2022年6月25日土曜日

説教メッセージ 20220626

 今週の聖書の言葉 ルカ9:51~62 (新124) 

9:51イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。 52そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。 53しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。 54弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。 55イエスは振り向いて二人を戒められた。 56そして、一行は別の村に行った。

57一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。 58イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」 59そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 60イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」 61また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 62イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。


説教

「主よ、あなたに従います。しかし…」徳弘浩隆牧師

1.物事には順序というものが…

何をするにも順序という大切なものがあります。ブラジルのホテルでの朝食で驚いたことがありました。果物を食べていた人がそれが終わると大きなお皿で料理を取りに行きました。「デザートの果物の後にもう一回り料理を食べるのだろうか?」と驚きましたが、よく観察するとそんな人が多くて、まず最初に果物を食べるということでした。果物がおいしくて安いブラジルならではなのかもしれません。血糖値を緩やかに上げてくれて、しかも食物繊維を先に摂るのが健康のために良いとも言われるそうで、ところ違えば順番が違うということもあるのかと驚いたのを覚えています。

私たちと、神様の関係はどうでしょうか?何を先にしていくべきでしょうか?今日はそんな話が聖書から教えられています。

2.聖書

今日の出来事は、イエス様の生涯の大きな節目の一つです。聖書研究会でも学んでいますが、ルカは3つのパートに分けられ、最初の教えや出来事から弟子たちの信仰が強められ、ペトロが信仰告白をし変容の出来事がありました。そこでこの9章の後半部分から二つ目のパートに移るところです。最後の時が近づいたのを悟って、エルサレムへの旅を始められるイエス様の出来事です。

旅立つときに弟子たちを先に派遣されてその土地を探らせました。サマリヤはイエス様の一行がやってきてエルサレムに向かうのを歓迎しませんでした。サマリヤはアッシリアに北イスラエル王国が滅ぼされた後アッシリア人が政策的に多く入植させられ宗教的に混乱しました。もともと、エルサレムと離れた王国は別の神殿を独自に立てて、亜流のようになっていました。かれらは南のエルサレム神殿へ行く彼らを快く思わなかったのでしょう。弟子たちはエリアの時のように火を投じて滅ぼしてしまおうかと提案しますが、イエス様は戒めて目的遂行のために別の村へ行きます。そこで数人と出会います。自分から「どこにでもついて行く」という人には安住の地はないといわれました。イエス様の方から「ついてきなさい」と言った人は「先に父の葬りをしてから」と返事をし、それにイエス様は「死人のことは死人に任せて、あなたは神の国を言い広めなさい」と言われます。そして「あなたに従いますが、まず先に家族にいとまごいを」という人には「神の国にふさわしくない」と厳しい言葉を返されました。

3.振り返り

物事には順序があり、世の中の大切なことはあります。イエス様はなぜこんなにも冷酷で非常識とも取れることを言われたのでしょうか? 私たちもいつもそんな風に神様を最優先して、家族や親せきとも対立していかねばならないのでしょうか?

いつもいつも、神様を最優先して社会のルールや調和を無視して良いということではありません。時折、熱心すぎる信仰者は、そのようにふるまい、対立し、先鋭化し、問題にもなっていくこともあるでしょう。気を付けねばなりません。今日の旧約聖書では、預言者エリアと後継者エリシャの出会いでしたが、牛で畑を耕していたエリシャは、両親に別れの挨拶をする猶予を乞うてゆるされたのでした。預言者の働きと、キリストに従うということは意味の大きさが違いますが、ゆるされる常識的範囲でした。

しかし、反対に、神様の目から見て大切な時にも、今までの生活や常識にとらわれていては、大きな過ちを犯し、神様から遠ざかってしまうことになるでしょう。

大切なことは、「神様の目から見た時」ということだと私たちは見極めなければなりません。

9章の後半からは、主にイエス様が旅の途中で語った教えやたとえ話がまとめられています。イエス様に従うことを、旅になぞらえているのです。大切な時が来た時に、イエス様の話を聞き、出来事を見ながら、自分もその旅について行くかどうか、それが問われるです。

旅行先でこの電車を逃したら大変という時、どうするでしょうか?今の日本では物事がきっちりとしすぎていて融通が利かないかもしれませんが、スペインで新幹線に乗りたいけれどぎりぎりで間に合いそうにない時がありました。あわただしく駅員さんに相談すると、「大丈夫、とにかく乗って!チケットは中で何とかなるから」と私たちを追いやって乗せてくれました。物事の順序を考えている場合ではないのですね。私たちの、人生という大切な電車はどうでしょうか?「あれこれ言わずに、さあ、乗りなさい。今のあなたには、これが一番大切じゃないのか?」と招いておられるイエス様がおられるのです。

4.勧め

教会だよりにも詳しく書きましたが、6月24日は、教会の古くからの風習では、洗礼者ヨハネの日でもありました。それはちょうど「夏至」の時期でもあります。この日を境に太陽は「力を失い」日が短くなっていきます。秋分の日に昼と夜が同じ長さになり、「冬至」には夜が一番長くなります。その日を境に、太陽は「力を取り戻し」日が長くなり徐々に暖かくなっていきます。そんなころにイエスキリストの誕生を祝うクリスマスが定着しました。暗闇に光としてこられたキリストの誕生を祝うのにちょうどよい日です。私たちの人生にも、「この日を境に」という日があります。神様の目から見たら、私たちの人生に大切な変わり目があるでしょう。そのとき、私たちは、今までの考えや常識を超えて、何かを信じ、何かを決断すること、そんなことも大切です。

