2022年12月11日日曜日

説教メッセージ20221211

  マタイ 11: 2~11(新19)

11:2ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、 3尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 4イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 5目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 6わたしにつまずかない人は幸いである。」

 7ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。 8では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。 9では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。

10『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』

と書いてあるのは、この人のことだ。 11はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。


説教 「福音(Good News)を告げ知らせる」

 徳弘浩隆牧師

1,評判と現実の違い…

昨日は、教区の青年会と外国人メンバーの方々のクリスマス会が開かれました。場所は高蔵寺教会。いろいろな方と一緒に、礼拝をして、食事をして、交流ができて、とても楽しい回でした。高蔵寺教会の皆さんからも、差し入れやお手伝い、参加もあり、ありがとうございました。

その会が終わって、一人の外国人メンバーに段ボールの箱をふたつ渡しました。それは、彼女がネット通販で買うものを私が代わりに買ってあげたものです。箱を開けて、一つずつ、ちゃんと来ているかどうか、確認しました。間違えていたり、足りなかったりしたらいけないからです。なぜなら、彼女は日本で3年働いて、ようやく一時帰国をするので、あれやこれや、お土産を買っていたのです。国の家族やお友達にと、いろいろ買っていましたが、最後に、通販で探して買ったのです。

もし届いていないものがあったり、間違っているものがあったら、急いで催促したり交換しなければなりません。なぜなら、もう今週の水曜日に飛行機に乗るからです。荷物を見ていて、二つのことに驚きました。ひとつは、頼んでいた日本の掛け軸が思ったより小さすぎたことです。そしてもう一つは、トートバッグが頼んだ数より一つ多かったことでした。

インターネットの買い物で気を付けないといけないことは、写真を見ても大きさがきちんとわからないこと。もちろん、寸法は書かれていますが、そこまできちんと確認せず、自分の先入観で注文して、現実とのギャップに驚くことです。

そこで、人の評判が大切です。とてもよかったとか、少しここに問題があったとか、そんなコメントを書く欄があります。それをよく見て、自分の判断に役立てることも大切です。

これは、ネット通販だけではなくて、私たちの人生にもよくあることです。自分の期待や思い込みと現実が違うこと。人の評判に頼ってみて、物事を決めることがあるでしょう。それで、うまくいくときと、失敗することもあります。今日の聖書は、そんな人生の出来事、しかもその中での一番大切なことを、教えています。

2,聖書

今日はアドベント第3主日。クリスマスを待って準備する3回目の日曜日です。聖書の物語は、まだ、クリスマスの物語ではありません。どんな気持ちで準備をしたらいいかということを考える期間なので、それに気づかせるような出来事が選ばれています。

洗礼者ヨハネが、イエス様のところに弟子をよこして質問させています。その内容はずばり、「あなたがみんなが長い間待っていたメシア・キリストでしょうか?それともほかの方を待つべきでしょうか?」と単刀直入な質問でした。

洗礼者ヨハネは、「時が近づいた。もうすぐ、ようやく、待っていたメシア・キリストが来られるから、悔い改めで準備をしなさい」と説教をしていました。たくさんの群衆が集まり、悔い改めて、罪の悔い改めの洗礼を受けていました。しかし、イエス様が登場してこられ、いろいろなことをし、語られた後、「この人だろうか、それとも違うんだろうか?」と迷い、悩んだのです。

イエス様は答えました。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」と。

そしてその使いにではなく、群衆にこうも言いました。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。」と。荒れ野は、洗礼者ヨハネが悔い改めを迫る説教をし、洗礼者ヨハネに、そしてイエスさまにも出会った場所だったのです。

3,振り返り

これは、今日の私たちにも、問いかけられています。「あなた方は、何を見に、そこに行ったのか?」と。何を見に、教会に来たのか? 何を求めて、聖書を読んでみたのか?とも聞こえます。

クリスマスで、街はにぎやかになり、教会も忙しく、また楽しくもなります。家庭ではクリスマスの支度をし、楽しい日々がもう始まっています。

そんな私たちに、「何を見に、そこに来たのか?」とイエス様は問いかけておられます。

クリスマスを迎える準備をしていますが、私たちは、間違えなく、準備ができているでしょうか?

それは、今のクリスマスの時期だけの話ではありません。神様を、キリストを、きちんと理解し、間違えなく受け入れているだろうか?これは一生の問題です。私たちの人生の旅路で、迷いや、失敗や、挫折もあるからです。もちろん、うれしいことや成功もあるでしょう。しかし、本当の神様を、そのご計画を知ることがなければ、ただその時々の出来事に振り回され、人生はただの、迷い道になってしまいます。

何を見ればよいのでしょうか?それへのイエス様のお答えはこうでした。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」

誰を信じるべきか、誰についていくべきか、迷っていた先生者ヨハネに対して、「見たり、聞いたりしたことをもう一度よく考えてみなさい」ということでした。

旧約聖書で予言もされていましたが、その通りのたくさんの奇蹟をイエス様はなさり、人々は見ました。そして、貧しいものや苦しむものに寄り添っておられました。また、イエス様が語られたたくさんの言葉や説教を聞き、人々は驚かされ、反省させられ、慰められてもいたのです。「それが、判断の根拠だ」とイエス様は言われます。

 4,勧め

私たちは、何を聞いたでしょうか。何を見たでしょうか?聖書の言葉、それを解説する説教や聖書研究会。教会の仲間の声。そして、人々の評判。そのなかに、福音を聞いたでしょうか?福音はエヴェンゲリオンとギリシャ語で聖書には書かれています。日本語にしてもむつかしい言葉ですが、英語でGood Newsと訳されると、わかりやすくなるかもしれません。イエス様が語られた、神様の救いの言葉、出来事も含めて、それらを、「Good News、良い知らせ」といいます。私の耳には、心には、それが届いているでしょうか? 反省、ゆるし、救い、慰め、助け、促し、これらのことを、神様から聞いているでしょうか?それが大切だと、イエス様は言われます。

ネット通販をするときに、思い込みや、勝手な期待で、届いた箱を開けたときにがっかりすることがありますが、自分の期待を勝手に神様に押し付けてもいけません。人々の評判を参考にすることも大切ですが、自分で、よく見て考えて判断することも大切です。

楽しいクリスマスの準備とともに、ちゃんと、キリストと、神様と、出会う準備も致しましょう。自分の思い込みや期待の押しつけではなくて、神様の言葉を素直に聞いてみましょう。良いクリスマスになりますように。


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