主日日課と説教
1)主日の日課は、みことばを説き明かす者が自分の好みによって主題を選ぶのでなく、教会の暦に合わせて必要な主題を明らかにしてゆくために定められている。ことに待降節から三位一体主日に至る期間はそのことを注意してゆきたい。典礼色が緑の時期はそれぞれの年に選ばれた福音書の連続日課となっている。日課に出てこない箇所で関連して是非必要と思われる所を用いてもよい。但し日課を変更する場合は、それに応じて主日の祈りや詩編(もし用いるなら) を考えてゆくことが必要である。
2)日課の箇所に現れているすべての点を、説教の中に取り入れなくてはならないのではない。会衆の必要と説教者の課題に応じて、必要なことを選んで展開すればよい。
3)ここに記されているのは、各主日の福音書の日課の要点であるが、決して日課のすべての点を網羅しているわけではない。いろいろな聖書の注解書や説教を参考にすることが大切である。しかし、ことに待降節から三位一体主日に至る期間は、その日課が選ばれた理由があることを考え、その点を踏まえることが必要だろう。ことに教会学校に用いようとする時には、主題を限定して多くのことにわたらないように注意したい。
4)このテキストがこの主日に選ばれている理由を考えると共に、その箇所が福音書の中でどういう脈絡の中に置かれているか、記事の前後関係をも見ておきたい。緑の期節で連続日課の時期であれば、聖書の前後関係と共に、聖書の箇所としては飛んでいる場合もあるから、前後の主日に連なる日課をも考えに入れて置く必要がある。また第二の日課はそれ自体の脈絡をもっている場合が多いが、少なくとも第一の旧約日課、主日の祈りなどとの関係は注意をしておきたい。その主日の祈りの主題は、厳密にではないが聖書の主題に呼応しているはずなので、それも参考になる場合がある。
5)礼拝の説教、また教会の諸集会での勧めは、決して単なる聖書の研究ではない。その箇所についてのさまざまな解釈や言葉の意味を説明することでもない。自分たちの課題に対して、聖書がどのように言っているのかを聞いてゆく態度をもってゆかなくてはならない。そのために自分を含めて会衆の持っている悩みや課題を意識していることが必要である。基本的には、イエス・キリストの出来事の歴史を踏まえて、神の賜物と戒めを考えてゆく。もちろん神のことばには戒めの面と恵みの面とがあるが、説教は基本的には福音、すなわち神の恵みを説き明かすことになるようにしたい。例話は、適切であれば理解を助ける大切な働きをするが、主題に則して考え、例話が主体にならないように注意したい。
6)自分で意図したようにでなく、別の意味で受け取られたりする場合があるから、聞いて分かるはっきりした組み立てを考えると共に、いつも表現に注意して聴衆を傷つけたりするようなことがないように留意したい。
石居正巳
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。