2021年1月30日土曜日

週報 礼拝メッセージ 20210131

 



今週の聖書のことば

福音書 マルコ1:21~28(新62)

一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 

人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

説教「悪霊の方が『信仰』がある」 徳弘浩隆師


1. エクソシストという映画を…

今日の聖書の物語は、イエス様が「汚れた霊」を追い出したというエピソードが記されています。これを読んで思い出すのは、「エクソシスト」という映画です。1973年に映画化され、話題になったのを覚えていますが、とにかく恐ろしい映像だったのが印象に強すぎて、話の筋はあまり覚えていません。子どものころ覚えたのはエクソシストというのは、「悪魔祓い」をするカトリックの神父さんのことだということくらいでした。

そんな映画ははるか昔の話で、今は「鬼滅の刃」ということになるかもしれません。これは私はほとんど知りませんでした。なんと、日本語教室で日本語を教えているブラジル人の女性が教えてくれたのです。文字にルビ・ふりがながついているので読みやすいといって、大好きだと紹介してくれました。これは、鬼になってしまった妹を、殺さないで鬼を追い出すというストーリだそうですね。

それでは、イエス様は昔活躍した有名な「ただの悪魔祓い」だったのでしょうか?それだけがすごかったのでしょうか?今日の聖書の話から、神様が私たちに伝えたいことを聞き取りながら、私たちの生き方にも思いをはせていきましょう。

2. 聖書を学びましょう

最初は、イエス様がカファルナウムに着いたところから始まります。先週読んだ聖書の場所の流れからすると、洗礼者ヨハネが捕らえられたことを聞き、人々の前に出て活動を始めたイエス様でした。すぐさま数人を弟子として従えたという出来事の次が今日の所です。まず行かれたのが、ユダヤ教でいう教会のようなもの、会堂。安息日に会堂で教え始められました。今のようなコンパクトな聖書はない時代ですから、大きな巻物がいくつかある中から一つを取り出し朗読し、説明をされたと考えられています。そしてその姿は、「律法学者のようではなく、権威あるものとしてお教えになった」ので人々は非常に驚いたとあります。

その時、会堂にいた一人の男が叫びました。彼は、けがれた霊に取りつかれていたというのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と叫びました。そこでイエス様が「黙れ。この人から出て行け」とおしかりになると、その人から出ていきました。

恐ろしい出来事でした。人々は、二回驚きました。一つはイエス様の教えがただ律法を知っている専門家のようにではなく、権威あるものとしての教えと映ったこと。もうひとつはイエス様が命じるとけがれた霊が言うことを聞いた、ということでした。そしてたちまち、イエス様の評判が広まったのでした。

3. 振り返り 

 私たちは、何をここから聞き取り、学ぶべきでしょうか?それは、そこにいた彼らが驚いた二つのことだけだとしたら、大切なことを見逃していると思えます。

それは、今までのどの先生よりも素晴らしい権威ある教え方をしてくれる、と驚いたこと。そしてその人が命じると悪霊が言うことを聞いたという奇跡に驚いただけだからです。

彼らは、イエス様の正体が分かっていないのです。そして皮肉なことに、この「汚れた霊」はそれが分かっていました。見抜いたのです。「神の聖者」つまり、神様が送ってこられた、「救い主・キリスト」であることをです。

私たちはどうでしょう?いろいろな関心や興味、祈りや願いで、聖書を読んでいるかもしれません。何に驚き、何に関心を持ち、どう生きているでしょうか?聖書への知識、書かれた出来事、そして人々が驚く奇跡だけでこの方を偉大な方と信じているのでしょうか?最初はそうかもしれません。しかし、次第にイエス様の価値が分かり、私たちの生き方が変えられているでしょうか?私たちの心に新約聖書のヤコブの手紙の2章19節の言葉が刺さります。「あなたは『神は唯一だ』と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じておののいている」と。

4、勧め 

驚くこと、知ることと、生きることは違います。悪霊さえ、悪霊の方が、イエス様の本当の力や価値を知っているのです。悪霊の方が「信仰」があるといってもよいかもしれません。それはちょうどこうです。今はインターネットの時代。昔はいろいろなことを知っているという知識が価値がありました。知識を求めて、図書館に行き、本を探し、師を求めました。しかし今は、掌の中の小さな機械で世界の知識や情報をすぐに調べることが出来ます。今の時代にこそ、大切なことは、知識ではなくて、浅くてもよいから広く知っている総合的な知識で、必要な時にさらに情報を集め、それらを基礎知識から総合判断し、新しい発見や、問題解決に取り組んでいくこと。そして、知っているだけではなくて、それを実行実践していけること。それが今の情報があふれている時代にこそ、必要なことと叫ばれています。信仰でも同じです。私たちの信仰はどうでしょうか?私たちの愛はどうでしょうか?何を知っていて、どう生きていて、何を実行しているでしょうか?そんなことを今日は神様から問われています。神を知り、神に従い、人をゆるし、人を愛し、人に仕えていくこと、そこから、自分も社会も変わっていくのです。神様の祝福がありますように。 

 

ワンポイント講座 ・ ZOOMでも学びや祈祷会を! 

コロナ対策で集会を休止し、Zoomを使って聖書研究祈祷会や、聖書と英語を学ぶ会、日本語教室などを始めました。今後は全国の教会の集会、海外教会との交流、「聖地ツアー」も企画中です。「でも、むつかしく面倒そう」「自分は関係ない」とか「新しいものばかりに飛びつかなくても」と思われるかと思います。コロナが終われば従来の方法に戻れますが、コロナ対応で苦労した分もっと便利で環境や人にやさしい社会や教会になっているかもしれません。今日は、お迷いの方からの質問にお答えして少し説明いたします。無理強いではありません。よかったらどうぞ。

1, Zoomって何ですか?

