2022年10月16日日曜日

説教メッセージ 20221016

 聖書の言葉 ルカ18: 1~ 8 (新143)

18: 1イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。 

2「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。 3ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 4裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。 5しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

 6それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。 7まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 8言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」


説教 「忍耐と執念は同じか?」徳弘浩隆牧師

1,耐えることと願う事の矛盾…

 少し休暇をいただいて、私たち夫婦の両親のお世話をしてきました。時間をいただき、ありがとうございました。私たちのそれぞれの両親は、この数年で急に大きな手術をしたり、施設に入所したり、自宅ででも支援が必要な状況に少しずつ変わってきました。しかしこれは、誰もが通る道で、お世話をするのは世代間の順番の出来事でもあり、いやなことではありません。むしろ、今まで何も知らな過ぎたと思い知らされながら、学びながら取り組み、教えられ、考えさせられています。

 しかし、何とかしないといけないという思いと、これは普通のことだからと受け入れながら、こちらが適応していかねばならない面も感じ、気持ちは行ったり来たりもします。

 専門家の人や相談員さんに聞いても、「現状の社会がそこまで対応できていない」という事にも行きつき、一緒に頭を抱えたり、「今後の社会の課題ですね」、ということで意見が一致したりもします。しかし、そんな中でも時間は待ってくれません。

さて、現実を受け入れて忍耐する面と、何とかしてほしいと執念をもって交渉したり取り組んだりする面の、二つの中でやはり、心は行き来します。

 介護や親のお世話だけではなくて、私たちの人生には、そんな両面を感じることはあるでしょう。

 神様は、苦労がたくさんあっても忍耐して現状のまま生きていくことを強いておられるのでしょうか?それとも、執念で「祈り倒した」なら、事態は願い通りに何でも解決していくと思ってもいいのでしょうか?

 今日の聖書に聞いていきましょう。

2,聖書

今日のテーマは、冒頭に明示されています。「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるため」でした。

神を畏れず人を人とも思わない裁判官、苦労を抱えている一人のやもめが今日の登場人物です。

この女性は何かの問題に巻き込まれ、解決を願っていたのでしょう。人を人とも思わない裁判官は、社会的な弱者の声はますます相手にしないでしょう。

それでもこの女性はあきらめませんでした。何度も何度もやってきてお願いしたようです。

この裁判官の対応は興味深いものです。あまりに可哀そうになって、話をよく聞いてあげて、そしてそれを解決してあげたのではありません。「ひっきりなしにやってきて、うるさいから」とでもいう具合で、取り合ってあげたという事です。

3,振り返り

さて今日はこの教えを聞いてどう私たちは心に収めるべきでしょうか?これを読んで、「だから私たちも、一生懸命祈り、願い続ければ、何でも聞いてくれるんだ」と、思うでしょう。確かにそれは一つの答えです。

しかしここで、「自分の願いを通すために、断食でも大きな献金でもして、それで頼み込んだら神様が聞かないわけにはいかないはずだから、重い腰を上げてくれる」と期待したなら、間違いです。挿絵にあるように、女性が裁判官を追いかけて何度も頼み込んだら逃げられなくなるように、神様を追い立てるように祈り続けると何とかなると、それだけを願うのは正しいでしょうか?

お世話をしている外国人メンバーと一緒に旅先で神社に寄りました。きれいな海の橋の先の小島にあるところでした。みんなクリスチャンでしたが、日本の文化も景色も見たり知ったりすることは大切と思い、彼らも見てみたいというので行き、色々解説もしました。上ったところに、お百度石がありました。これは何ですか?と聞かれるので、説明しました。「ここからあのお宮まで、はだしで百回往復して祈り続けるときかれるという言い伝えがあるんですよ」。時代劇が好きな妻も補足します。「でも、誰にもそれを見られてはいけないんですよ。誰かに見られたら、一からやり直しなのよ」と。みんなびっくりしました。

 4,勧め

 現状を受け入れて耐えること、それを受け入れずに自分の願いを神様にぶつけ続けること、その合間で揺れる心の答えは何でしょうか?

