のニュースで「20Gで2980円」などと報道されるように、値下げ合戦もあり、月額1000円から2000円位でたくさん使えるでしょう。

3, 登録とか面倒でしょ?

 「Zoom」という無料のソフトをあらかじめインストールするか、メールでもらった会議や集会の招待メイルの中の、「会議に参加するリンク」といわれる青い文字列をクリックするだけで、自動的にインストールするように促され、それに従うだけです。あればよいものは、100円ショップでも売っている「イヤホンマイク」です。お互いの声がきれいに聞こえ、周りの人の声や雑音が入らず集中できます。

 カメラをONにして、お互いの顔を見るようにしたら互いに臨場感がありお勧めですが、背景の部屋やカーテンなど片付いているかも気になるところです。

4, Youtubeと何が違いますか?

Youtubeは誰でも簡単に自分の番組を作って世に出すことが出来るサービスです。教会の礼拝の模様も同時中継していますので、教会に来れない方や、外国で日本語の礼拝に参加したい方なども毎週参加されています。教会単位で先週のYoutube礼拝を会堂で見ながら一緒に礼拝参加されたところもあります。礼拝の模様はネット上に保管してあるので、あとから見ることもできます。しかしこれは、一方通行の「放送」に似ていて、Zoomは「双方向」というところが違います。

5, そんな新しいものに頼らなくても…

 今ではちょっと古い「AMラジオ」で「ルーテルアワー」といったラジオ番組で礼拝や聖書の勉強を流している時代もありました。当時最先端のメディアで莫大な放送料をアメリカの教会の献金で賄っていましたが、今はだれでもパソコンやスマホで「放送」も「交流」もできる時代です。神様からいただいた知恵や技術を活用して、たくさんの方に福音を伝え、私たちも学びや交流の場を持つのは、悪いことではないと思います。

インターネット上は、世の乱れ、自殺の仕方指南、犯罪も行われていますが、そこから遠ざかるのではなく、そこでこそ神様の愛や救い、生きる道を伝えるのも大切なことではないでしょうか。

6, 何を買ってどこと契約するか、心配ですが…

 徳弘牧師は、昔大学のパソコンの授業で助手をしていたこともあり、ブラジルでも教会でパソコン・スマホ教室、パソコン組み立てや修理もしていました。関心がおありの方は、ご遠慮なくご相談ください。


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