今ではコロナ対策で小学校でもパソコンやタブレットが配られ、自宅で授業を受けるのも「新しい普通」になりました。牧師も会議はインターネットが「普通」になりました。

Zoom(ズームと読みます)はそのために、顔や資料を見ながら会議をしたり、授業を受けたりするソフトです。ほかにも似たソフトがありますが、現状では一番広く使われ、データ使用量も少なく安定していて使いやすいなど、標準になりました。

2, お金がかかるのですか?

 会議や授業を主宰する人は有料登録をしないと人数や時間制限がありますが、参加する側の人は、無料です。

 ただ、インターネットの「データー通信」を使うので、定額制のWi-Fiが自宅などにある人は、スマホ・タブレット・パソコン等どれで使っても余分な出費はありませんが、スマホだけの方はデータ通信費がかかります。でも、最近のニュースで「20Gで2980円」などと報道されるように、値下げ合戦もあり、月額1000円から2000円位でたくさん使えるでしょう。

3, 登録とか面倒でしょ?

 「Zoom」という無料のソフトをあらかじめインストールするか、メールでもらった会議や集会の招待メイルの中の、「会議に参加するリンク」といわれる青い文字列をクリックするだけで、自動的にインストールするように促され、それに従うだけです。あればよいものは、100円ショップでも売っている「イヤホンマイク」です。お互いの声がきれいに聞こえ、周りの人の声や雑音が入らず集中できます。

 カメラをONにして、お互いの顔を見るようにしたら互いに臨場感がありお勧めですが、背景の部屋やカーテンなど片付いているかも気になるところです。

4, Youtubeと何が違いますか?

Youtubeは誰でも簡単に自分の番組を作って世に出すことが出来るサービスです。教会の礼拝の模様も同時中継していますので、教会に来れない方や、外国で日本語の礼拝に参加したい方なども毎週参加されています。教会単位で先週のYoutube礼拝を会堂で見ながら一緒に礼拝参加されたところもあります。礼拝の模様はネット上に保管してあるので、あとから見ることもできます。しかしこれは、一方通行の「放送」に似ていて、Zoomは「双方向」というところが違います。

5, そんな新しいものに頼らなくても…

 今ではちょっと古い「AMラジオ」で「ルーテルアワー」といったラジオ番組で礼拝や聖書の勉強を流している時代もありました。当時最先端のメディアで莫大な放送料をアメリカの教会の献金で賄っていましたが、今はだれでもパソコンやスマホで「放送」も「交流」もできる時代です。神様からいただいた知恵や技術を活用して、たくさんの方に福音を伝え、私たちも学びや交流の場を持つのは、悪いことではないと思います。

インターネット上は、世の乱れ、自殺の仕方指南、犯罪も行われていますが、そこから遠ざかるのではなく、そこでこそ神様の愛や救い、生きる道を伝えるのも大切なことではないでしょうか。

6, 何を買ってどこと契約するか、心配ですが…

 徳弘牧師は、昔大学のパソコンの授業で助手をしていたこともあり、ブラジルでも教会でパソコン・スマホ教室、パソコン組み立てや修理もしていました。関心がおありの方は、ご遠慮なくご相談ください。


主日日課の学び(石居正巳先生) B年  四旬節第一主日 マルコ1:12-13 ※(今年はマルコ1:9-13)

