2022年6月18日土曜日

説教メッセージ 20220619

今週の聖書の言葉 ルカ8:26~39 (新119)

8:26一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。 27イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。 28イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」 29イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。 30イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。 31そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。

32ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。 33悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。 34この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。 35そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。 36成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。 37そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。 38悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。 39「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。


説教「しがらみから自由になるには」徳弘牧師

1.オカルト的なもの?…

今日は、イエス様の悪霊に取りつかれている一人の男との出会いと解決、それを取り巻く人々の反応が伝えられています。数千の悪霊に取りつかれている男から悪霊を追い出し、それが豚に乗り移り崖から落ちるように湖になだれ込んで溺れ死んだという出来事。何やら「おどろおどろしい」話で、驚いたり、オカルト的でそういう話が好きな方もおられるかもしれません。逆に、今の社会でもそんなことがあるんだろうかと怪訝に思ったりする方も多いでしょう。

この出来事の意味や、今の私たちに教える神の声を一緒に学び、聞いていきましょう。


2.聖書

今日の出来事の舞台はゲラサ人の地方でデカポリスの中の一つ。デカポリスとはギリシャ語で「10の街」という意味で、ユダヤですがギリシャ植民地で他宗教の影響も強く、ユダヤ教の中では軽蔑さえされていた異教の色濃い場所でした。

登場人物は、1)悪霊につかれた男、2)豚の大群、3)悪霊から解放された男、4)街の人たち、です。

1)悪霊につかれた男はイエス様を見ると「かまわないでくれ、苦しめないでくれ」といいます。底なしの淵へ行けと命じてほしくなかったので、せめてそばにいた豚の大群の中に入ることを願い、イエス様に許されます。2)すると豚の大群は崖から湖になだれ落ちて死んでしまいました。3)その後この悪霊につかれていた男は、すっかりと癒され、服を着、正気になってイエス様の足もとに座っていました。4)それを見た街の人たちは、ほかの多くの聖書の出来事と違って、つまり、イエス様の奇蹟によって神を信じ驚いたり回心したのではありませんでした。ただ恐れて、ここから立ち去ってほしいと、イエス様を排除しました。

ただ一人、イエス様についていきたいと願ったのは、先ほどまで悪霊につかれていた男の人でした。


3.振り返り

さて、この聖書の話を聞いて、どういう神様のメッセージを聞くべきでしょうか。いろいろな説明や説教をすでにお聞きになった方も多いでしょう。それぞれ、教えられることはたくさんあると思います。

現代の私たちは目の前で悪霊を追い出すようなことはあまり見ませんし、私たちの教会はそれを特に強調する教派でもありません。もちろん、そういう事はあると聖書に従って信じています。ではいまそれが無い私たちの身の回りには関係のない話かというと、そうではありません。

私達も、「心配や問題に取りつかれている」ことはあるからです。それをどうすることもできなくて、閉じこもったり、縛りつけている心があるかもしれません。そんな私に、キリストはどうかかわってくださるのか。そして、自分を自由にしてくれた時、それを見たり当事者として体験したときに、どうするか、どうすべきか、そんなことを振り返らされました。

自分たちの生きざまを思いめぐらせながら今週の聖書を読んでいて、脳裏をかすめ、ずっと頭を離れなかったキーワードは「しがらみ」という言葉でした。

悪霊につかれた男も、その人と付き合い困っていたり厄介者扱いをしていた街の人も、彼が癒されて問題解決した姿を見た街の人も、それぞれの常識や判断、意見、風習という「しがらみ」に捕らえられていました。だから問題解決できず、共存もできず、解決した奇蹟を見ても、そこから抜け出して神様に出会うことも新しい自分に出会うこともできませんでした。

私たちは、どうでしょうか?キリストのことばを、聖書のなかの奇蹟を、そして神様のことを見たり聞いたりしながら、いままでの「しがらみ」にとらわれたままという事はないでしょうか?それだと、神様の大きな御業もただ恐ろしいものに見えるかもしれません。あるいは、たくさんの問題を抱えて生きていながら、解決するのは大変だし、神様の正しさや愛を知っても今までの「適当な自分の生き方」がちょうどよいと安住するかもしれません。むしろ、自分の問題を指摘されるとつらいので、あまりかかわってほしくないと、自分で距離を置いてしまうかもしれません。それは、他者との関係でも、自分自身との関係でもです。

「しがらみ」という言葉は、本来、川に杭を打ち並べてそれに木や竹を横に結びつけたもので水をせき止める柵(さく)を指しているそうです。そして、そのイメージの通り漢字は「柵」と書き、柵という字を「しがらみ」とも読みます。マイナスのイメージに使われる時は、引き留め、まとわりつき、邪魔をするもの、という具合になります。

本来なら水をせき止める大切なものでも、自分と他者や神様との間で柵(しがらみ)になって神様や他者を、素直に受け入れることができなくてはいけません。自分の神様を求める心に、今までの常識や人の目という柵(しがらみ)がまとわりついて、神様に届かないなら、それはないほうが良いのです。

4.勧め

そんな中、悪霊を追い出してもらった男その人だけが、イエス様を信じて従っていこうとしました。素晴らしいことです。しかし、なんと、イエス様はそれを思いとどまらせました。「あなたには使命がある」という事でした。私についてくることだけではなくて、この街にとどまり、異教やその中に安住することを選ぶ人々に、「神がなさったことをことごとく話して聞かせることが、あなたの使命だ」という事でした。

今までの常識や人の評価、しがらみは、まとわりついて面倒なものですけれど、時としてそれが、いろいろなものをボヤカし、間違っているとわかっていながら荒波を立てずに生きていくために、ちょうどよいクッションだったのかもしれません。神に出会い、それを捨てる覚悟をすることが、しがらみからの解放です。それから解放されて、本当の神様のお考えを知り、神を信じ人を愛し、みなが安心して生きていける社会を作るために、それぞれの使命へ取り組みましょう。

あなたの「しがらみ」は何ですか?神様に取り払っていただきましょう。安心の人生が始まります。そして、あなたには使命、神様の願いもあります。みつけましょう。

  

キリスト教ワンポイント講座 「教会の特有の暦」

聖霊降臨祭、三位一体主日と続きましたが、今日から教会のカレンダーは少し様子が変わります。聖壇や牧師のストールの色が緑色に変わったとお気づきの方もいらっしゃるでしょう。教会の暦、教会暦の説明です。

教会の暦は、クリスマスを待ちお祝いするときから始まります。イエス様のご生涯を追いながらクリスマスからいくつかの教えや奇蹟、そして十字架、復活、昇天、聖霊降臨という出来事を読み、一連の出来事を一緒に体験してきました。そして今日からの残す期間は、ルカによる福音書の今年読んでこなかったイエス様の教えや出来事を学ぶ期間となります。ちなみに来年はマタイ、その次はマルコというサイクルになっています。さて、この緑色の期間は11月末くらいまで続きます。その色の意味の通り、緑の木々のように、私たちの信仰が「成長」するために聖書に聞き従い、教会で、神様が下さった家族とともに、ともに生きる期間です。そんなふうに、教会で一緒に過ごしましょう。


 


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