2022年12月31日土曜日

説教メッセージ 20230101

聖書の言葉 ルカ2:15~21 (新103)

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。


説教 「イエス・キリストの名前の意味」 徳弘浩隆牧師

1,ゴッドファーザー…

今日の聖書が告げていることは、イエス様がお生まれになった後、名前が付けられた日の出来事です。

私はこの聖書を読んで、「ゴッド・ファーザー」という昔流行った映画を思い出しました。イタリアのマフィアの抗争を描いた少し怖い映画でした。マフィアのボスのことをゴッド・ファーザーと呼ぶことが多いからこの名前の映画になったようです。日本語では「親分」となるのかもしれませんが、ここにも、「親」という言葉が使われていて、マフィアのような集団は、肉親の家族のような、またはそれ以上の「疑似家族」として機能していることは、とても興味深いことです。

さて、私がこの映画を思い出したのは、このゴッド・ファーザーという言葉が多くの場合「名付け親」と訳されるからです。イエス様の名前が付けられたという聖書の記事から、名付け親という事を思い出したのです。

なんと関係のないところから無理やりと思われるかもしれません。しかしこの映画の「ゴッド・ファーザー」という言葉は本来、教会の用語でした。生まれてきたときの本当の父母ではなくて、教会で洗礼を受けるときに信仰的後見人のような意味で生涯面倒を見るという「第二の父母」として立てられる役割の人の呼び名です。「代父母(だいふぼ)」、「代父(だいふ)」「代母(だいぼ)」と訳されることが正しいとされています。しかし、幼児洗礼の時の代父母は、名付け親になることも多かったので「名付け親」の役割もあり、キリスト教の伝統が少ない日本の辞書では「名付け親」と訳されることが多くなったそうです。

ところで、英語のGod Fatherは、肉親の親ではなく、神様が立てた父という意味合いでしょうか。映画の舞台のイタリア語ではPadrino(ぱどりーの)といい、映画もGod FatherではなくてIl Padrino(いる・ぱどりーの)として公開されました。ブラジルではPadrinho(ぱどりーにょ)といい、それぞれPadre(ぱどれ)という「父親」という言葉から来ていて、少し小さなものや、愛情を込めて呼ぶときにつける接尾語の「no(の)」や「nho(にょ)」がついています。

生涯信仰的な成長に寄り添うので、学校の卒業式や成人式、そして結婚式などにも参加してお祝いをすることが多いそうです。私も、教会でお世話していたブラジル人の10代の女の子の洗礼式をしたときに頼まれてPadrinho(ぱどりーにょ)になり、妻がMadrinho(代母・まどりーにょ)になりましたので、「結婚式には必ずブラジルに来てね」と本人やお母さんからも何度も言われ、誕生日に贈り物をしたり、今でもよくメッセージで近況を聞いたりしています。

「でも、これは、カトリックの風習でしょ」と言われるかもしれませんが、ルーテルにもあります。今の私たちのルーテル教会では「教保」という呼びかたで、洗礼の立会人として立ててもよいとされています。

このような伝統で考えると、名前を付けるという事は、そして洗礼を受ける・授けるということは、その時の思い付きや願いだけではなくて、その人の生涯にわたって祈りつづけ、喜びや悲しみにも寄りそうという事を意味しています。

人にはみんな名前が付けられ、そこには、祈りや願いも込められています。イエス様のお名前には、どんな願いや祈りが込められていたのでしょうか?そしてそれは、願いや祈りだけではなくて、その方の特質や使命もあらわされていました。聖書から、聞いていきましょう。

2,聖書

 今日の聖書では、「幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である」とあります。これは、同じルカによる福音書の1章30-33節にある次の天使ガブリエルの言葉です。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

 そして、マタイが告げる記事ではマタイ1章20-21節において、ヨセフに対してこう告げられています。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」そしてマタイはこれが、旧約聖書のイザヤ書の預言の実現でもあったと、説明を続けます。

 このようにイエス様は、旧約聖書で予言されていた救い主としてお生まれになった方だと説明され、その名前の意味や、願い、その使命も明らかにされていくのです。

 イエスという名前の意味は、ヘブライ語で「ヤハウェ(יהוה)は救い(הוֹשִׁיעַ hoshía)」を意味する」言葉です。そして、天使はその使命として、ヨセフには「この子は自分の民を罪から救う」と、マリアには「偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と告げたのです。また、マタイはイザヤ書の預言から「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」とも説明されています。

 イエスという名前は、父なる神様が名付け親、文字通り「ゴッド・ファーザー」で、天使によって伝えられた名前だったのですね。

3,振り返り

さてでは、イエス・キリストという名前の意味はどうなるでしょうか?