 四旬節第一主日 創世記9:8-17  1ペトロ3:18-22  マルコ1:12-13 

1)復活の前四十日の備えをする慎みの時期に、主イエスの四十日の断食と荒れ野の誘惑の

 出来事が覚えられる。昔の教会では、多くの人が復活日に際して洗礼を受けたが、主の

 出来事も洗礼を受けてすぐのことであった。荒れ野の誘惑に対する主の勝利は、アダム

 の誘惑で罪に落ちた人間の存在に救いをもたらすことでもあった。

2)洗礼者ヨハネのもとで洗礼を受けられたイエスは、神が愛されるみ子という声を聞かれ

 た。そしてそれまでの人生から、神による使命のもとでの公生涯へと歩みだされた。し

 かし、それは決して穏やかな将来を約束するものではなく、直ちに試練との闘いに直面

 させるものであった。御霊は囲いの中に保ってくれるのでなく、むしろ荒れ野へと送り

 だした。マルコの荒れ野での試練の記事は短くて、主イエスが断食して飢えたもうたこ

 とも、誘惑の内容も記してはいない。しかし注意してその言葉を見なくてはならない。

3)主イエスは洗礼者ヨハネと対照的に、人々の中に福音を宣べ伝えられた。しかし、まず

 ヨハネと同じように荒れ野に赴き、そこで誘惑を受けられた。40日という期間は、イス

 ラエルの民が40年の間荒れ野をさまよったこと(民数32:13)、モーセが四十日四十夜神

 と共にシナイの山に留まったこと(出34:28)、エリヤが神の山ホレブを目指して四十日

 四十夜歩き続けたことなどを連想させる。荒れ野はまた神に敵対する力が住まう所であ

 り、人間生活を脅かす原始的混沌の力が存在すると考えられた。それにも関わらず旧約

 の伝統は、そのような荒れ野で神は民と共にいてくださったとする(申命2:7)。それだ

 けでなく、イスラエルの民は、荒れ野の中で神を試そうとした(申命6:16) 。そして今

 や主イエスがサタンから試される。人々の無理解と不信仰にも関わらず、共にいてくだ

 さる主の姿を示唆している。

4)マタイは四十日の断食ののちサタンが誘惑を試み、主がサタンを退けられたのち、天使

 が来て仕えたというが、マルコではむしろ誘惑は連続してあったと考えられる。主と共

 にいたという野獣は、恐らくサタンの悪の力の象徴であろう。一方では天使的力が他方

 ではサタン的な悪が、そこでもみ合っている。そして遂に離れては行かない。サタンは

 悪魔と同じ意味で言われているが、ヨブ記の最初に現れるように、究極的には神に服す

 る者でしかない。マルコは荒れ野の記事の中では、主イエスがサタンの力を退けられた

 と明らかには言っていないが、汚れた霊を追い出したもうた次第(マルコ1:24,25)の中

 には明らかにこれに打ち勝ちたもうたことが示唆されている。

5)主が荒れ野でサタンの誘惑を受けられたのは、すべての人と同じ立場で闘い、また人々

 に勝ちを与えてくださるためであった。主イエスも一面真の人でありたもうた。誘惑と

 訳される言葉はまた試練の意味をももっている。私たちが出会う試みを罪への誘いとす

 るか、神が愛する者を鍛えたもう(ヘブル12:6) 試練とするのかは、私たちが主の勝利

 を自分のものとし、み使いたちに支えられているかどうかにかかっている。

主日日課の学び(石居正巳先生) 灰の水曜日  マタイ6:1-6(16-21)