今日のたとえ話の後、イエス様はこう続けます。「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。」と。

 あの挿絵は一人のやもめが裁判官を追いかけ続けている絵ですが、実は、神様はすべてをご存じで、速やかに裁いてくださるのです。神様のほうが、私たちを見て、見続けて、追いかけておられるのに気づかなければなりません。そして、この方は私たちの良いことも悪いこともすべてご存じです。私たちの申し立ての通りに、相手だけを裁く方ではないかもしれません。私の罪も、悪い心も、すべて見ておられるからです。「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」とイエス様はこのお話を結んでおられます。

 私たちの本当の信仰は、自分を中心にして生きることではありません。善悪を、神様に尋ねず自分で決めるようにしたこと、それが自己中心の罪の始まりであり、創世記の善悪の実は、神を離れ人を愛せなくなった人間の姿を知恵をもって伝えてもいるようです。

 「自分が主体で、自分が中心」ではなくて、神様を主にして、自分が神様の対象になるとき、それを私たちの信仰の姿勢と呼ぶことができます。

 神様は、お金を入れてボタンを押したら自分の願いをいつでも聞いてくれる自動販売機ではありません。神様の御心を知り、それに従おうとするとき、既に神様は何かの解決を準備してそこにおられるはずの方なのです。それに気づくために、忍耐や執念の祈りは必要です。しかし、それで神様を便利に使ってはいけません。

願い続けるのは自分ではなく神様のほうであり、忍耐と愛の執念をもって追いかけておられるのは、神様の方だったという事に気づくときに新しい人生が始まります。

忍耐と執念は、私たちの中では矛盾するときもありますが、神様の側からすればその愛ゆえに一つなのです。私たちの身勝手ささえある「信仰」は、祈りと情熱は捨てるべきではありませんが、その結果を神様にお任せして、その方に従うときに、すべてが守られ、解決されていくということを学びました。そんな方と一緒に生きていきましょう。

 


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ウクライナ戦争、教会の支援は… 

ACT Alliance(アクトアライアンス)ってなに?

私たちの教会JELC(日本福音ルーテル教会)は、世界のルター派の教会の共同体である、LWF(ルーテル世界連盟)の一員です。LWFは、現在世界99か国の148の教会組織からなり7400万のメンバーを数え、もとは1947年に組織され、スイスのジュネーブに本部を置きます。

私たちの捧げたウクライナ支援献金はJELCに集められ、LWFの指定口座に送金されます。LWFは世界教会協議会(WCC)とともにACT Alliance(アクトアライアンス)のもともとの設立団体でもありますが、このACTを通して調整され、世界各地の加盟教会とともに、支援活動にあたっています。日本の大規模災害の際も支援を受け、また、国内の加盟教派はここを通じて得た支援も活用して地域の支援を行いました。同様に、今回のウクライナ戦争も現地の加盟諸教会、特に現地近隣ルーテル教会も主体的に支援活動を進め、国連などにも・また共にも政治的な渉外活動等もしています。

ACT Allianceは各地の災害支援や難民・人道支援などに当たってきましたが、1995年に組織化されたものがやがて、2010年、2015年に組織改革され、2019年に今のACT Alliance(アクトアライアンス)となりました。現在、世界120か国以上において活動する135のプロテスタント諸教会、正教会とFBO*によって構成されるエキュメニカル(超教派)な国際的同盟であり、人道支援・開発支援・政策提言を活動の柱としています。

ACTは、ACTION BY CHURCHES TOGETHERの略で、「教会が力を合わせて一緒に行動しよう」という意味を込めた言葉です。2010年WCC(The World Council of Churches: 世界教会協議会)とLWF(Lutheran World Federation: ルーテル世界連盟)の関係教会・団体によって設立され、ジュネーブに本部を置いています。

戦争の状況は予断を許さず、困難の中にいる人は多くいます。これからもよろしくお願いします。

*FBO(Faith-based Organisation):信仰にもとづく団体


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