2022年10月29日土曜日

説教メッセージ 20221030

自由が欲しい!と思う事が良くあります。聖書では、イエス様の言葉にとどまるなら、あなたを自由にする、といいます。それは、「あなたの思うように生きていいよ!」という事でしょうか?自由って何だろう?考えてみませんか?


聖書の言葉 ヨハネ 8:31~36 (新182)

8:31イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。 35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。 36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。


説教 「本当に自由になる」 徳弘浩隆牧師

1,宗教改革?

今日は、宗教改革記念日ですね。宗教改革というと何か革命のようないかめしい感じがします。宗教改革、ルーテル教会って何でしょうか? 

東京で大森教会の牧師と幼稚園園長をしていたころ、その知名度の低さに苦笑いしたことがよくありました。「ルーテル教って、どんな宗教ですか?」と聞かれたことが何度かあるからです。世界史で習ったマルティン・ルターの宗教改革というのを聞いたことがあるでしょ。あの伝統のキリスト教会なんですよ」とお答えすると大概の方は合点がいくといいます。そして、妻の話ですが、幼稚園事務をしていた妻が電話をとると、東京都や区役所の担当者から「おはようございます! テルテル幼稚園ですか?」と朝から元気な声で電話があり、笑いを我慢するのに苦労したそうです。幼稚園の教師たちにも話したらみんな大笑いだったとのこと。

宗教改革は1517年10月31日の出来事を発端にしています。私の車のナンバープレートは「1517」にしました。変わったときに覚えるのが大変だからです。今ようやく名古屋のナンバーに変更手続き中ですが、これも同じ番号で申請しました。

宗教改革、何が起こり、今の私にどんな関係があるのでしょうか?一緒に考えてみましょう。


2,聖書

今日のために選ばれているのは、ヨハネによる福音書の8章から、「あなたたちは自由になる」という言葉に焦点が当てられています。

イエス様の言葉ですが、ユダヤ人でイエス様を信じた人たちに向けて言われました。私の言葉にとどまるなら、本当に弟子であり、真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と。彼らは、自分たちはアブラハムの子孫で奴隷になったことはないですが」と、神様から選ばれ祝福された民であることを誇りに思い、どうしてですかと尋ねます。

それに対してイエス様は答えました。罪を犯すものは誰でも罪の奴隷なのだ、と。

いろいろな苦難の歴史もあったけれども、アブラハムの子孫で、祝福された民で、律法も知っているし、自由だといいますが、罪をゆるされた本当の自由な生き方ではないことをイエス様は指摘されたのです。そして、どんなことがこれから起こったとしても、イエス様の言葉にとどまり続けるなら、自由にされると、約束されました。


3,振り返り

私たちの人生はどうでしょうか?

本当に自由に生きているでしょうか?ここ数年はいかにも不自由な生活や、不安な生活を余儀なくさせられました。世界中を襲う感染症をコントロールできず家に閉じこもり、戦争も起こってしまい悲しく物価も上がり苦しい生活は拍車をかけます。もっと自由に人と会い、食事をしたり旅行をしたりが全くできません。ようやく少し改善してもたくさんの制限や、もう一度後戻りするかという不安もあります。

しかし、その不自由そのものが問題ではありません。これらの混乱や戦争の原因は、人間が罪を持っているから、その結果だという事を見つめねばなりません。

私たちのいのちをのものを脅かしているものが、人間の罪。それは、神を離れ、一番大切な教えを捨てたことから起こっています。だから、聖書は一貫して一番大切なことを伝え続けます。

金曜日に名古屋学院大学の瀬戸キャンパスのチャペルアワーに招かれて礼拝説教をしてきました。大きなきれいな礼拝堂の出口に、みんなが見えるように掲げられている大学の精神は「敬神愛人」でした。神を畏れ敬い聞き従い、人を愛すること。モーセの十戒の基本でもあり、イエス様も対話の中でその二つが大切なのだと教えられました。

しかし、人は神を神とも思わず、自分勝手に善と悪の判断をし、それが人それぞれバラバラな中で、それぞれは自己中心で自分を優先するから、いさかいや戦争は絶えません。自然の乱開発も環境破壊で気候変動や新しい感染症を生み出しています。

神の裁きではなくて、人類の罪が人類を苦しめているのでした。


4,勧め

 そんな不自由な奴隷のような命を救ってくれたのはイエス様でした。そして、それによって目覚めた人々はキリスト者の群れとして生き、社会を作りました。

しかし、そんな中でもやはりまた人々は同じ罪を繰り返します。教会の権力や金権もあり、人々のたましいの救いも売買の対象になり、それにまり陳ルターは講義を市議論を呼びかけたのが、1517年の10月31日でした。結果理解されずに破門され、ルター派の教会を組織せざるを得なくなったのでした。ルターの専売特許ではありません。イエス様の教え、そしてそれを整理して人々に伝えたパウロの言葉があったのに、それが埋もれていたのです。

自由をもらったはずなのに、なぜまた間違いを犯していったのでしょうか?

「自由」という字をよく見ると答えはそこにあります。外国の方に日本語を説明しながら深い意味を思い知らされます。自由という字は、自分の「自」と理由の「由」と書きます。自由は、誰からも支配制限されない、指図されない、自分を理由に、根拠にする生き方なのです。それは、抑圧されている人にとってはかけがえのない、素晴らしいものですが、自由を手にしたときに、自分を理由や根拠にしたままなら、また同じ混乱や人を支配し排除することになってしまうのです。

神様は聖書の最初に、それを防ぐようにと言われていました。善悪を自分で勝手に決めないで、神に聞き従う事を、です。それを守らず、勝手に神の守りの手の中から出てきたので、この有様です。

イエス様は、そんな罪人に、罪を自覚させ、回心させ、新しく生まれ変わらせるために、十字架への道を行かれたのです。

この方の言葉にとどまるなら、本当の自由を得ることができるためにでした。

生きにくいことや、混乱や対立の中にいるとき、イエス様の言葉を思い出しましょう。神を畏れ敬い従い、人を愛することです。それが人類の幸せのカギなのです。イエス様は、人を愛する、隣人を愛し同胞を愛するだけではなく、異国人も愛すること、そして敵をも愛するように言われました。そして、そのように生き、死んでいかれました。

さて、では、ルーテル教会は宗教改革の教会だから素晴らしくて間違いがないと、確認して喜び自慢するのが今日の礼拝の趣旨でしょうか?違います。そうとも言えません。絶えず、改革され、神様の言葉に生きるよう、自己中心や争いの心を滅ぼしてもらい、神様からの信仰と知恵と愛をいただけるよう、祈りながら一緒に生きていきましょう。

神様の国は、そんな心の中にすでに始まっています。それが罪の心にさいなまれ、押しつぶされないように、もっと広がるように生きていきましょう。やがて、本当の神の国が実現するでしょう。いつそれが来てもいいように、祈り、神様を見つめながら、生きていきましょう。

そんな世の終わりといわれる日、また、自分の地上でのいのちが終わりになる日も思いながら。先に旅立った人たちをも思いながら、一緒に礼拝をしました。行けるものも死せるものもその手の中で納め、守られる方の手のひらで生きていきましょう。

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牧師コラム・ちょっと宣伝

こんな集まりに声をかけられて、一部ゲスト参加します。ルーテル教会の東教区主催で、JELA協力の企画で、主に若者や未信者の方々にも開かれた音楽とトークイベントです。外国人の方々の支援を少しお話しし、技能実習生で日本に来ているインドネシアのルーテル教会メンバーのレリアナさんのインタビューや歌も披露されます。どなたでも参加可能とのこと。ご参加ください。


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