あなたの祈りは何でしょうか?神様の願いは何でしょうか?今やることは何でしょうか?そんなことを祈りながら、生活しましょう。神様の願いが分かったら、「神様、従います。でも、ちょっとあれを先に」と言わないようにしましょう。神様の導きと祝福をお祈りします。

 

 

 

キリスト教ワンポイント講座

「サン・フアンの日?」そして、「Festa Junina (フェスタ・ジュニーナ)」

6月24日はスペインなどではサン・フアンの日といって、お祭りがあります。人形を燃やしたり、大きな焚火をしたり、それを飛び越えたり、花火も上がるというもの。実はこの時期、ボンファイヤーともいう大きな焚火をするお祭りはヨーロッパにいくつもあるようです。ルーテル教会の国フィンランドでもそうでした。これは北半球の季節の変わり目と、聖書の洗礼者ヨハネに関係する大きなお祭りでもあります。

ルカによる福音書によると天使ガブリエルがキリストを宿すマリヤにするお告げによると、洗礼者ヨハネは6か月前に親類エリザベツに宿っています。有名な洗礼者ヨハネとイエス様は6か月の歳の差となります。

イエス様がお生まれになったことを祝うクリスマスは12月25日ですから、洗礼者ヨハネは6月25日ころとなるでしょう。クリスマスの日程は聖書には出てきませんが、325年のニカイヤ公会議でも議論されいくつも候補があったそうですが、ローマ暦の冬至の日が「降誕を祝う祝日」として定着していきます。古代ローマの宗教やローマ神話の「不滅の太陽が生まれる日」としての「冬至」が影響したともいわれます。

夜と昼の長さが同じ日は「春分の日」と「秋分の日」、そして夜が一番長い日でありその日を境に昼が長くなる、つまり太陽が力を持ち始めるともいえる日が「冬至」です。暗闇の世に光として来られた方、キリストの誕生を祝うのにちょうどよい日となります。そうなると、その6か月前は「夏至」ですね。昼が一番長い日、そしてその日を境に太陽は力を失っていく日が、洗礼者ヨハネの日となります。人々を悔い改めさせ、キリストを迎える準備をし、やがて使命を終えて影響力を失っていく使命のヨハネとも重なります。そう、スペイン語のサン・フアンはSaint Jhon、聖ヨハネ(洗礼者ヨハネのほう)のことです。火をたくいくつかのお祭りは、夏至の日に力を失い始める太陽に、焚火をして応援する意味合いもあるとか。

興味深いことに、南半球にもこの習慣は持ち込まれ、ペルーでもありますし、ブラジルではSão João(洗礼者聖ヨハネ)の日とされFesta Junina(6月祭り)が有名です。この日は南半球では「夏至」ではなくて「冬至」なのにです。面白いですね。地域の田舎祭りと融合し田舎風の服装で楽しみます。私たちも夏日が続きますが、暑い暑いと嘆くばかりでなくて、季節感とともに、神様の不思議な出来事を味わうのもよいかもしれませんね。


2022年6月24日金曜日

祈りのこよみ202207

 

祈りのこよみ 2022年7月の祈り

沼津教会を覚えて

  東 和春 牧師(説教応援)

  信徒代議員

年間主題「『まことの礼拝』を求めて」

年間聖句「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。」(ヨハネ4:23a)

7月3日

◆沼津の地に福音伝道をすることができますように。

◆教会員が一致協力して礼拝に与ることができますように。

◆高齢者も若い方も喜んで礼拝に参加する教会になれますように。

富士教会を覚えて

  信徒代議員

 

主題聖句「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」(Ⅰコリント12:27)

7月10日

◆説教奉仕をしてくださる木下海龍牧師の健康が守られますように。

◆教会員一人ひとりの健康が支えられ、試練に打ち克つ強い信仰を持つことが出来ますように。また、信徒礼拝が守られますように。

清水教会を覚えて

秋久 潤 牧師

年間主題「現在と過去を知る ― かつて起こったことは、これからも起こる ―」

主題聖句「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3:1)

 

7月17日

◆移民を大切にすることができますように。

◆喜びと悲しみを分かち合いつつ、福音を宣べ伝えられますように。

◆ご高齢の方、病を抱えておられる方の健康が支えられ、主にある交わりが保たれますように。

静岡教会を覚えて

光延 博 牧師

 

年間主題「助け合う」

年間聖句「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(ルカ322

 

    音羽町礼拝所   ひかり礼拝所

7月24日

◆病を背負いつつ過ごしている兄弟姉妹に、共におられる主の平安と御癒しがありますように。

◆つらさを抱えた家族と共にいてケアをしている兄弟姉妹に、日々主の守りとお支えがありますように。

◆弱さを大切にし、想い合い、助け合う交わりをなしていけますように。

小鹿教会を覚えて

秋久 潤 牧師

年間主題「現在と過去を知る ― かつて起こったことは、これからも起こる ―」

主題聖句「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3:1)

