2021年1月7日木曜日

主日日課の学び(石居正巳先生) B年  顕現後第4  マルコ1:21-28

 顕現後第4    申命18:15-20  1コリント8:1-13 マルコ1:21-28 


1)主の伝道の生涯における最初の出来事はカファルナウムで起こった。会堂における汚れ

 た霊につかれた者の癒しは、主イエスの教えが持っている権威を示している。それが主

 の教えの新しさであった。内容の新しさよりも、主ご自身の持ちたもう力が圧倒的であ

 ったのだ。

2)マタイは山上の説教のあとに、人々は権威ある者として教えられた主に驚いたと言って

 いる(マタイ7:29) 。しかしマルコは、主の宣教の最初に、そのみことばが権威(力)

 を持つものであることを、汚れた霊を追い出された奇跡によって示している。汚れた霊

 とか悪霊とか言われるのは、神に敵対する悪魔的な力を指す。当時の人々は、神と悪魔

 が対立する形で世界を考えていたが、まさにその敵対する力を追い払いたもうた主のこ

 とばとみわざを示すのである。主が教えられたことの内容は示されていないが、おそら

 くルカ4:21に記されているように、聖書が語っていることが主イエスにおいて実現した

 ことを告げられたのであろう。それは決して聖書学者たちが語るような権威でなく、ご

 自身が持ちたもう力であった。そしてまさに人々が公に礼拝し祈る場所である会堂で、

 みことばをもって霊を追い出されたのである。

3)マルコによる福音書はほかの福音書よりも多く、主の奇跡を記している。実際その全体

 の約1/3 が奇跡譚になっている。悪霊を追い出してくださった例は、5:1 以下、7:24以

 下、9:14以下にも出てくる。それはおそらく、現在の精神科に属する病気の癒しであっ

 たのだろうが、単に癒しの奇跡というだけでなく、主イエスが神の権威をもっておられ

 たことを指し示している。特徴的なことは、汚れた霊に取りつかれた男が、誰よりも早

 く主の正体を見ていることである。もちろんそれは汚れた霊が、主を感知して、男の口

 を通して語ったことに違いない。

4)主イエスは汚れた霊を滅ぼしに来た者、従って汚れた霊に悩まされている人間にとって

 は救いをもたらす「神の聖者」と言い表された。聖者は聖なる神、または神から遣わさ

 れて神を代表する者を指しており、イエスが神よりの超越的な権威をもつお方であるこ

 とを示している。天使ガブリエルはマリアへの受胎告知で「生まれる子は聖なる者、神

 の子と呼ばれる」(ルカ1:35) と告げた。ヨハネ福音書におけるペトロの告白は「あな

 たこそ神の聖者であると私たちは信じ、また知っています」(ヨハネ6:69) ということ

 であった。従って神の聖者は、救い主を指しているということもできる。そのように大

 事な言い表しを、汚れた霊につかれた人が言うのは奇妙な気もするが、「あなたは『神

 は唯一だ』と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じておののいている」(ヤ

 コブ2:19) と言われているように、主に対して最も敏感なのは神に敵対する力に属する

 者にほかならない。単に主を認めることだけでなく、それが自分にどういう結果をもた

 らすものとして迎えられるのかを考えなくてはならない。


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