2022年12月24日土曜日

説教メッセージ 20221224 クリスマスイブ

  聖書の言葉 ルカ 2:120)(103)

21そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。)

28その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

14「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。




 

説教 「『もう』、怖がらなくてもいいよ」

 徳弘浩隆牧師

1,「恐れるな」…

クリスマスおめでとうございます。今日はいよいよクリスマス・イブですね。教会で、ご家庭で、それぞれ、大切な時間を過ごしておられると思います。

でもどうでしょう?今日は、朝から大雪。そして新型コロナもまた流行しています。今日は大雪の影響で、新型コロナの影響で、来られなくなった方もおられます。とても残念で寂しいことです。わたしも、ブラジルに青年信徒宣教師ボランティアで来てくれていた熊本の教会メンバーが来る予定でした。サンパウロで家族のようにしていましたから、私たちのことをブラジルの両親と呼んで、今回も「里帰り」と称して泊りがけで来る予定でした。しかし、飛行機が欠航になり、あきらめたと朝メッセージがありました。久しぶりの再会がだめになって、残念でした。なんだかぽっかりと寂しくもあります。

「神様クリスマスくらい、クリスマスだから、何とかお願いしますよ」と言いたいけれど現実は難しいことだらけ。家族や知り合いとの再会や、教会での温かいクリスマスが持てないこともあります。戦争もあって大混乱の世の中です。クリスマスなのに、かみさまがなんとかしてくれないのでしょうか?この現実は、どうしてでしょうか?


2,聖書

今日の聖書はルカの福音書のイエス様がお生まれになった出来事が読まれました。毎年聞いている話です。こどもたちや、先日驚いたのは高蔵寺教会のこひつじ幼稚園の卒園生ママさんたちも、ページェントの歌や役柄をまだ覚えて歌い、演じ、助けてくれたことでした。

でも、このクリスマスの出来事は、今の問題だらけの社会や世界に対して、いったい何だったのでしょうか?もう一度考えてみましょう。

大切なことは、1)まず、泊まるところが無くて、いわゆる馬小屋で生まれたという事。2)そして、天使たちは野宿をしていた羊飼いたちに知らせに行ったこと。3)そしてその後の彼らの行動。これらが今日の神様のメッセージです。

1)       泊まるところがない、居場所のなさです。私たちも、時折感じることがありませんか?気の弱い私は、パーティーに呼ばれたりすると、一人で居心地が悪くなることがあります。そもそも、学校や、家庭や、職場で、居場所が見つけにくいことがあります。誰にもあるでしょう。逆に、居場所はあるのに、だれも来てくれない、いてくれない寂しさです。クリスマスにお客さんが来ると楽しみにして、忙しく準備をしたのに、大雪で飛行機が欠航。来られなくなった部屋を見るのは寂しくつらいこと。私たちの人生にも、そんなときがあります。キリストは、そんなところから、人としての生涯を始められたのです。この方なら、私の寂しさや、つらさをわかってくれるのです。

2)       天使たちは、羊飼いに知らせに行きました。行き先を間違えたのでしょうか?エルサレムの神殿や偉い人にではなくて、人々からさげすまれていた羊飼いたちでした。居場所のない人たちに、神は使いを送り、最初にキリストに会いに行かせたのでした。私たちも、居場所のなさ、つらさや、自分の人生や仕事に意味を見出しにくくなる時、神様は使者を送り、何かを伝えようとしています。

3)       そして、羊飼いたちはキリストに会いました。それは、そのメッセージを、他人事として聞いたのではなく、「さあ、ベツレヘムに行こうではないか」と行動したのです。たくさんの羊はどうしたのか、それほどたくさんいなかったのはは語られていませんからわかりませんが、尋常ではなかったことかもしれません。船や網を置いてキリストに従った最初の出来たちの話はよく聞きますが、この羊飼いたちもすぐそばではなくて、「ベツレヘムに行こう!」といったくらいですから、それなりの距離があったのかもしれません。


3,振り返り

私達はどうでしょうか?

居場所のなさや、だれもそばに訪ねてきてくれない寂しさを感じるとき、キリストなら私の気持ちを知ってくれると、キリストを見上げましょう。

仕事や今の立場に不満や不安を感じるときに、そんな自分に使者を送りメッセージをしてkる得る神様の声に耳を澄ませましょう。

そして、「ああ、そうですか」と他人事としてではなく、勇気を出して、何かを始めてみましょう。

その時、お生まれになったキリストに会うように、私たちに心にも、キリストがお生まれになってくださるのです。


 4,勧め

「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」という言葉を聖書から聞きました。しかし、私たちの人生は、依然として、恐れや、怒りや、心配でいっぱいです。あの「恐れるな」という言葉は、あの日のあの羊飼いたちへの言葉であったのと同時に、その後のべ手の人へのメッセージでもあったのに、です。私はどもの頃、の天使の役を劇でしました。母が父の反対で教会に行けなくなっていたころ、近所の家庭集会には週日に行っていました。そこで、手作りの聖誕劇をしようという事になったのです。私は小学校2-3年だったと思います。白いシーツを着せられ、頭に星かわっかをつけて、兄と二人でこのセリフを覚えさせられました。

ブラジルへ行くとき、ブラジル人がわかりやすくて覚えやすい名前も塚たらいいよと、先生に言われてつけた自分の名前は、迷わず、「ガブリエル」でした。

神様は、問題だらけの社会や世界に、使者を送って、悪い奴をやっつけてしまえばいいのに、どうしてそれをしなかったのでしょうか?天使の行き先は、マリア、ヨセフ、そして羊飼いたちでした。

それは、地上の王様のように力やお金で人々を支配するのではなくて、一番弱くて、つらい、居場所のない人の側にキリストを送り、その愛によって社会の常識をひっくり返し、愛によって収めるためでした。

ではなぜそれが実現していないのでしょうか?

それは、それを聞いて、出会っている私たちが、「ストーリー」としてクリスマスを楽しみ経験しているだけだからです。

「怖がらなくてもいいよ」と言われたのは、「もうこれから先、ずーっと、怖がらなくてもいいよ」というはずだったのに、私たちは他人事として聞き置いているから、何も変わらないのです。

今日の式次第の表紙の絵を見ましょう。その言葉は、「私はクリスマスに祈ります、毎日、幼子のキリストがあなたの心に生まれてくださるように」

クリスマスに、キャンドルをともしています。しかし、数日前に衝撃的な言葉を聞きました。「もうすぐクリスマスです。クリスマスにはキャンドルをともすでしょう。私たちもそうします。しかしそれは、先生の聖で、停電しているからです。」と訴えたのは戦時下のウクライナの大統領でした。

私たちの愛と平和はどこに行ったのでしょうか?キリストがもう一度私の心に生まれてくださるよう、すぐ忘れてしまうから、毎日生まれてくださるように、そう祈りましょう。神様の愛と平和が私に、そして私を通して多くの人に広まりますように。アーメン

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