 灰の水曜日  ヨエル2:12-18  2コリント5:20-6:2 マタイ6:1-6(16-21) A

1)灰の水曜日は、四旬節の最初の日である。復活の前40日(主日を含めないで)の間は、

 もともとは復活祭の際に洗礼を受ける人たちの準備の時として、また古くから主の復活

 の祭りに備える慎みの期間として守られた。悔い改めのしるしとして、前年の枝の主日

 に用いられた枝の灰をつけるような習慣もあった。そして自分が灰であり、灰に戻るこ

 とを覚えたのである。日課は長い形では括弧の中も含まれる。

2)マタイ6 章の1-6 節は施しをする際の心得が、ここでは略された7 節以下の祈りについ

 て、16-18 節は断食をする場合、19-21 節は天上に富を積むようにという勧めが語られ

 ている。施し、祈り、断食はファリサイ人たちが敬虔の生活の表現として重んじたこと

 であり、キリスト教会も大切にしたことである。そしていずれもが、四旬節に守られた

 ことに関連する。しかし、敬虔な行為がなされるのは人々に見てもらうためでなく、神

 に喜ばれるためである。ファリサイ人たちの中には、律法を守り、善行を積んでいるこ

 とを、あたかも自分の信仰の拠り所としているような場合があった。過ちを犯さず、週

 に二度も断食し、収入の十分の一を捧げていることで安心して、神に感謝の祈りをして

 いた( ルカ18:11,12) 。しかし、自分がどれほど苦行をしたか、善行を積んだかではな

 く、相手をどのように援助できたかを考えてゆかなくてはならない。節制するのは、そ

 れ自体が目的ではなく、朽ちない冠を得るためにほかならない(1 コリント9:25) 。

3)主は天に宝を積めといわれた。しかし、天の宝は、私たちの評価で決まるのではない。

 自分たちがこれほど大きなことをしたと思っていても、神の眼には宝ではあり得ないこ

 ともある。断食したり、衣を裂いたり、粗布を着たり、灰の上に座ったり、被ったりす

 ることは、確かに旧約時代からの悔い改めのしるしであった。しかし肝心なことは、外

 的な行為をすることではなく、自分の心を引き裂き(ヨエル2 章) 、神に赦しを受ける

 ことなのである。

4)神は隠れたことを見ておられる。私たちがどのような心で、またどのような態度をもっ

 て、事をなしているかが問題なのである。イエスが山上の説教の中で教えられたのは、

 外面的な行為が自分を高めるというのではない。それがどれほど有用であったかでもな

 い。人に見られる義=善行が問題なのではない。確かに主は、献げ物も施しも大事にさ

 れた。祈ることも教えられた。自ら断食もされた。しかし、弟子たちに断食を求めず、

 花婿が一緒にいるときにお客は断食しない(マタイ9:15) と言われた。問題は行為自体

 でなく、どういう動機で何のためになされるかなのである。しかも人に見せびらかすた

 めでないし、自分の功績を積むためでもない。神関係の中で自らの心の現れとしてなさ

 れる。宗教改革のとき、ルターが断食を教会の多くのしるしの一つに数えている箇所も

 ある。古代のキリスト者たちが、復活日の前に守った断食が、四旬節の間の節制として

 延長された。しかし、主要なことはそれぞれの内的な神との関係にほかならない。


主日日課の学び(石居正巳先生) B年  変容日 マルコ9:2-9

 変容日    マルコ9:2-9  列王下2:1-12a  2コリント3:12-18 

1)顕現節の最終主日は、主の変容日として守られる。福音書の記述において、この出来事

 は主の働きの山となっており、この前後から主ご自身によって弟子たちに受難が予告さ

 れる。顕現節の連続日課は一時中断し、復活のサイクルに入り、連続日課は三位一体主

 日ののちに続くことになる。

2)主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて山に登られた。この三人はヤイ

 ロの娘の復活の際にも(マルコ5:40) 、ゲッセマネの園でも(マルコ14:33)、主の身近

 かについて行くことができ、主イエスの神秘の光に触れることを許されたのであった。

 山上の出来事は皆受け身の形で書かれているが、それは神ご自身が主体となって、イエ

 スの天的な存在の様を三人の弟子たちに示されたことを示唆している。イエスの御姿が

 変わり、真っ白に輝いたのは、モーセの顔の光のように(出34:29)神の臨在に照らしだ

 されたことを示している。雲もまた神臨在のしるしである(民数9:15他) 。雲の中から

 の声は、神の呼びかけにほかならない(出24;16)。

3)イエスの姿が「変わった」(メタモルフォオー)という時に用いられている語は、昆虫

 の変態を現すメタモルフォーゼという言葉にも用いられている。しかし、ギリシャ神話

 では神が人に姿を変える変身を指していた。ここではもちろんそのような変化や変身で

 はなく、イエスが本来の天的存在としての輝きを示されたことを現している。「現れ」

 たという語は聖書の神顕現や幻に用いられる。主の姿が変わっただけでなく、エリヤが

 モーセと共に現れて、主イエスと語り合っていた。エリヤは主の日の前に神によって遣

 わされる者(マラキ3:23) である。エリヤはすでに来たが、人々に好きなようにあしら

 われた(13節) と主は言われた。それは直接には洗礼者ヨハネを指している。先駆者が

 そうであるように、メシア自身もまた苦しみを重ね、辱めを受ける。天的な輝きに包ま

 れた光景は現実の姿にも関わらず、神のもとで起こっていることを示したのである。

4)ペトロは我にもあらず、三つの仮小屋を建てて、いつまでも主イエスとエリヤ、モーセ

 に留まってもらおうと言うが、その姿を留めておくことはできない。雲が彼らを覆って

 しまった。恐らくは弟子たちもまた、神の臨在を示す雲の中に包まれたのである。そし

 て、「これは私の愛する子。これに聞け」というみ声を聞いた。マルコ1:12の洗礼の時

 に主ご自身が聞かれた声と同じように、イエスが神に愛されるみ子であることを宣言す

 るが、違った点は弟子たちがこのお方に聞くように求めていることである。それは単に

 耳で聞くとか尋ねるというのでなく、聞き従うことを求めている。受難の時が近づいた

 ことを予期して、神はみ子の正体を明らかにし、このお方こそが聞き従うべき主である

 ことを示された。しかし、主はこれを直ぐには口外しないように戒められた。何重にも

 驚くべき事実であったからである。主の復活ののち、彼らは初めてその姿を見たことが

 決して一時的な夢や幻でないことを確信し、主の再臨の約束をも望み見たに違いない。

主日日課の学び(石居正巳先生) B年   マルコ1:29-39

  ヨブ7:1-7  1コリント9:16-23   マルコ1:29-39 

1)シモン・ペトロのしゅうとめの癒しと、主の宣教への意志が示される。主イエスは、教

 え、宣教し、癒すという働きにおいて救い主としての来臨を人々に現わされた。その出

 来事の中心は、神の国の福音を宣べ伝えられるイエスご自身である。

2)カファルナウムの会堂で教え、汚れた霊に取りつかれた男を癒してくださった主は、シ

 モンの家に行かれた。シモンとその兄弟アンデレは、漁をしていた湖で、主について行

 くように召され、網を捨てて従った。確かに仕事を捨てて主に従ったのではあるが、し

 かしそれは彼らが家族と切り離されてしまうことではなかった。むしろ主は彼らの家を

 訪れ、その家族にも恵みの働きを及ぼされた。のちにシモン・ペトロは、伝道旅行にも

 自分の妻を伴ったほどである(・コリント9:5)。たまたまシモンのしゅうとめが熱を出

 して寝ていたので、イエスは手を取って起こし、その病を癒された。

3)主はいろいろな病人を癒されたが、2 章の記事に現れるように、それは罪の赦しを伴っ

 ている。罪の赦しは必然的に神との交わりの回復をもたらす。さまざまな仕方で病気を

 いやされたけれども、手を取って起こすのは、癒し主である主との人格的な関わりをよ

 く現しているといえる。しゅうとめの信仰について特に言及されてはいないが、起こさ

 れた彼女は一同を「もてなした。」この言葉は「奉仕する」(ディアコニア)という言

 葉の変化形で、奉仕をしはじめて、その後も引き続いてしていることを示している。も

 ちろん癒しの奇跡がいつでも直ちに救いではない。しかしここには主との関わりが起こ

 り、続いたことが示唆されている。

4)公の礼拝と祈りの場であった会堂から、主はその力を個人の家の中にも及ぼされた。夕

 方になって安息日が終わると、待ちかねたように人々は病人たちを癒して頂こうと、シ

 モンの家の戸口に連れてきた。家の戸口は、人々の社会生活への入口でもある。主イエ

 スの働きはこのようにして浸透し、また広まって行った。マタイは同じ出来事の記述の

 のちに、イザヤ53:4「彼はわたしたちの病を担った」という言葉を引いている(マタイ

 8:17) 。主による癒しは、その力の発揮というだけでなく、私たちの重荷を代わって担

 う十字架による罪の赦しと結びついているのである。

5)町の大勢の人たちが遅くまでシモンの家を訪れて、癒しを願ったと思われるのに、主イ

 エスは翌日も早くから起きて、人里離れた所でひとり祈っておられた。シモンたちはイ

 エスを探し、見つけると「みんなが捜しています」と言った。それは客となられたイエ

 スの行方を心配したというだけでなく、はや癒しを求めて人々がやって来たということ

 であったろう。しかし、主は人々の求めに応えるために同じ町に帰ってゆくのでなく、

 神の使命のためにほかの町や村に行くことを示された。「そこでも私は宣教する。その

 ために私は出てきたのである」と言われたのである。悪霊を追い出し、病を癒すことを

 やめられたわけではないが、肝心なことは神の国の福音の宣教にあった。

2021年1月28日木曜日

週報用データ 202102

 

2021年2月7日 顕現後第5主日(緑)

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第1朗読 イザヤ40:21~31 (旧1125)

第2朗読 1コリント9:16~23 (新311)

福 音 書 マルコ1:29~39 (新62)

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Of. 147改2(詩篇147:1-11,20c)