7月31日

◆御言葉によって、地域と教会のつながりが強められますように。

◆子どもたちが、神さまの愛により大切にされますように。

◆ご高齢の方、病を抱えておられる方の健康が支えられ、主にある交わりが保たれますように。

2022年6月21日火曜日

詩篇・賛美唱 202207

 2022年7月3日(日) 聖霊降臨後第4主日 緑

イザヤ66:10-14・ガラテヤ6:(1-6),7-16・ルカ10:1-11,16-20

賛美唱 詩66:1-9

全地よ、神に向かって喜びの叫びをあげよ。み名の栄光をほめ歌え。

  栄光に讃美を添えよ。神に向かって歌え。

「み業はいかに恐るべきものでしょう。

  み力は強く、敵はあなたに服します。

全地はあなたに向かってひれ伏し、

  あなたをほめ歌い、み名をほめ歌います」。

来て、神のみ業を仰げ、

  人の子らになされた恐るべきみ業を。

神は海を変えて乾いた地とされた。人は大河であったところを歩いて渡った。

  それゆえ、我らは神を喜び祝った。

神はとこしえに力強く支配し、その目は国々を見渡す。

  背く者は驕ることを許されない。

諸国の民よ、我らの神を祝し、

  讃美の歌声を響かせよ。

神は我らの魂に命を得させてくださる。

  我らの足がよろめくのを許されない。

祈祷

私たちの主イエスの父である神様。あなたはシオン、私たちを守る町、慰めの母です。あなたの平和を世界中

に広めるために、私たちの人生の旅路をあなたの霊が共に歩んでください。救い主、主イエス・キリストによ

って祈ります。


2022年7月10日 (日) 聖霊降臨後第5主日 緑

申命記30:9-14・コロサイ1:1-14・ルカ10:25-37

賛美唱 詩編25:1-10

主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望みます。

  わたしの神よ、あなたに寄り頼みます。

どうか、わたしが恥を受けることのないように、

  敵が誇ることのないようにしてください。

あなたに望みをおく者はだれも、決して恥を受けることはありません。

  いたずらに欺く者が恥を受けるのです。

主よ、あなたの道をわたしに示し、

  あなたに従う道を教えてください。

あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください。

  あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みを置いています。

主よ、思い起こしてください。

  あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。

わたしの若いときの罪と背きを思い起こさず、

  慈しみ深く、み恵みのために、主よ、わたしをみ心に留めてください。

主は恵み深く正しく、

  罪人に道を示してくださいます。

主は正しい裁きで貧しい人を導き、

  その道をへりくだる人に教えてくださいます。

その契約と定めを守る人にとって

  主の道はすべて、慈しみとまこと。

祈祷

主なる神様。あなたの憐れみに私たちは喜び踊り、世はあなたの慈しみを待ち望みます。貧しい者たちの叫び


を聞いてください。御子の愛をもって隣人を愛することができるようにしてください。救い主、主イエス・キ

リストによって祈ります。


2022年7月17日 (日) 聖霊降臨後第6主日 緑

創世記18:1-10a・コロサイ1:15-28・ルカ10:38-42

賛美唱 詩編15

主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、

  聖なる山に住むことができるのでしょう。

それは、完全な道を歩き、

  正しいことを行う人。

心に真実の言葉があり、

  舌に中傷をもたない人。

友に災いをもたらさず、

  親しい人を嘲らない人。

主の目にかなわないものは退け、主を畏れる人を尊び、

  悪事をしないとの誓いを守る人。

金を貸しても利息を取らず、

  賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。

これらのことを守る人は、

  とこしえに揺らぐことはありません。

祈祷

永遠の神様。あなたは御子キリストの姿で私たちのもとを訪れてくださいます。日々の雑用に追われても、あ

なたに気づき、御言葉を何よりも大切にすることができるように導いてください。救い主、主イエス・キリス

トによって祈ります。


2022年7月24日 (日) 聖霊降臨後第7主日 緑

創世記18:20-32・コロサイ2:6-15,(16-19)・ルカ11:1-13

賛美唱 詩編138

主よ、わたしは心を尽くして感謝し、

  神のみ前でほめ歌をうたいます。

聖なる神殿に向かってひれ伏し、

  あなたの慈しみとまこととのゆえに、み名に感謝をささげます。

そのみ名のすべてにまさって、

  あなたは仰せを大いなるものとされました。

呼び求めるわたしに答え、

  あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました。

地上の王は皆、あなたに感謝をささげます。

  あなたの口から出る仰せを彼らは聞きました。

主の道について彼らは歌う。

  主の大いなる栄光を。

主は高くいましても、低くされている者を見ておられます。

  遠くにいましても、傲慢な者を知っておられます。

わたしが苦難の中を歩いているときにも、敵の怒りに遭っているときにも

  わたしに命を得させてください。み手を遣わし、右のみ手でお救いください。

主はわたしのために、すべてを成し遂げてくださいます。

  主よ、あなたの慈しみが、とこしえにありますように。み手の業をどうか離さないでください。

祈祷


生きておられる全能の神様。あなたは私たちが祈る前から私たちの祈りに耳を傾け、思いと願いをはるかに超

えて聞き届けてくださいます。あなたの豊かな憐れみを注いでください。良心の咎(とが)を赦し、ただ御子

のみが賜ることができる良きものを与えてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。


2022年7月31日 (日) 聖霊降臨後第8主日 緑

コヘレト1:2,12-14;2:18-23・コロサイ3:1-11・ルカ12:13-21

賛美唱 *詩編49:2-13

諸国の民よ、これを聞け。この世に住む者は皆、耳を傾けよ。

  人の子らはすべて、豊かな人も貧しい人も。

わたしの口は知恵を語り、わたしの心は英知を思う。

  わたしは格言に耳を傾け、竪琴を奏でて謎を解く。

災いのふりかかる日、わたしを追う者の悪意に囲まれるとき、

  どうして恐れることがあろうか、宝を頼みとし、富の力を誇る者を。

神に対して、人は兄弟をも贖いえない。

  神に身代金を払うことはできない。

魂を贖う値は高く、

  とこしえに、払い終えることはできない。

人は永遠に生きようか。

  墓穴(はかあな)を見ずにすむであろうか。

人が見ることは、知恵ある者も死に、無知な者、愚かな者と共に滅び、

  財宝を他人に遺さねばならないということ。

自分の名を付けた地所(じしょ)を持っていても、その土の底だけが彼らのとこしえの家、代々に、彼らが住

まう所。

  人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい。

祈祷

慈しみ深い神様。あなたは私たちの命の源、道しるべ、そして目標です。愛すべきものを愛し、あなたに逆ら

うものを拒み、あなたの目に貴いものを大切にすることを教えてください。救い主、主イエス・キリストによ

って祈ります


2022年7月3日 (日) 使徒トマス 赤

士師6:36-40・エフェソ4:11-16・ヨハネ14:1-7

讃美唱 詩編136:1-4,23-26

恵み深い主に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。

神の中の神に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。

