2021年3月5日金曜日

主日日課の学び(石居正巳先生) B年  四旬節第3主日 ヨハネ2:13-21

四旬節第三主日 出エジプト 20:1-17  ローマ10:14-21 ヨハネ2:13-21 

1)いわゆる宮清めの出来事は、他の福音書では受難週の出来事として記されているが、ヨ

 ハネは主の活動の初めに置いている。それは主イエスの働きの性格を示す出来事であっ

 たからにほかならない。十戒が主の契約として与えられたにも関わらず、ユダヤ人たち

 は形式的な遵守に陥ってしまった。不従順な民に神は新しい宮を主イエスの出来事を通

 して与えられたのである。

2)神殿における礼拝をきよめて、何とかその本来の精神に返そうと、神の求められるいけ

 にえは打ち砕かれ、悔いる心であると詩編は歌い(詩編51:19)、預言者たちも繰り返し

 努めたのである。しかし人々の中では、形式的な遵守がひたすら重要視された。そして

 神殿で献げる犠牲を整えるため動物を売る商人が必要となったし、神殿税の納入のため

 には、流通していたローマの通貨を古いイスラエルの貨幣に両替することも実際の課題

 となった。柱廊に囲まれた神殿の境内の最初の箇所に、異邦人も入ることの出来る庭が

 あり、そこに商人たちがたむろしていた。ユダヤ人たちもそれが好ましくないことは弁

 えていたが、実際的な必要から、それを黙認せざるをえなかった。しかし主は、縄で笞

 を作り、家畜もその商人たちも追い出してしまわれた。

3)それはしかし、単に限度を越えた状態を憂えられたというに止まらない。マラキ3:1 以

 下やゼカリヤ14:21 に記されているように、新しいメシアの時代の到来を告げる行為に

 ほかならない。だからユダヤ人たちは、こんなことをするからには、メシアの権威を示

 すしるしを見せよと迫ったのである。しかし人々はすぐしるしを欲しがるが、預言者ヨ

 ナのしるしのほかには与えられない(マタイ12:39)。ヨナが三日三晩大魚の腹の中にい

 たように、人の子イエスも墓の中に入りたもう。同じように、主は神の民の礼拝の場所

 であるこの神殿を壊してみよ、私は三日で建て直そうと言われたのである。

4)ユダヤ人たちにとって、神殿は彼らの拠り所であり、希望であった。しかし、十戒をそ

 の精神において守ることを忘れ、ただそれを刻んだ石の板に犠牲を献げるだけでは、神

 の契約の民として生きることはできない。まして「神殿より偉大なものがここに」(マ

 タイ12;6) おられる。その名をインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれるお

 方である(マタイ1:23) 。当時すでに46年もかかってなお建築が続いていた壮大、華麗

 なヘロデの神殿であったが、その精神からすれば彼らは建築しているというより、営々

 と破壊していたのである。三日で建て直すとイエスは言われたが、それは主ご自身の死

 と復活というよりは(主の復活を主ご自身の能動態で言われたことはない)、むしろ主

 の体に例えられた教会のことが直接には意味されていると考えてよい。「あなたがたは

 キリストの体であり、一人一人はその部分です」(・コリント12:27)。しかしまさにこ

 のような宣言が、ユダヤ人たちが主イエスを十字架につけるために証言し、また嘲る言

 葉に用いられたのである(マタイ26:61,27:40)。

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