ハレルヤ。わたしたちの神(かみ)をほめ歌(うた)うのはいかに楽(たの)しく喜(よろこ)ばしく、

    神(かみ)への讃(さん)美(び)はいかに美(うつく)しく快(こころよ)いことか。

神(かみ)はエルサレムを再(さい)建(けん)し、イスラエルの追(お)われた人(ひと)々(びと)を集(あつ)めてくださる。

    主(しゅ)は打(う)ち砕(くだ)かれた人(ひと)々(びと)の心(こころ)を癒(いや)し、その傷(きず)を包(つつ)んでくださる。

主(しゅ)は星(ほし)の数(かず)を定(さだ)め、それぞれに呼(よ)び名(な)をお与(あた)えになる。

    わたしたちの主(しゅ)は大(おお)いなる方(かた)、み力(ちから)は強(つよ)く、英(えい)知(ち)のみ業(わざ)は数(かず)知(し)れない。

主(しゅ)は貧(まず)しい人(ひと)々(びと)を励(はげ)まし、逆(さか)らう者(もの)を地(ち)に倒(たお)される。

    感(かん)謝(しゃ)の献(ささ)げ物(もの)をささげて主(しゅ)に歌(うた)え、竪(たて)琴(ごと)に合(あ)わせてわたしたちの神(かみ)にほめ歌(うた)をうたえ。

主(しゅ)は天(てん)を雲(くも)で覆(おお)い、大(だい)地(ち)のために雨(あめ)を備(そな)え、山(やま)々(やま)に草(くさ)を芽(め)生(ば)えさせられる。

    獣(けもの)や、烏(からす)のたぐいが求(もと)めて鳴(な)けば、食(た)べ物(もの)をお与(あた)えになる。

主(しゅ)は馬(うま)の勇(いさ)ましさを喜(よろこ)ばれるのでもなく、人(ひと)の足(あし)の速(はや)さを望(のぞ)まれるのでもない。

    主(しゅ)が望(のぞ)まれるのは主(しゅ)を畏(おそ)れる人(ひと)、主(しゅ)の慈(いつく)しみを待(ま)ち望(のぞ)む人(ひと)。

どの国(くに)に対(たい)しても、このように計(はか)らわれたことはない。

  彼(かれ)らは主(しゅ)の裁(さば)きを知(し)りえない。

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Pr.

永(えい)遠(えん)の神(かみ)様(さま)。あなたは弱(よわ)い者(もの)を強(つよ)くし、よろめく人(ひと)を支(ささ)えてくださいます。あなたの癒(いや)しと健(すこ)やかな命(いのち)の使(し)者(しゃ)として、世(せ)界(かい)の隅(すみ)々(ずみ)にまで良(よ)き訪(おとず)れを知(し)らせるために、私(わたし)たちをお遣(つか)わしください。救(すく)い主(ぬし)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。アーメン

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第1朗読 イザヤ40:21~31 (旧1125)

21お前たちは知ろうとせず聞こうとしないのか

初めから告げられてはいなかったのか

理解していなかったのか、地の基の置かれた様を。

22主は地を覆う大空の上にある御座に着かれる。

地に住む者は虫けらに等しい。

主は天をベールのように広げ、天幕のように張り

その上に御座を置かれる。

23主は諸侯を無に等しいものとし

地を治める者をうつろなものとされる。

24彼らは植えられる間もなく、種蒔かれる間もなく

地に根を張る間もなく

風が吹きつけてこれを枯らす。

嵐がわらのように巻き上げる。

25お前たちはわたしを誰に似せ

誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。

26目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。

それらを数えて、引き出された方

それぞれの名を呼ばれる方の

力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。

27ヤコブよ、なぜ言うのか

イスラエルよ、なぜ断言するのか

わたしの道は主に隠されている、と

わたしの裁きは神に忘れられた、と。

28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。

主は、とこしえにいます神

地の果てに及ぶすべてのものの造り主。

倦むことなく、疲れることなく

その英知は究めがたい。

29疲れた者に力を与え

勢いを失っている者に大きな力を与えられる。

30若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが

31主に望みをおく人は新たな力を得

鷲のように翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

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第2朗読  1コリント9:16~23 (新311)

16もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。 17自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。 18では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。

19わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 20ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 21また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 22弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 23福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

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福音書  マルコ1:29~39 (新62)

29すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 32夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 33町中の人が、戸口に集まった。 34イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

 

35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 36シモンとその仲間はイエスの後を追い、 37見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

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2021年2月14日 主の変容(白/金)

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第1朗読 列王記下 2: 1~12 (旧577)

第2朗読 2コリント 4: 3~ 6 (新329)

福 音 書 マルコ 9: 2~ 9 (新78)

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Of. 50改1(詩篇50:1-6)

神々(かみがみ)の神(かみ)、主(しゅ)は、み言葉(ことば)を発(はっ)し、

    日(ひ)の出(で)るところから日(ひ)の入(い)るところまで、地(ち)を呼(よ)び集(あつ)められる。

麗(うるわ)しさの極(きわ)みシオンから、

    神(かみ)は顕(けん)現(げん)される。

わたしたちの神(かみ)は来(こ)られる、沈(ちん)黙(もく)してはおられない。

    み前(まえ)を火(ひ)が焼(や)き尽(つく)して行(い)き、みもとには嵐(あらし)が吹(ふ)き荒(あ)れている。

神(かみ)はご自(じ)分(ぶん)の民(たみ)を裁(さば)くために、

    上(うえ)から天(てん)に呼(よ)びかけ、また、地(ち)に呼(よ)びかけられる。

「わたしの、前(まえ)に集(あつ)めよ。

    わたしの慈(いつく)しみに生(い)きる者(もの)を、いけにえを供(そな)えてわたしと契(けい)約(やく)を結(むす)んだ者(もの)を。」

天(てん)は神(かみ)の正(ただ)しいことを告(つ)げ知(し)らせる。

  神(かみ)は御(おん)自(みずか)ら裁(さば)きを行(おこな)われる。

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Pr.

