2022年10月28日金曜日

説教メッセージ 20221028

 

説教題「改革、自由、責任」

1.   導入

ルーテル教会の牧師の徳弘といいます

なぜ私が呼ばれたかというと、宗教改革記念日

宗教改革ってなに? ルーテル教会って何?

世界史で勉強したマルチン・ルターの宗教改革=1517/10/31 「一語否」

ルター派の教会、ルーテル教会

世界で最初のプロテスタント教会 プロテスト

何をプロテストしたか

私達は、どう生きるべきか

学生のみんなは、将来どう生きるか、どんな職業でどんな夢を実現するか?

聖書に聞いていこう

 

2.   み言葉

説教題は「改革、自由、責任」

改革は宗教改革 でも何を改革したか?

世界中のキリスト教会の改革だった

キリスト教は、大きく分けてカトリックとプロテスタント。しかしロシア正教もある。

ヨーロッパは当時はカトリックで、王様でさえカトリックの教皇が支配していた

人々の心も、ケアしていたけれども、支配もしていた

死んだあと地獄に行かないように、教会で懺悔をして赦してもらった

懺悔をした後も、悪いことをしたり思ったりしたら、懺悔を繰り返す生活

死ぬ瞬間は最後の懺悔をして油を塗って祈ってもらい、安らかに旅立つ

当時はミサはラテン語、聖書はギリシャ語、それぞれの国の言葉ではないから何もわからず、教会の神父さんの言う通り指導を受けていた

ちょうど、お葬式でお坊さんのお経の意味が分からないのと同じ

何がいいか何が悪いか、悪いことをしたらどうしたらいいか、すべて教会

それは、権力やお金も関係してきて、当時の教会は誤った方向へ進んでいた

「これを買ったら救われる、これを買ったら死んだお母さんも天国に行ける」

 

それに疑問を持って議論をしたかったのがマルチンルターだった

人々の心を自由にした。

当時の間違っていたキリスト教の権力から。

そして本当は、今日の聖書の言うように、人間の罪深さから

 

3.   振り返り

「自由」をどう思うか? 自由は素晴らしい。楽だ。たのしい。

しかし、責任を伴う。

「自由」という言葉は、自分の「自」、理由の「由」

誰にも支配されない自由を理由にして生きることができる

誰にも指図されないで、自分を判断の根拠にして生きることができる

しかし、それは素晴らしい楽しいだけではなく、責任も伴う

何が正しくて、何が間違っているのか。

判断が難しい社会・世界になってきた

それぞれが言う正義や平和は違う

どこに根拠を置いたら良いか

それが聖書だ

 

聖書の話は難しくて、少々退屈 とおもうだろう

しかし、旧約から新約まで一貫していることは二つ

「神様を大切にし、人を愛すること」友を愛する、隣人を愛する、外国人を愛する

イエスキリストはそれを再度伝え、敵をも愛することへ拡大した

そしてその通り生きた。その通り死んだ。それが十字架

それを見て、自分の身勝手さ、罪深さに気づかされた人々は、回心した

それがキリスト教

 

4.   勧め

ブラジルに宣教師として10年いた。帰国して4年目。まだ最近の日本がわからない

「ガイジン」の経験をしたので、外国人の夢や楽しさや苦労も分かる。

外国人労働者や留学生の支援活動や通訳、日本語講座などをしている。

ブラジルはサッカーの国。スポーツや音楽が盛ん。

 

皆は何を勉強している?

将来どんな生き方がしたい?

自分を理由にして、根拠にするだけでは難しい、わからないことがたくさんある

勉強や、友人関係、恋愛、将来の夢、スポーツ、楽しく大好きでも、むつかしいこともあるだろう

自分を根拠に生きるのは限界がある

 

私は、キリストを知って荷物を軽くした

そして、楽天的でそれぞれ自由に生きる生き方のブラジルに行ってもっと自由に生きれるようになった

 

私はスポーツが嫌いだった

先輩後輩や、根性や努力の構図に入れなかった

レールが引かれてそれを外れないよう一生懸命な空気の圧力が強い日本

もっとそれぞれ違って、個性を大切にして自由に生きたらいい

しかし、自分勝手に人を傷つけて生きてもいいという事ではない

 

聖書やチャペルの時間の話を、もっと自分の生き方の問題として聞いてほしい

矛盾や悩みや重荷もある、生きにくさもある、それが人生

そこに答えを出してもらいながら、自由に、そして世界で活躍できる人間になってほしい

「神様を大切にし、人を愛すること」 大学の理念はそこ。大切にしてほしい

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