今週の聖書の言葉
福音書 マルコ 13:24~37 (新89)
「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
説教(解説) 「天を裂いて」 徳弘浩隆師
1.
天が裂ければ…
そんなことをしながら、あることをふと思い出しました。「杞憂」という言葉です。中国の故事ですが、杞憂という人も夜空を見上げていたそうです。しかし、ロマンチックでも、すがすがしい気持でもありません。あの星が落ちて着たらどうなるんだろうか」と心配で心配で寝れなくなったという話。そこから、ありもしそうにないことを心配しすぎることを「杞憂」というようになったとか。私たちは、どんな気持ちで天を見上げますか?
2.
聖書を学びましょう
今日の福音書は、イエス様が世の終わりのことを告げたお話のところです。ここにも、太陽と月、そして星空のことが出てきます。イエス様はどんな風にそれを見上げ、人々に教えたのでしょうか?
「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち」とありあます。やはり、星が落ちてこないかと心配になった人の気持ちは、あながち変でもなかったのかもしれません。
世の終わりには、そのくらい、何もかもが大変なことになって、天変地異がある、大混乱がある、と警告されます。世も末、世も終わりだと思えるようなことがあるのだと。しかし、イエス様の話はそこで終わってはいません。「しかし、心配しなくてもよい。その時、天使たちを使わせて、神様に選ばれた人を世界中から呼び集めてくれるから」、と安心するように諭されます。
そして、安心していられるためには、神様を信じて、いつそんな時が来てもよいように、正しい生活をし、目を覚ましていることが勧められます。
3.
振り返り
私たちは、同じ状況を生きていても、考えること、感じることはそれぞれ違います。心配になるか、その先の希望を見続けるか。それぞれ、キーワードは違ってくるでしょう。
そして、同じ星空を見上げても、考えることは人それぞれです。誰かとロマンチックに?一人で涙をこらえながら?それとも星が落ちてこないかと心配で?ということもあるかもしれません。しかし、私たちが見上げて考えるべきことは、今日の聖書の言葉です。今日の聖書のイザヤは、「天を裂いて降りてきてください」と祈りました。必死で天の上の神様に、「上から見ているだけではなくて、そこを破って、降りてきてください」と、呼びかける切実な祈りでした。
私たちが一年を締めくくり、今日から始まる新しい教会の一年の流行語ともいえるキーワードは、「終末」や「世の終わり」、または「コロナ」「在宅勤務」などではなく、「神様のゆるしと救い」「神様はそんな困難の中にあっても、天使を送って正しい人たちを集めてくださる」という救いのメッセージであるべきなのです。
4、勧め
天を見上げて、「そこから見下ろしていないで、天を裂いて降ってきてください」との祈りにこたえて、降りてこられたのが、イエスキリストです。もう少し考えてみませんか?それを知れば今年のクリスマスは大きく変わるでしょう。そうすれば、自分の人生も大きく変えられ、社会は生まれ変わっていくでしょう。おまちしています。
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