全(ぜん)能(のう)の神(かみ)様(さま)。山(やま)の頂(いただ)きに輝(かがや)くあなたの真(しん)理(り)の光(ひかり)は、私(わたし)たちの心(こころ)に差(さ)し込(こ)みます。愛(あい)する御(み)子(こ)によって私(わたし)たちを造(つく)り変(か)え、あなたの似(に)姿(すがた)で世(せ)界(かい)を照(て)らしてください。あなたと聖(せい)霊(れい)とともにただ独(ひと)りの神(かみ)、永(えい)遠(えん)の支(し)配(はい)者(しゃ)、御(み)子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。アーメン

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第1朗読 列王記下 2: 1~12 (旧577)

1主が嵐を起こしてエリヤを天に上げられたときのことである。エリヤはエリシャを連れてギルガルを出た。 2エリヤはエリシャに、「主はわたしをベテルにまでお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません」と答えたので、二人はベテルに下って行った。 3ベテルの預言者の仲間たちがエリシャのもとに出て来て、「主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか」と問うと、エリシャは、「わたしも知っています。黙っていてください」と答えた。 4エリヤは、「エリシャよ、主はわたしをエリコへお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません」と答えたので、二人はエリコに来た。 5エリコの預言者の仲間たちがエリシャに近づいて、「主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか」と問うと、エリシャは、「わたしも知っています。黙っていてください」と答えた。 6エリヤはエリシャに、「主はわたしをヨルダンへお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません」と答えたので、彼らは二人で出かけて行った。 7預言者の仲間五十人もついて行った。彼らは、ヨルダンのほとりに立ち止まったエリヤとエリシャを前にして、遠く離れて立ち止まった。 8エリヤが外套を脱いで丸め、それで水を打つと、水が左右に分かれたので、彼ら二人は乾いた土の上を渡って行った。 9渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。」エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と言った。 10エリヤは言った。「あなたはむずかしい願いをする。わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない。」 11彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。 12エリシャはこれを見て、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。

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第2朗読  2コリント 4: 3~ 6 (新329)

3わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。 4この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。 5わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。 6「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。

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福音書  マルコ 9: 2~ 9 (新78)

2六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 3服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 4エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 5ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 6ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。 7すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 8弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。

9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。

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2021年2月17日 (水)灰の水曜日(紫/黒)

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第1朗読 ヨエル 2: 1~ 2,12~17 (旧1422)又は イザヤ58:1~12(旧1156)

第2朗読 2コリント 5:20b~6:10 (新331)

福 音 書 マタイ 6: 1~ 6,16~21 (新71)

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Of. 051改2(詩篇51:3-19)

神(かみ)よ、わたしを憐(あわ)れんでください、御(おん)慈(いつく)しみをもって。

  深(ふか)い御(おん)憐(あわ)れみをもって、背(そむ)きの罪(つみ)をぬぐってください。

わたしの咎(とが)をことごとく洗(あら)い、

罪(つみ)から清(きよ)めてください。

神(かみ)よ、あなたに背(そむ)いたことをわたしは知(し)っています。

  わたしの罪(つみ)は常(つね)にわたしの前(まえ)に置(お)かれています。

神(かみ)よ、あなたに、あなたにのみわたしは罪(つみ)を犯(おか)し、御(おん)目(め)に悪(あく)事(じ)と見(み)られることをしました。

  あなたの言(い)われることは正(ただ)しく、あなたの裁(さば)きに誤(あやま)りはありません。

わたしは咎(とが)のうちに産(う)み落(お)とされ、

  母(はは)がわたしを身(み)ごもったときも、わたしは罪(つみ)のうちにあったのです。

あなたは秘(ひ)義(ぎ)ではなくまことを望(のぞ)み

  秘(ひ)術(じゅつ)を排(はい)して知(ち)恵(え)を悟(さと)らせてくださいます。

ヒソプの枝(えだ)でわたしの罪(つみ)を払(はら)ってください、わたしが清(きよ)くなるように。

わたしを洗(あら)ってください、雪(ゆき)よりも白(しろ)くなるように。

喜(よろこ)び祝(いわ)う声(こえ)を聞(き)かせてください、あなたによって砕(くだ)かれたこの骨(ほね)が喜(よろこ)び躍(おど)るように。

わたしの罪(つみ)にみ顔(かお)を向(む)けず、咎(とが)をことごとくぬぐってください。

神(かみ)よ、わたしの内(うち)に清(きよ)い心(こころ)を創(そう)造(ぞう)し、

揺(ゆ)るがぬ霊(れい)をわたしの内(うち)に新(あたら)しくしてください。

わたしをみ前(まえ)から捨(す)てず、

あなたの聖(せい)なる霊(れい)を取(と)り上(あ)げないでください。

あなたの救(すく)いの喜(よろこ)びをわたしに返(かえ)し、

  喜(よろこ)び仕(つか)える霊(れい)を与(あた)えて、わたしを支(ささ)えてください。

神(かみ)よ、わたしはあなたの道(みち)を教えます(おし)、あなたに背く(そむ)者(もの)に。

    罪人がみ(つみびと)もとに立ち帰る(た   かえ)ように。

神(かみ)よ、わたしの救い(すく)の神(かみ)よ、流血(りゅうけつ)の災い(わざわ)からわたしを救(すく)い出(だ)してください。

    わたしの舌(した)は恵みのみ業(めぐ      わざ)を喜び(よろこ)歌い(うた)ます。

主(しゅ)よ、わたしの唇(くちびる)を開(ひら)いてください。

    わたしの口(くち)はあなたの讃(さん)美(び)を歌(うた)います。

もしいけにえがあなたに喜(よろこ)ばれ、焼(や)き尽(つ)くす献(ささ)げ物(もの)がみ旨(むね)にかなうのなら、

    わたしはそれをささげます。

しかし、神(かみ)の求める(もと)いけにえは打ち砕かれた(うち  くだ)霊(れい)。

    打(う)ち砕(くだ)かれ悔(く)いる心(こころ)を、神(かみ)よ、あなたは侮(あなど)られません。

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Pr.