主の中の主に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。

ただひとり驚くべき大きな御業を行う方に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。

低くされたわたしたちを御心に留めた方に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。

敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。

すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。

天にいます神に感謝せよ。

  慈しみはとこしえに。


祈祷

永遠の神様。あなたは使徒トマスに御子の復活を固く信じる確かな信仰を与えました。私たちもイエス・キリ

ストを信じる信仰を告白できるように強めてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、

御子、主イエス・キリストによって祈ります。


2022年7月22日 (金) 主の復活の証言者マグダラのマリア 白

ルツ1:6-18又は出エジプト2:1-20・使徒13:26-33a・ヨハネ20:1-2,11-18

讃美唱 詩編73:23-28

あなたがわたしの右の手を取ってくださるので

  常にわたしは御もとにとどまることができる。

あなたは御計らいに従ってわたしを導き

  後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。

地上であなたを愛していなければ

  天で誰がわたしを助けてくれようか。

わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが

  神はとこしえにわたしの心の岩、わたしに与えられた分。

見よ、あなたから遠ざかる者は滅びる。

  御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。

わたしは、神に近くあることを幸いとし、主なる神に避けどころを置く。

  わたしは御業をことごとく語り伝えよう。


祈祷

全能の神様。御子はまず使徒マグダラのマリアに喜ばしい復活の知らせを託しました。彼女の証に倣って、私

たちも生ける主キリストを告げ知らせ、いつの日か栄光の主と出会うことができますように。あなたと聖霊と

ともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。


2022年7月25日(月) 使徒ヤコブ 赤

列王記上19:9-18・使徒11:27-12:3a・マルコ10:35-45

讃美唱 *詩編7:2-11

わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。

  わたしを助け、追い迫る者から救ってください。

獅子のようにわたしの魂を餌食とする者から

  だれも奪い返し、助けてくれないのです。

わたしの神、主よ。もしわたしがこのようなことをしたのなら、

  わたしの手に不正があり、仲間に災いをこうむらせ、敵をいたずらに見逃したなら、

敵がわたしの魂に追い迫り、追いつき、

  わたしの命を地に踏みにじり、わたしの誉れを塵に伏せさせても当然です。

主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり、憤りをもって身を起こし、

  わたしに味方して奮い立ち、裁きを命じてください。

諸国をあなたの周りに集わせ、

  彼らを超えて高い御座に再び就いてください。

主よ、諸国の民を裁いてください。主よ、裁きを行って宣言してください。

  お前は正しい、とがめるところはないと。

あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし、

  あなたに従う者を固く立たせてください。

心とはらわたを調べる方、神は正しくいます。

  心のまっすぐな人を救う方、神はわたしの盾。


祈祷

恵みあふれる神様。イエス・キリストの名ゆえに、使徒十二人の中で最初に殉教したあなたの僕、ヤコブを今

日私たちは覚えています。自分を捨てて仕えることこそ権威のまことのしるしです。あなたの教会の指導者た

ちにこの霊を注いでください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリス

トによって祈ります。

2022年6月18日土曜日

説教メッセージ 20220619

今週の聖書の言葉 ルカ8:26~39 (新119)

8:26一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。 27イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。 28イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」 29イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。 30イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。 31そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。

32ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。 33悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。 34この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。 35そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。 36成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。 37そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。 38悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。 39「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。


説教「しがらみから自由になるには」徳弘牧師

1.オカルト的なもの?…

今日は、イエス様の悪霊に取りつかれている一人の男との出会いと解決、それを取り巻く人々の反応が伝えられています。数千の悪霊に取りつかれている男から悪霊を追い出し、それが豚に乗り移り崖から落ちるように湖になだれ込んで溺れ死んだという出来事。何やら「おどろおどろしい」話で、驚いたり、オカルト的でそういう話が好きな方もおられるかもしれません。逆に、今の社会でもそんなことがあるんだろうかと怪訝に思ったりする方も多いでしょう。

この出来事の意味や、今の私たちに教える神の声を一緒に学び、聞いていきましょう。


2.聖書

今日の出来事の舞台はゲラサ人の地方でデカポリスの中の一つ。デカポリスとはギリシャ語で「10の街」という意味で、ユダヤですがギリシャ植民地で他宗教の影響も強く、ユダヤ教の中では軽蔑さえされていた異教の色濃い場所でした。

登場人物は、1)悪霊につかれた男、2)豚の大群、3)悪霊から解放された男、4)街の人たち、です。

1)悪霊につかれた男はイエス様を見ると「かまわないでくれ、苦しめないでくれ」といいます。底なしの淵へ行けと命じてほしくなかったので、せめてそばにいた豚の大群の中に入ることを願い、イエス様に許されます。2)すると豚の大群は崖から湖になだれ落ちて死んでしまいました。3)その後この悪霊につかれていた男は、すっかりと癒され、服を着、正気になってイエス様の足もとに座っていました。4)それを見た街の人たちは、ほかの多くの聖書の出来事と違って、つまり、イエス様の奇蹟によって神を信じ驚いたり回心したのではありませんでした。ただ恐れて、ここから立ち去ってほしいと、イエス様を排除しました。