私は中学生のころ、図書館の委員をしていました。図書館とクラスの連絡係や図書館の掃除も役目でした。よく行きましたが、偉人伝のコーナーが好きでした。そこには、野口英世、シュバイツァー、ヘレン・ケラー、そしてイエス・キリストという題名のこども向けの本などが並んでいました。科学やキリスト教、そして世界に興味を持っていた私は、それらが好きでした。

しかし、後になって気が付いたのは、「イエス・キリスト」というのは、他の偉人伝の人たちと同じように、苗字と名前と思っている人が多いけれど、そうではない、という事でした。ちょっとした衝撃でした。キリストというのは私たちは知っている通り、救世主、メシアという意味で、苗字ではありません。もともと、あの時代のユダヤでは苗字はなくて、出身地とともに呼ばれることも多く、「ナザレのイエス」と言われたという具合です。ですから、イエス・キリストと呼ぶときには、「イエス様はキリスト・救世主なのです」という信仰告白のような意味合いが含まれているのです。

私達は今日、これらのことをきちんと整理して理解し、イエス様を通して私たち一人一人を赦し、癒し、救おうとされた父なる神様の祈りや願いを、かみしめねばなりません。

クリスマスは1月6日の当方の博士たちがイエス様を拝みに来たといわれる顕現節・エピファニーと呼ばれる時期までになります。まだ、教会の飾りはそれまで片付けなくてもよいことになっていますが、世の中は12月25日が終わるとさっさと片付けて、しめ縄や門松に変えられてしまいました。私たちも先日、明るく暖かい光として、この暗く冷たい世に送られたイエス様のことを、キャンドルを見ながらうれしくお祝いしたのですが、心の中から、さっさと片付けてはいないでしょうか?世界的なエネルギー危機や、戦争の地域では攻撃による停電で、もっと光や温かさが必要とされていますが、私たちの心や社会、そして世界に、もっともっと、温かさや明るさが必要なはずなのにです。

 4,勧め

今日は冒頭で、少し関係のないような、雑学のような、ゴッド・ファーザーの話から始まりました。しかしこれは、そんな私たちにも、大きな示唆を与えています。

マフィアや悪の勢力が、この世の血を分けた家族や親族よりももっと絆の深い大きな家族として、それぞれの国や社会で機能しているからです。

私たちの教会はどうでしょうか?一緒に今日学んできた「神様は救い」という名前をもらったイエス様、私たちに寄り添ってくれたイエス様を信じて、何でも遠慮なく言えて、時には意見が違っても互いを尊重して話し合い、誤りがあれば謝ったり赦したりし合える、大きな家族として機能しているでしょうか?そしてその大きな家族に、もっと多くの方を招いて一緒に生きていこうとしているでしょうか?

ことしも、よろしくお願いいたします。互いに祈り支え合い、生きていきましょう。そして、この社会や、地域、世界のことも一緒に祈り取り組みましょう。あなたも、この大きな家族に、入ってみませんか?祈ってお待ちしています。

 


牧師コラム 

ガブリエルとイエス様? 欲張りな名前の人、知っていますか?

ことしは、ワールドカップがありましたね。寝不足になりながら熱戦を応援した方も多いでしょう。日本代表が思わぬ?快進撃で驚いたり喜んだり、最後は残念だったりもしました。私は、もう一つ、驚いたことがありました。ブラジル戦を見ていて思い出した、ある選手の名前です。彼の名前は、なんと、「ガブリエル・ジェズース!」今日の聖書に出てくる、マリアに現れた天使ガブリエルと、その天使が名前を伝えたマリアから生まれたイエス様、その両方の名前を持っているのです。なんと贅沢な、なんと恐れ多い!私がいたサンパウロ市出身の25歳の選手。プロ入りしたときに与えられた背番号はなんと、33番! いろいろな意味で注目し応援したい選手ですね。


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