今(いま)も生(い)きておられる全(ぜん)能(のう)の神(かみ)様(さま)。あなたはお創(つく)りになったものを何(なに)一(ひと)つ捨(す)てず、罪(つみ)を悔(く)いる者(もの)すべてを赦(ゆる)してくださいます。私(わたし)たちのうちに新(あら)たにきよい心(こころ)を造(つく)ってください。そして心(こころ)から悔(く)い改(あらた)める者(もの)に、憐(あわ)れみ深(ふか)いあなたの全(まった)き赦(ゆる)しをお与(あた)えください。あなたと聖(せい)霊(れい)とともにただ独(ひと)りの神(かみ)、永(えい)遠(えん)の支(し)配(はい)者(しゃ)、御(み)子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。アーメン

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第1朗読 ヨエル 2: 1~ 2,12~17 (旧1422)

1シオンで角笛を吹き

わが聖なる山で鬨の声をあげよ。

この国に住む者は皆、おののけ。

主の日が来る、主の日が近づく。

2それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。

強大で数多い民が

山々に広がる曙の光のように襲ってくる。

このようなことは、かつて起こったことがなく

これから後も、代々再び起こることはない。

 

12主は言われる。

「今こそ、心からわたしに立ち帰れ

断食し、泣き悲しんで。

13衣を裂くのではなく

お前たちの心を引き裂け。」

あなたたちの神、主に立ち帰れ。

主は恵みに満ち、憐れみ深く

忍耐強く、慈しみに富み

くだした災いを悔いられるからだ。

14あるいは、主が思い直され

その後に祝福を残し

あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を

残してくださるかもしれない。

15シオンで角笛を吹き

断食を布告し、聖会を召集せよ。

16民を呼び集め、会衆を聖別し

長老を集合させよ。

幼子、乳飲み子を呼び集め

花婿を控えの間から

花嫁を祝いの部屋から呼び出せ。

17祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き

主に仕える者は言うがよい。

「主よ、あなたの民を憐れんでください。

あなたの嗣業である民を恥に落とさず

国々の嘲りの種としないでください。

『彼らの神はどこにいるのか』と

なぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。」

 

又は イザヤ58:1~12(旧1156)

1喉をからして叫べ、黙すな

声をあげよ、角笛のように。

わたしの民に、その背きを

ヤコブの家に、その罪を告げよ。

2彼らが日々わたしを尋ね求め

わたしの道を知ろうと望むように。

恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として

彼らがわたしの正しい裁きを尋ね

神に近くあることを望むように。

3何故あなたはわたしたちの断食を顧みず

苦行しても認めてくださらなかったのか。

見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし

お前たちのために労する人々を追い使う。

4見よ

お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし

神に逆らって、こぶしを振るう。

お前たちが今しているような断食によっては

お前たちの声が天で聞かれることはない。

5そのようなものがわたしの選ぶ断食

苦行の日であろうか。

葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと

それを、お前は断食と呼び

主に喜ばれる日と呼ぶのか。

6わたしの選ぶ断食とはこれではないか。

悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて

虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。

7更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え

さまよう貧しい人を家に招き入れ

裸の人に会えば衣を着せかけ

同胞に助けを惜しまないこと。

8そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で

あなたの傷は速やかにいやされる。

あなたの正義があなたを先導し

主の栄光があなたのしんがりを守る。

9あなたが呼べば主は答え

あなたが叫べば

「わたしはここにいる」と言われる。

軛を負わすこと、指をさすこと

呪いの言葉をはくことを

あなたの中から取り去るなら

10飢えている人に心を配り

苦しめられている人の願いを満たすなら

あなたの光は、闇の中に輝き出で

あなたを包む闇は、真昼のようになる。

11主は常にあなたを導き

焼けつく地であなたの渇きをいやし

骨に力を与えてくださる。

あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。

12人々はあなたの古い廃虚を築き直し

あなたは代々の礎を据え直す。

人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び

「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。

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第2朗読  2コリント 5:20b~6:10 (新331)

キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。 21罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

 

6:1わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。 2なぜなら、

「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。

救いの日に、わたしはあなたを助けた」

と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。 3わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、 4あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、 5鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、 6純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、 7真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、 8栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、 9人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、 10悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。

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福音書  マタイ 6: 1~ 6,16~21 (新71)

1「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。 3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。 4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

5「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 

16「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 17あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。 18それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

19「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 20富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 21あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

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2021年2月21日 四旬節第1主日(紫)

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第1朗読 創世記 9: 8~17 (旧11)

第2朗読 1ペトロ 3:18~22 (新432)

福 音 書 マルコ 1: 9~15 (新61)

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Of. 25改1(詩篇25:1-10)

主(しゅ)よ、わたしの魂(たましい)はあなたを仰(あお)ぎ望(のぞ)みます。

    わたしの神(かみ)よ、あなたに依(よ)り頼(たの)みます。

どうか、わたしが恥(はじ)を受(う)けることのないように、

    敵(てき)が誇る(ほこ)ことのないようにしてください。

あなたに望み(のぞ)をおく者(もの)はだれも、決して(けっ)恥(はじ)を受(う)けることはありません。

    いたずらに欺(あざむ)く者(もの)が恥(はじ)を受(う)けるのです。

主(しゅ)よ、あなたの道(みち)をわたしに示(しめ)し、

    あなたに従(したが)う道(みち)を教(おし)えてください。

あなたのまことにわたしを導(みちび)いてください。教えて(おし)ください。

    あなたはわたしを救って(すく)くださる神(かみ)。絶(た)えることなくあなたに望(のぞ)みをおいています。

主(しゅ)よ、思(おも)い起(お)こしてください。

    あなたのとこしえの憐(あわ)れみと慈(いつく)しみを。

わたしの若(わか)いときの罪(つみ)と背(そむ)きを思(おも)い起(お)こさず、

    慈(いつく)しみ深(ふか)く、み恵(めぐ)みのために、主(しゅ)よ、わたしをみ心(こころ)に留(と)めてください。

主(しゅ)は恵(めぐ)み深(ふか)く正(ただ)しく、

    罪(つみ)人(びと)に道(みち)を示(しめ)してくださいます。

主(しゅ)は正(ただ)しい裁(さば)きで貧(まず)しい人(ひと)を導(みちび)き、

    その道(みち)をへりくだる人(ひと)に教(おし)えてくださいます。

その契(けい)約(やく)と定(さだ)めを守(まも)る人(ひと)にとって

  主(しゅ)の道(みち)はすべて、慈(いつく)しみとまこと。

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Pr.