ただ一人、イエス様についていきたいと願ったのは、先ほどまで悪霊につかれていた男の人でした。


3.振り返り

さて、この聖書の話を聞いて、どういう神様のメッセージを聞くべきでしょうか。いろいろな説明や説教をすでにお聞きになった方も多いでしょう。それぞれ、教えられることはたくさんあると思います。

現代の私たちは目の前で悪霊を追い出すようなことはあまり見ませんし、私たちの教会はそれを特に強調する教派でもありません。もちろん、そういう事はあると聖書に従って信じています。ではいまそれが無い私たちの身の回りには関係のない話かというと、そうではありません。

私達も、「心配や問題に取りつかれている」ことはあるからです。それをどうすることもできなくて、閉じこもったり、縛りつけている心があるかもしれません。そんな私に、キリストはどうかかわってくださるのか。そして、自分を自由にしてくれた時、それを見たり当事者として体験したときに、どうするか、どうすべきか、そんなことを振り返らされました。

自分たちの生きざまを思いめぐらせながら今週の聖書を読んでいて、脳裏をかすめ、ずっと頭を離れなかったキーワードは「しがらみ」という言葉でした。

悪霊につかれた男も、その人と付き合い困っていたり厄介者扱いをしていた街の人も、彼が癒されて問題解決した姿を見た街の人も、それぞれの常識や判断、意見、風習という「しがらみ」に捕らえられていました。だから問題解決できず、共存もできず、解決した奇蹟を見ても、そこから抜け出して神様に出会うことも新しい自分に出会うこともできませんでした。

私たちは、どうでしょうか?キリストのことばを、聖書のなかの奇蹟を、そして神様のことを見たり聞いたりしながら、いままでの「しがらみ」にとらわれたままという事はないでしょうか?それだと、神様の大きな御業もただ恐ろしいものに見えるかもしれません。あるいは、たくさんの問題を抱えて生きていながら、解決するのは大変だし、神様の正しさや愛を知っても今までの「適当な自分の生き方」がちょうどよいと安住するかもしれません。むしろ、自分の問題を指摘されるとつらいので、あまりかかわってほしくないと、自分で距離を置いてしまうかもしれません。それは、他者との関係でも、自分自身との関係でもです。

「しがらみ」という言葉は、本来、川に杭を打ち並べてそれに木や竹を横に結びつけたもので水をせき止める柵(さく)を指しているそうです。そして、そのイメージの通り漢字は「柵」と書き、柵という字を「しがらみ」とも読みます。マイナスのイメージに使われる時は、引き留め、まとわりつき、邪魔をするもの、という具合になります。

本来なら水をせき止める大切なものでも、自分と他者や神様との間で柵(しがらみ)になって神様や他者を、素直に受け入れることができなくてはいけません。自分の神様を求める心に、今までの常識や人の目という柵(しがらみ)がまとわりついて、神様に届かないなら、それはないほうが良いのです。

4.勧め

そんな中、悪霊を追い出してもらった男その人だけが、イエス様を信じて従っていこうとしました。素晴らしいことです。しかし、なんと、イエス様はそれを思いとどまらせました。「あなたには使命がある」という事でした。私についてくることだけではなくて、この街にとどまり、異教やその中に安住することを選ぶ人々に、「神がなさったことをことごとく話して聞かせることが、あなたの使命だ」という事でした。

今までの常識や人の評価、しがらみは、まとわりついて面倒なものですけれど、時としてそれが、いろいろなものをボヤカし、間違っているとわかっていながら荒波を立てずに生きていくために、ちょうどよいクッションだったのかもしれません。神に出会い、それを捨てる覚悟をすることが、しがらみからの解放です。それから解放されて、本当の神様のお考えを知り、神を信じ人を愛し、みなが安心して生きていける社会を作るために、それぞれの使命へ取り組みましょう。

あなたの「しがらみ」は何ですか?神様に取り払っていただきましょう。安心の人生が始まります。そして、あなたには使命、神様の願いもあります。みつけましょう。

  

キリスト教ワンポイント講座 「教会の特有の暦」

聖霊降臨祭、三位一体主日と続きましたが、今日から教会のカレンダーは少し様子が変わります。聖壇や牧師のストールの色が緑色に変わったとお気づきの方もいらっしゃるでしょう。教会の暦、教会暦の説明です。

教会の暦は、クリスマスを待ちお祝いするときから始まります。イエス様のご生涯を追いながらクリスマスからいくつかの教えや奇蹟、そして十字架、復活、昇天、聖霊降臨という出来事を読み、一連の出来事を一緒に体験してきました。そして今日からの残す期間は、ルカによる福音書の今年読んでこなかったイエス様の教えや出来事を学ぶ期間となります。ちなみに来年はマタイ、その次はマルコというサイクルになっています。さて、この緑色の期間は11月末くらいまで続きます。その色の意味の通り、緑の木々のように、私たちの信仰が「成長」するために聖書に聞き従い、教会で、神様が下さった家族とともに、ともに生きる期間です。そんなふうに、教会で一緒に過ごしましょう。


 


2022年6月12日日曜日

説教メッセージ 20220612 三位一体主日

説教メッセージ 20220612 三位一体主日

今週の聖書の言葉 06月12日 

ヨハネ16:12~15 (新200)

