2022年11月6日日曜日

礼拝メッセージ20221106

 教会では昇天者記念礼拝の季節です。高蔵寺教会では先週致しましたが、今日は復活教会で昇天者記念礼拝と通常の礼拝を合わせた形で行います。また、復活教会は登録文化財指定されている歴史的建築物ですから名古屋市東区主催の「歩こう文化のみち」イベントにも参加していますので、教会の建物についても少し考えましょう。Facebookでのライブ中継はWi-Fi次第ですが、もしできない場合は、夜にはYoutubeに掲載してこのブログにも掲載します。よろしくお願いします。

聖書の言葉  ルカ20:27~38 (新150)

20: 27さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。 28「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 29ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。 30次男、 31三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。 32最後にその女も死にました。 33すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 

34イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、 35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。 36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。 37死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 38神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」




説教 「神の子として生きる」 徳弘浩隆牧師

1,今日はなんの日? 

今日は、聖霊降臨後第22主日です。キリスト教の教会の独自のカレンダーでは今年は今日を入れてあと3回の日曜日で終わっていきます。それにあった聖書の個所を、高蔵寺教会と復活教会で読んでいきます。また、復活教会では、昇天者記念礼拝として先に亡くなった愛する兄弟姉妹を記念する礼拝でもあります。そして名古屋市東区主催の「歩こう文化のみち」という歴史的建造物を訪問して回るなかでの教会の建築や歴史の中におけるキリスト教会の意味などを一緒に考える礼拝になりました。

聖書では、死後の世界と今の人生についてのイエスキリストへの問いかけと問答が選ばれていて、今日のためにふさわしい場所になっています。つまり、一年の終わり、人生の終わりと人生の意味、死後のこと、それらすべてを守り導かれる神様、その方との出会う場所としての礼拝とその場所としての教会について考えさせられます。そしてそれらを一緒に学び考えながら、今を生きる私たちへの神様のメッセージを一緒に聞いていきたいと思います。

2,聖書

今日の聖書は、むつかしい問答になっています。しかしこれは、ふつう起こりそうにない無理な状況を持ち出してイエス様に質問をして困られてやろうという意図から始まっています。

なぜかというと、今年一緒に見てきましたが、ルカによる福音書は大きく3つのパートに分けられ、19章の途中から第3幕ともいえるクライマックスに入ります。それは、1)導入とイエス様の働き、2)エルサレムへの旅路、3)エルサレムでの最後の週となっています。

ここでは、有名な宗教指導者と目され弟子もたくさんになったイエス様がいよいよ、政治と宗教の中心地・エルサレムに入ってこられました。そのような時の権力者たちはイエスキリストの評判が気に食わないので失脚させようと早速、問答を始めました。20章1節で祭司長や学者たちは権威について問いかけ、20節では自分たちを支配抑圧するローマ皇帝への税金や献金について質問して罠にかけようともしました。しかし、イエスキリストの知恵あるお答えで、この策略はうまく行きませんでした。そこで、今日のサドカイ派の登場となります。

この、サドカイ派の人々は大祭司や役人たちなどユダヤ社会の最上の階級に属するグループでもありました。エルサレムの神殿はサドカイ派などで、各地方のシナゴーグは主にファリサイ派が指導していたとも考えられています。サドカイ派は宗教的にはモーセ5書、つまり旧約聖書の最初の5つの部分しか神の言葉として受け入れ、その後の伝承や細かな規定は受け入れませんでした。モーセ5書には死者の復活についての言及がないので、それを信じず、もし復活があるなら、再婚した人たちは復活後の世界でだれの妻になるのかと、むつかしい質問をしたのでした。それは、復活を否定すればファリサイ派などを否定することにもなる、答えの出しにくい問いでした。

しかし、イエス様のお答えは明快。一言で言えば、「この世とは違う、めとったりとついだりしない、もはや死もない、天使に等しいもので、神の子なのだ」という事でした。そして、使者の復活に対してはサドカイ派の人にわかりやすいように、彼らが大切にするモーセの場面を引用しながら、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼んでいるとして、地上を生きているときに導き守る方、死せる者も生ける者もすべてその手に収めておられる方、として「すべてのものは神によって生きている」とお答えになりました。

3,振り返り 教会の形と墓地について

さて、教会を見てみましょう。そこにはいろいろな信仰的な考え方を根拠にした様式があります。

古くから教会は、上から見ると十字架の形に作られる様式が多くありました。ヨーロッパの有名な教会などはGoogle Mapで衛星写真に切り替えるとくっきりと十字架が見えてきます。見てみると面白いですよ。私たちの教会は、十字架型ではなくて長方形ですが、これは後の時代の一般的な教会の形になってきました。

そして、教会の聖壇の向こう側や脇に墓地を配置することも多くありました。それは、正面の祭壇やキリストの最後の晩餐の食卓をも意味する聖卓を挟んで、こちら側に生きている私たちが、そして反対側には先に召された人々が足をこちらに向け埋葬されているのです。十字架を挟んで生きた人と死んだ人が向き合う格好になっています。それはつまり、終わりの日にキリストがもう一度来られて、死者も復活したときに、信仰をもって召された者たちが墓から復活して起き上がれば、十字架を見上げることができる構図なのです。

4,勧め

 今日は、どんな気持ちでここにお集まりでしょうか? 昔のように広い場所に町の中心として建てることができなくなった今、教会の聖卓の向こう側に墓地を配置することは難しくなっていますが、この十字架を見上げるときに、その向こう側に、先に天に召された愛する家族や先人たちがいることを思い起こしながら、礼拝をしていきましょう。

そして、「神の子」として生きるときに、生も死も実は関係ないのだという事です。この世の難しい問題や人生の悩みも、神様を見上げて、お任せすること。そして、人と人が互いにゆるし愛し合うときに、神様の世界は始まっているのだという事も思い起こしましょう。死後の世界で天国に行けるかどうか?の問よりも、今生きている中で、安心の平和な人生が送れるかどうか、そこに注目したいと思います。キリスト教会は、立派な正しい人の集まりではなくて、罪をゆるされた不完全な罪びとの集まりです。そして、キリストの十字架によって「神の子」とされたものです。そんな安心の人生を一緒に始めませんか?

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牧師コラム・ちょっと宣伝 ルーテル復活教会では名古屋市東区の行事「歩こう文化のみち」にも参加した諸イベントを開催中です。ルーテル高蔵寺教会では「るうてるフェスタ」として世界の料理も楽しめるバザーふうのお祭りをします。どちらもどうぞ、お誘いあわせの上、お出かけください。


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