聖(せい)なる神(かみ)様(さま)・天(てん)の父(ちち)(or天(てん)の父(ちち)・聖(せい)なる神(かみ)様(さま))。あなたはノアたちを洪(こう)水(ずい)から救(すく)い、荒(あ)れ野(の)の誘(ゆう)惑(わく)から御(み)子(こ)を守(まも)られました。洗(せん)礼(れい)の賜(たま)物(もの)によって私(わたし)たちを新(あら)たにし、天(てん)使(し)たちが共(とも)にいて、悪(あ)しき敵(てき)が私(わたし)たちに力(ちから)を振(ふ)るうことができないようにしてください。あなたと聖(せい)霊(れい)とともにただ独(ひと)りの神(かみ)、永(えい)遠(えん)の支(し)配(はい)者(しゃ)、御(み)子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。アーメン

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第1朗読 創世記 9: 8~17 (旧11)

8神はノアと彼の息子たちに言われた。

9「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。 10あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。 11わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」

12更に神は言われた。

「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」

17神はノアに言われた。

「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

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第2朗読  1ペトロ 3:18~22 (新432)

18キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。 19そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。 20この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。 21この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。 22キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。

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福音書  マルコ 1: 9~15 (新61)

9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

12それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。 13イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

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2021年2月28日 四旬節第2主日(紫)

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第1朗読 創世記 17: 1~ 7,15~16 (旧21)

第2朗読 ローマ 4:13~25 (新278)

福 音 書 マルコ 8:31~38 (新77)

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Of. 22/2(詩篇22:24-32)

主(しゅ)を畏(おそ)れる人(ひと)々(びと)よ、主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。

    ヤコブの子(し)孫(そん)は皆(みな)、主(しゅ)に栄(えい)光(こう)を帰(き)せよ。イスラエルの子(し)孫(そん)は皆(みな)、主(しゅ)を恐(おそ)れよ。

主(しゅ)は貧(まず)しい人(ひと)の苦(くる)しみを決(けっ)して侮(あなど)らず、さげすまれず、

    み顔(かお)を隠(かく)すことなく、助(たす)けを求(もと)める叫(さけ)びを聞(き)いてくださいます。

それゆえ、わたしは大(おお)いなる集(しゅう)会(かい)で、あなたに讃(さん)美(び)をささげ、

    神(かみ)を畏(おそ)れる人(ひと)々(びと)の前(まえ)で、感(かん)謝(しゃ)の献(ささ)げ物(もの)をささげます。

貧(まず)しい人(ひと)は食(た)べて満(み)ち足(た)り、主(しゅ)を尋(たず)ね求(もと)める人(ひと)は主(しゅ)を讃(さん)美(び)します。

    いつまでも健(すこ)やかな命(いのち)が与(あた)えられますように。

地(ち)の果(は)てまで、すべての人(ひと)が主(しゅ)を認(みと)め、みもとに立(た)ち帰(かえ)り、国(くに)々(ぐに)の民(たみ)がみ前(まえ)にひれ伏(ふ)すように。

    王(おう)権(けん)は主(しゅ)にあり、主(しゅ)は国(くに)々(ぐに)を治(おさ)められます。

命(いのち)に溢(あふ)れてこの地(ち)に住(す)む者(もの)はことごとく主(しゅ)にひれ伏(ふ)し、

    塵(ちり)に下(くだ)った者(もの)もすべてみ前(まえ)に身(み)を屈(かが)めます。

わたしの魂(たましい)は必(かなら)ず命(いのち)を得(え)、子(し)孫(そん)は神(かみ)に仕(つか)え、主(しゅ)のことを来(き)たるべき代(よ)に語(かた)り伝(つた)え、

    成(な)し遂(と)げてくださった恵(めぐ)みのみ業(わざ)を、代(よ)々(よ)の民(たみ)に必(かなら)ず告(つ)げ知(し)らせる。

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Pr.

神(かみ)様(さま)。あなたは、御(み)子(こ)の苦(くる)しみによって、死(し)と辱(はずかし)めの十(じゅう)字(じ)架(か)を、私(わたし)たちを生(い)かす手(しゅ)段(だん)としてくださいました。私(わたし)たちが主(しゅ)の十(じゅう)字(じ)架(か)に栄(えい)光(こう)を見(み)いだし、御(み)子(こ)のゆえに恥(はじ)と損(そん)失(しつ)を受(う)け入(い)れることができますように。あなたと聖(せい)霊(れい)とともにただ独(ひと)りの神(かみ)、永(えい)遠(えん)の支(し)配(はい)者(しゃ)、御(み)子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。アーメン

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第1朗読 創世記 17: 1~ 7,15~16 (旧21)

1アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。

「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。 2わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」 3アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。

4「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。 5あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。 6わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。

7わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。

 

15神はアブラハムに言われた。

「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。 16わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」

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第2朗読  ローマ 4:13~25 (新278)

13神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。 14律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。 15実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。 16従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。 17「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。 18彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。 19そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。 20彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 21神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。 22だからまた、それが彼の義と認められたわけです。 23しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、 24わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。 25イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

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福音書  マルコ 8:31~38 (新77)

31それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 32しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 34それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 35自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。 36人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。 37自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 38神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」

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