16:12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」


説教「1+1+1=1?」 徳弘浩隆牧師

1.三位一体主日とは…

今日は、教会の暦では三位一体主日。毎年この日がありますから、すでに何度もお聞きのことと思いますが、「父と子と聖霊なる神」をおぼえて礼拝をする日です。先週聖霊降臨日を迎えましたので、父と子と聖霊がそろったとでも言えるタイミングからでしょう。

しかし、毎年いろいろな説明を聞いても、人間の知恵と理解では釈然としないというか、わかりにくいと、よく聞く日でもあります。「1+1+1=3なのに、1のままなの?」という疑問をよく聞きますが、そこで、「+」で足してしまってはいけないと思います。「父である神と、子なる神と、聖霊なる神は、それらは一つである」という風に考えると、少しすっきりします。神に創られた私たちが、創造主である神について完全に理解し認識し定義することはそもそも限界があるはずのものであり、その試みは必ず過ちを導くと、神様にお手上げする面も大切でしょう。

右上にある有名な絵画は、スペインのプラド美術館に収蔵されているエル・グレコという画家が描いた「三位一体」の絵です。父なる神が、子なるイエス・キリストの十字架から降ろされた姿を駆け寄り抱え、その上に聖霊なる神が鳩として表現されています。なんとかこの教えをわかりやすく描こうとした画家のいろいろな試みがあり、いろいろな絵があります。ほかにもコンパスと地球儀を手にした創造主なる神、十字架を持つ救い主なるイエスキリスト、輝きを放つハトは聖霊を表すように描かれているものもあります。

知識で神を知り尽くそうとしても無理な話で、私たちが歴史の中で出会い、教えられ、伝えれられた事柄から神様を見上げるべきなのでしょう。それは、人間が発明した便利な神様でもなく、怖い神様でもありません。神を知るための知的な探求は必要ですし大切ですが、ある程度知ったうえで、その神様はどのようにかかわってくださるか、という事が大切です。聖書の出来事の中で、歴史の中で、そして、この私の人生に、という具合にです。

2.聖書

今日の聖書個所でイエス様はこう告げています。「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と。イエス様もお話になりたいことがたくさんあったのに、弟子たちがまだそれらすべては理解できないから、言われなかったのです。

そして、イエス様ご自身は教義的な説明をされたのではなく、聖霊によって導かれて、真理をことごとく悟ることができるようになると、語られたのです。

私たちを創りいのちを与え、罪にまみれた私たちを命を投げ出して救われ、神様の愛やみこころを理解できなくなった私たちに心理を悟らせるように、神様は私たちにかかわり続けてくださいます。聖霊の働きは勝手なものではなく、イエス様のものを受けて告げるのであり、父なる神が持っておられるものはイエス様のものであり、それらは一つであると説明されました。

3.振り返り

私たち一人一人は、どんなかかわりを神様と持っているでしょうか?いや、むしろそれは逆で、「神様が私たちにかかわってくれている出来事を、私たちはそれに気づき、理解し、悟っているでしょうか?」と問わねばなりません。

それに気づかせてくれる言葉は、今日のローマ書にも書かれています。そのパウロの言葉を頼りに、父なる神様の私たちへのかかわり、イエス様のかかわり、そして今まで理解できなかったことを理解し悟りつつある出来事を考えてみましょう。

今の世界を見てもつくづく思わされるのは、平和がないという事。そして、希望がないという事だと多くの人は同意するでしょう。そして、私たちの人生にも、平和・安らぎと安心はなく、希望がないと思う事が多くあるでしょう。そんな私たちに神様はどのようにかかわって、何を教えてくれているかが大切です。

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」とパウロは言います。イエス・キリストのゆえに、信仰を持つことによって、神との間に平和を得ているのです。天地創造の父なる神は義しい方であり、人の罪をそのままにしておかれませんでした。多くの預言者を送り、訴え、導き出し、懲らしめ、神のもとに戻るよう呼びかけ続けられました。その神の裁きは恐ろしいものでしたが、罪びとの身代わりに死んでくださったイエス・キリストの十字架のゆえに、もはや、神様に裁かれ滅ぼされることはなくなりました。信じ従うものは赦され、平和を得ることができたのです。それで、人生は苦労もなくなったでしょうか?いえ、そうはいっていません。ならば、その苦労から逃げ出すよう努力することが大切でしょうか?そうでもないようです。こう続くからです。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。」なぜでしょうか?苦難にも意味があると、悟ったからです。

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」とパウロの言葉は続きます。

誰もが苦難から逃れたいと思い、それを神様に祈り求めるものですが、物事の表面だけを見ない目が聖霊によって養われると、その深い意味を知ることができるのです。苦難によって、悔い改めさせられ、心砕かれ、その苦労によって、育てられ、神の愛を知ることができる人間にされていくことを経験していくのです。

4.勧め

インターネットなどのおかげで、疑問に対する答えがすぐに手に入る時代になりました。昔なら、図書館に行き、大きな本屋に行き、注文して取り寄せて時間もお金もかけなければならなかったような知識は、手のひらの中のスマホですぐに手に入ります。

しかし、それに慣れすぎて、何もかも知ったように思ってはなりません。何も知らないことを知り、じっくりと考え、耐え、苦しむことからこそ、自分の弱さや傲慢さを知らされて、謙虚にされ、愛のある人間にされていきます。それこそ私たちの平和と安心の生き方であり、そのために神は安易な奇跡で人を変えていくのではなく、苦しみながら新しい人間に変えられていくるのです。そんなことを体験しながら、神様の愛を知る毎日こそ、聖霊によって悟らされる生き方でしょう。そんな生活を一緒にしていきましょう。

 

