2021年7月24日土曜日

週報 礼拝メッセージ 20210725

 


聖書の言葉 

聖書 ヨハネ 6: 1~21 (新174) から一部抜粋

その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。 イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。 フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。 そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。 イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

説教「心のハンガー・ゼロ」 徳弘浩隆師

1. あんまり暑いからジュースでも買いに…

先日大垣教会の礼拝の後、用事を済ませるのを待ってもらっている間、あんまり暑いから近くで冷たいジュースでも買ってこようと、妻がお隣のうどん屋さんの前の自動販売機に行きました。しかし、すぐに元気なく帰ってきました。どうしたの?と聞くと、自動販売機がなくなっていたそうです。うどん屋さんはご主人がご高齢で、昨年廃業されて売りに出されていたので私たちの教会でも話題になりました。自動販売機の契約も終えて撤去していた様子で、ガッカリでした。

そこで私が思い出したのが、「ハンガー・ゼロ」の自動販売機のことでした。これは、普通の有名な飲料会社の自動販売機ですが、国際飢餓対策機構とタイアップしていて、一つ売れると10円の寄付が行く仕組みで、海外の飢餓に苦しむ子どもたちの所に送られます。また、これを設置するところには、災害時の備蓄食料や水も配られて災害時に活用できますし、災害がなくて消費期限が迫ると飢餓に苦しむ国に送られ、新しいものと交換されるというシステムです。自販機に書いたポスターで設置者も社会貢献していることを紹介でき、買ったあなたも社会貢献できていますよ、というチャンスを提供するもので、キリスト教会で設置しているところもあります。30円あれば子供の一人分の食事代になるという国際貢献と国内の災害時対策にもなるのです。一度役員会で提案しましたが、近所に自販機もあるしということで流れてしまいましたが、ぜひこの機会に設置したらと願っています。

そんなことを思い出していましたので、今日の聖書のお話を読んで、キーワードは「ハンガー・ゼロ」ということになりました。たくさんの人の空腹を満たしたという聖書の出来事から、何を学ぶことが出来るのでしょうか。

2.聖書を学びましょう

二つのことを考えました。聖書のこの出来事から、ある象徴的な意味と、イエス様の人生から見た二重の深い意味を見ることが出来るのです。

1)最初の象徴的な出来事とは、こういうことです。イエス様は、大挙して集まって来る群衆に、神様の言葉を解き、多くの人をいやしました。それだけではなく、彼ら一人一人の食事の心配もされたのです。到底足りるはずがないパン5つと魚2匹を、祈った後人々に分け与えて、皆を満腹にさせたという奇跡をおこなわれました。

その出来事は別の意味も表していました。山に登り、過越し祭が近づいた時に、たくさんの人にみ言葉を語り、食事を与えたという出来事は昔にもあった出来事だったのです。それは、モーセが人々を連れて奴隷状態だったエジプトから脱出したあと、山に登って神様からの言葉を受け取り、荒野で空腹に苦しむ群衆にマナとウズラの奇跡で食事を与えた出来事です。それらは、過ぎ越し祭としてユダヤ教では重んじられ、山で受け取った神のことばは十戒として守られ、マナとウズラで養われたのは彼らの宗教的・民族的原体験でした。

それを、更新し、新しい救いの約束として、預言されていたメシヤとして、イエス様は行われたのです。知恵と信仰のある人はそれを見て、「この方こそ約束されていたメシヤだ」と、理解したはずです。そんな出来事でした。

2)二つ目はこうです。最初に考えた「世界から空腹をなくそう」という「ハンガー・ゼロ」の運動ですが、私たちはそれに加えて、「心の飢え渇き」をなくすこと、「心のハンガー・ゼロ」も大切なことだと、思わされています。人々に神のことばを語り、虐げられた人に寄り添い、苦しみ泣く者とともに泣き、病気も癒されたイエス様は、「空腹から満腹」ということにとどまらない「こころの飢え渇き」に応えてくださったのです。そして十字架で死んで救いの道を開いて下さった、私たちを根本的な罪から解放してくださったのです。復活されて死を打ち破り、あらゆる恐怖や心配からも解放してくださったのでした。

3.振り返り

私たちは、いつまで心配し、立ち止まっているのでしょうか。神の救いと解決を信じて、自分の人生にもしっかりと歩みだすよう促されています。

そして自分のことだけでよいでしょうか?まだ立ち止まり、不安の中を生きている人たちや若い世代にも神様を伝えていきたいと、そんな思いで生きています。

さて、「ハンガー・ゼロ」、つまり、飢餓を撲滅しようという運動から、私の体験を思いました。ブラジルの教会の集会所でスラム街の子どもたちに英語やパソコン、音楽を教えていましたが、40名くらいの子どもたちが集まるようになり、ごった返しました。3時のおやつの時間に準備をする、パンとスープ、そして果物はみんな大喜びでした。貧しい家庭も多く、学校から帰っても「つけ」にした店の前で立ったままパンを一つかじる子もいました。教会でも冷蔵庫からこっそりリンゴを取って食べている子もいました。しかし、一時的に空腹を満たすだけではいけないと、「食育」を意識しました。炭酸飲料やお菓子ではなく、きちんと手洗いとお祈りをして、食器で野菜も入ったスープと果物を大事にしました。そして、貧困や空腹から抜け出す将来を作るためにと、音楽やパソコン、希望者には英語も教え、勉強して結果を出していくことの大切さも、楽しさも、教えていたつもりです。そして、今でも、洗礼を受けた知らせや進学相談も受けます。

4. 勧め 

私たち一人一人にも、何かできることがあるはずです。空腹を満たすだけではなく、毎日の心の糧も大切です。聖書を読み、祈る時間を大切にしましょう。人を見て心動かすのではなくて、神様を見つめて、神様のお考えにしたがうことが出来るようになりましょう。神様の祝福をお祈りします。 


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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説

 「全ての人々を養う」

聖霊降臨後第9主日の福音書はヨハネ6章1~21節、5000人を倍する人の養いです。マルコの記事との違いは、ガリラヤ湖がテベリア海と名を変え、他の福音書には出てこないテベリアからの人が大挙押しかけるという所です。テベリアは領主ヘロデ・アンティパスが第2代皇帝テベリアスの名を冠したガリラヤ州都で湖までもこの名に変えてしまったようで、ガリラヤ州都の皇帝礼拝の中心地です。「皇帝よりも優れた方が来られた」という事でしょうか。

これに対する第1日課は列王記下4章42~44節です。エリシャが見るからに足りないパン粉で召使いにパンを作らせた記事です。列王記上17章8~16節のエリヤのサレプタ記事―一握りのパン粉と油で母子と自らを養った―のエリシャ版です。パン粉が一度に増えたのではなく、使っても使っても減らなかったのでしょう。

イエスさまの時も同じだと思います。 弟子たちが人々にパンを配った時、ちぎってもちぎってもパンは減らず尽きなかった。これが神の養いです。シャローム(三木久人)


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