キリスト教ワンポイント講座 「三位一体」

三位一体は、英語でTrinity(トリニティ)と呼ばれ、スペイン語ではTrinidade(トリニダーデ)と呼ばれます。トライアングルのTriというのは、三角形の3を表す言葉だから覚えやすいですね。しばらく前にペンタゴンの5が出ましたが、今日は3です。そういえば、写真を撮るときの三脚はTri-Podといいます。

そしてこの「トリニダーデ」という言葉は、実はみなさん聞いたことがあるはず。オリンピックなどの国際大会で聞くことができるからです。なぜなら、「トリニダード・トバゴ共和国」という国があるからです。国名の由来の説明では「国名は、主要2島のトリニダード島とトバゴ島を合わせたものである。トリニダード島は、島にある3つの山をキリスト教の教義の三位一体(trinidadは、スペイン語で三位一体のこと)になぞらえて、スペイン人に名付けられた。トバゴ島は、先住民が吸っていたタバコから名付けられた」とあります。興味深いですね。クリスチーナとかクリスチアーノというキリストから来た名前や、スペインではヘスースという名前の人もいますが、これはJesusのスペイン語読み。ブラジルにはEspírito Santo州という州がリオデジャネイロの北にありますが、これは「聖霊州」という意味で、結構身近なところにある名前ですね。ちなみにサンパウロで私たちが住んでいたそばには、「聖霊通り」、「赦し通り」というところもあり、通るたびに苦笑いしたものでした。インターネットの世界地図で探してみませんか?


2022年6月11日土曜日

祈りのこよみ 202206

 日本福音ルーテル教会  東海教区宣教部



祈りのこよみ 2022年6月の祈り

ペンテコステを覚えて

教区・主題「困難の中、変えてはならないことと、変えるべきことを見極め、取り組む。」

教区・主題聖句「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(2テモテ4:2)


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6月5日

◆この聖霊降臨祭に、各教会が祝福され、集められた一人一人が、主イエスの証人となるために高い所からの力を受けますように。

◆聖霊に癒しと力を賜り、困難な社会にあっても、キリストの福音を宣べ伝えられますように。

岐阜教会を覚えて

  後藤 直紀 牧師

年間主題「実を豊かに結ぶ」

主題聖句「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15:5)

6月12日

◆信徒説教者が与えられていることを感謝します。その働きが支えられ、祝福されますように。

◆高齢の方、病気療養中の方、試練の内にある方が守られますように。

◆新しく着任した後藤牧師の働きが守られますように。

東海地域教師会

  退修会を覚えて


日時  6月21日(火)13時半~

場所  浜松教会

テーマ「教区の宣教の諸課題について」


D:\東海教区\祈りのこよみ\2018年祈りのこよみ\ルター紋章・縮小.jpg

6月19日

◆今年は対面とリモートを併用しての退修会です。久しぶりの対面の機会です。よい学びと交わりの機会として過ごせますように。

◆教区の宣教について、活発な意見のやり取りがなされますよう、この退修会を祝してください。

大垣教会を覚えて

  後藤 直紀 牧師

年間主題「実を豊かに結ぶ」

主題聖句「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15:5)

6月26日

◆垂井礼拝堂建築の祈りがかなえられますように。

◆様々な事情で礼拝に集えない方々とのつながりを教会が保ち、皆が安心してイエス様と歩めますように。

◆高齢の方、病気療養中の方、試練の内にある方が守られますように。


2022年6月5日日曜日

説教メッセージ 20220506ペンテコステ

今週の聖書の言葉 06月05日 

使徒言行録2: 1~21 (新214)

1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。


ヨハネ14: 8~17, 25~27 (新196) より

16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

説教「弁護者としての聖霊」 徳弘浩隆牧師

1.弁護者、弁護士?

牧師をしていて、いろいろな方のご相談にのったりしていると、いろんな専門家の方にお会いすることもあります。私の高齢化していく両親のことや、教会のメンバーのことで、ここ数年もケアマネージャーの方や地域の民生委員の方にも会ったりしました。

弁護士の方にも何度か会いました。困ったことで相談を受けた外国人メンバーのために、弁護士さんに予約して一緒に相談に行き、通訳をしました。法テラス制度というのがあって、決められた範囲なら無料でアドバイスを受けることができました。

牧師は一番大切な神様との関係ではいわゆる専門家ですが、この世の社会のすべてのことに万能なわけではなくて、それぞれの専門家に意見を聞いたり、つないで差し上げたりして、一人で抱え込まず、誤ったアドバイスをせず、正しい方向へ解決やお支えに近づけるようにすることも大切だと思っています。

今日は、聖霊降臨祭、ペンテコステです。今日の聖書では、イエス様の言葉で、「父は別の弁護者を遣わせて、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と言われています。弁護者という言葉から、弁護士を連想し、いったいどんな方でどんな働きなのかと、思いめぐらせます。今日の聖書のメッセージを聞いていきましょう。

2.聖書

五旬節というお祭りがもともとユダヤ教で行われていました。ヘブライ語ではシャブオットといわれる大麦の初穂の収穫の50日目に祝われるお祭りで、そのギリシャ語訳でペンテコステといわれます。

過ぎ越しの祭りを記念する食事の後逮捕され十字架にかけられ3日目に復活されたイエス様が、40日後に天にあげられ。その10日後の五旬際の日に弟子たちが集まっていると、聖霊降臨が起こったという時系列になります。詳しいことは教会だよりのコラムもご覧ください。これらはすべて、ユダヤ教の出来事の上に、新しい契約としてイエスキリストの出来事が起こっていると理解されていくことになります。

イエス様は、告別説教でたびたび、弟子たちとの別れと、その後のことを話されていました。そして別れた後は聖霊が送られるという事もです。それが、今日の話で実現したことになります。

聖霊を受けた弟子たちは、霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国の言葉で話し出した、と記されています。当時ユダヤ人たちは各地に散らされて住んでいました。いろんな国の言葉を話すようになっていたのです。しかし、この五旬祭のために各地から集まってきたところ、この出来事に出くわして驚くのでした。「朝から酒に酔っているのではないか?」と疑う人もいました。しかし、「これは、預言されていた通り、終わりの日に神の霊が注がれたのだ」とペトロは説明し、イエス・キリストの出来事を説教します。受け入れて、「邪悪なこの時代から救われなさい」との説教を受け入れて、その日に3,000人の人が受け入れ、洗礼を受けたと、聖書は伝えています。

3.振り返り

さて、今日の聖書の話から、何が「弁護者」としての働きなのでしょうか?いろいろなことを学ぶ聖書の場所ですが、私はそのことを考えました。

一つのカギは、今日読まれた旧約聖書の出来事です。それは、「バベルの塔の物語」。ノアの箱舟の後の世代、ある土地に定着した人々は、大きな塔を作りました。「石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた」とあるのは、文明や科学がそれなりに発展してきたことを表わしてもいるでしょう。そしてそれで満ち足りた生活をしていただけではなくて、傲慢になっていくさまが記されています。「彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。」とある通りです。神様は人々の傲慢と誤った企みをみて、言葉を乱して互いに理解できないようにされました。すると人々は言葉が通じないのでその地を去って行き、塔や町の建設もあきらめたのでした。その地は「バラル」という混乱という意味から「バベル」と呼ばれるようになりました。

聖霊降臨の出来事は、その「混乱の解決」ともとられています。神が送った霊に満たされ動かされ、弟子たちはたくさんに分けられた人々の言葉を話しました。それで、そこにいた人々は驚き、イエス・キリストの出来事を聞き、理解し、洗礼を受け、神のもとに引き戻されたという事なのです。

どのようして神様は、それをしたのでしょうか。大きな奇跡の力で人々の言葉をもとのように一つに戻されたのでしょうか?いや、逆の方法でした。人々の言葉や考えを無理やり一つにするのではなくて、弟子たちの言葉を多くの人々に合わせる形をとりました。そこが大切なところだと思わされます。

大きな混乱ともいえる出来事は人々の罪と傲慢さから生まれました。それを解決するために、今までをすべてなくして一本化してしまうのではなくて、人々の多様性を豊かさとして認め、神様の側が人々にくだり、人々に寄り添い、それぞれの人々の言葉を語るようにされ、招かれたのでした。

4.勧め

言葉はとても大切です。人は、不安で困っているときに、自分が理解できる言葉を聞くと安心します。神学生のころ京都でインターンをしているとき、ブラジル人の家族が時々教会に来られていました。今思うとそれが私のブラジル日系人との初めの出会いでした。何かの話で、彼らがアパートに食卓が必要なのだと知りました。「教会のバザーの寄付の中に、テーブルがあるよ。低いテーブルしかないけど見てみる?」と私は思わずスペイン語で説明しました。日本語がまだよく分からない人たちでしたから、何とかしようと思ったのです。その時の自分はポルトガル語はわからないけれど、似ているから通じるかもしれないと思ってのことでした。すると急にそのご婦人の顔が明るくなり、とても喜んでくれました。それ以来信頼していろいろ話してくれ、食事に招いてくれたり、病院に連れて行ってあげたり、交流が続きました。教会にも続けてきてくれるようになりました。

弁護士は、依頼人の状況や話をよく聞きます。法律の説明をして「こうしなさい」と指示をしたり、違法行為を責めるのではありません。依頼人の問題や苦しみをよく聞き理解し、法律に照らしてアドバイスをしたり、守ったり、弁護したりしてくれます。

神様もみ言葉を盾にして、「従ってこい」という命令ではなく、キリストが降りてこられ、人々に寄り添い、助け、赦されました。キリストが天に戻られた後は、神様は聖霊を送り、人々の心を満たし、動かすのです。

今日の結論は「外国語を勉強しましょう」ということではありません。同じ言葉を話していても、家族でも、集団でも、教会でも、その気持ちを十分理解し、寄り添っていないかもしれません。意見の違いや多様性は大切にしながら、聖霊に動かされて、理解し、寄り添い、助け合う、本当の神の子としての生き方を始めましょう。そこから、和解や平和が始まるのです。

 

 

 

キリスト教ワンポイント講座 「ペンテコステ」

ペンテコステは五旬祭というユダヤ教のお祭り。ペンタゴンやペンタックスといえば5角形の「5」を表している言葉から来ているので、覚えやすいかもしれません。その日、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」という出来事が起こりました。

この五旬祭(シャブオット)の祭りは、「ユダヤ教の祝祭で、過越の祭、仮庵の祭とともに三巡礼祭の一つで、イスラエルの民が紅海を渡ってファラオを退けてから50日を数えてシナイ山に神が降臨したことを記念している。労働が禁じられる聖会の日であり、タナハの学習が行われる。」という説明がインターネットにもあります。タナハというのは、先週の聖書研究会でも扱ったのですが、いわゆるユダヤ教の聖書、私たちの旧約聖書のことですね。

もともと神の息吹を吹き入れられ人は「生きたもの」となっていたのですが、罪の中を生き、世の中は混乱と争いが絶えません。この日、神様の霊が人々に降り、満たされ、動かされました。教会では聖壇が赤い布に替えられ、聖霊をあらわすハトや赤い炎があしらわれていて、それを思い起こすことになっています。

神様に動かされ、本当の命を生きましょう。