2021年2月27日土曜日

週報 説教メッセージ 20210228





今週の聖書の言葉 

聖書 第1朗読 創世記 17: 1~ 7,15~16 (旧21)

第2朗読 ローマ 4:13~25 (新278)

福音書 マルコ 8:31~38 (新77)

それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」


説教「名前だけでなく心も変えて」 徳弘浩隆師

1. 名は体を表す、か?

「名は体を表す」ということわざがあります。英語では、Names and natures do often agree.と言うそうです。この二つの違いは、日本語では「名前は、その体を表している」という一方通行ですが、英語は「名前とその性質は、確かにしばしば、一致する」ということになるでしょうから、必ずしも一方通行ではないように感じます。つまり、日本語のことわざは、「そのものの性質は名前に反映し表れている」という、原因と結果の関係ともいえます。しかし、英語では原因と結果の関係ではなくて、「両者には深い一致がある」というようなニュアンスに感じます。こうなると、「名前がその性質に影響する」ともいえるようになります。

さて、私たちの世界の出来事や物事はどうでしょうか?動物や植物は、ものが先にあって、それの特徴をとらえて、命名したといってもよいかもしれません。たとえば、「太刀魚」などもそうでしょう。「立っているのではなくて、太刀というと刀ですよ」と日本語教室で外国の方々にも説明したことがあります。

中には、勘違いでつけられた名前もあるらしく、面白い有名な話はこうです。「アイアイ」というマダガスカルの黒い小さなサルの一種で、日本語でも歌になっている動物には、こんな話があるそうです。「ソヌラは森で黒いかわった動物を2頭つかまえて、村に持ち帰りました。村人たちはそれを見て『アーエーアーエー』と言い出しました。ソヌラは『名前はアイアイ』としるし、伯爵に報告しました。」博物学者のビュフォン伯爵の依頼でマダガスカル島で調査をしていたソヌラという博物学者が現地人の言葉から、そのまま名前にしてしまったそうですが、現地の言葉ではそれは実は「わー!」という驚きの言葉だったそうです。しかしこれも、びっくりする動物の名前としてはちょうどよかったのかもしれません。アイアイは森の悪魔とされ、おそれられていたのです。

さて、今日の聖書の話は「名前に関する話」が出てきます。それとともに、福音書のペトロのことを考えてみながら、神様のメッセージを聞きましょう。

2. 聖書を学びましょう

旧約聖書ではアブラハムのお話です。99歳の時に神様から声をかけられます。「私に従って、完全な者となりなさい。あなたと契約を結ぼう。あなたは名前をアブラムではなくてアブラハムとしなさい。あなたの子孫を繫栄させ諸国民の父とし、王となる者たちが現れる」と。そしてその妻サライもサラと名乗るようにし、祝福されました。彼らはすでに年を取っていたのに、信仰により神に認められ、祝福を受け、普通では考えられない年齢なのに子どもを授かり、そこから民族が生まれ発展していきました。

第2の朗読のロマ書4章13-25節でもこのことが、アブラハムの信仰の故だったとし、「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ」たし、「不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。 だからまた、それが彼の義と認められた」と説明されています。

それに対して福音書はどうでしょう。ペトロがイエス様に褒められたのではなく、厳しく叱責されています。彼はひどいことを言ったりしたりしたのでしょうか?いいえ、違います。イエス様が「苦しみを受け、排斥され、殺されること」を話し出されたので、驚いて、それを止めようとしたのです。「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた」というのです。いさめるというと少し失礼な出すぎた真似だったのかもしれませんが、信頼関係のある師弟の関係で、「それはなりませぬ」と身を案じてのことだったのでしょう。

しかし、イエス様はどうしてそんなペテロを叱ったのでしょうか。それも「サタン、引き下がれ」といわれたのです。その理由は続くイエス様のセリフからもわかります。「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」からでした。

さてここでペトロの名前も一緒に考えねばなりません。この名前も、かつてアブラハムやサラが神様からいただいた名前のように、イエス様にいただいた名前だったからです。「聞く、耳を傾ける」という意味を持つ「シメオン」「シモン」という名前だった彼は、しっかりとした信仰の「岩」を意味するペトロとなり、「今日からあなたをペテロと呼ぶ。その岩の上に教会をたてる」との意味をイエス様はこめられたのでした。

しかし、です。彼はその期待に応えることが出来ていなかったのです。アブラハムやサラが名前を変えられ、祝福を受け、不可能と思えることを信じていった信仰によって義とされたのに、シモンだったペトロは、シモンのままだったのかもしれません。

3. 振り返り

私たちはどうでしょうか?彼を笑えるでしょうか?洗礼を受けるときにクリスチャンネームをもらうことがありますし、ルーテル教会でも願えばつけてもらえます。名前は変えなくても、一度死んで生まれ変わったはずの自分は、どこにいるでしょうか?

人は、名前を変えなくても、「心を入れ替えて明日から精進します」と、反省したり、新しい決意を表明することはあるでしょう。私たちも、そんな誓いや覚悟を何度してきましたか?

「もうやめにしよう、こんな悪いことは。今度から、少しは冷静になって、怒らないようにしよう。今度は少しくらい人をゆるしてあげよう。」そんな言葉は、そんな心の中の声は、神様は「何度も聞いたことがあるけれどね」といわれるかもしれません。

名前を変えても、その内実が変わり切れていなかったペトロは、本当の神の国の礎にはなれませんでした。家作りが捨てた石が隅の頭石になったという通り、排除され苦しみを受け殺されたイエス様ご自身が、新しい神の国の礎になっていかれました。その後、ペトロも改心し、大切な指導者になっていきましたけれど。

今日学ぶことはこうです。名前を変えても、気分を一新しても、何度も誓っても、なかなか変われないのが人間の限界だということ。罪人だからです。しかし、それを大きく揺さぶり、変えたのは、熱心な祈りでもなく、強い強制でもなく、何度も失敗し期待を裏切ってきた自分の代わりに死んでいかれた方を見上げるときに、心に悔い改めがおこり、少しずつ変えられていくのだということでした。

4、勧め 

信仰をもって、今の四旬節の期間も誓いを立ててやり遂げることよりも、聖書を暗記して祈るよりも(これも大切ですが)、むしろ失敗ばかりしてきた自分を静かに見つめましょう。こんな自分のために十字架にかかられた方を見上げるときに、自然に謙虚にされ、神様にゆだねることが出来るようにされ、人をゆるすことが出来るようになるのです。それが、信仰、それがキリスト者の愛のある生き方なのです。あなたから世界も変わります。神様の祝福を祈ります。 


世界祈禱日The World Day of Prayer 今年はバヌアツ共和国です

 世界祈祷日の季節がやってきましたね。毎年3月の第一金曜日15時からですから、今年は3月5日です。「世界祈祷日」とは、世界中のキリスト教会で同じ日に、毎年のテーマ国を決めてそのために祈るというもの。時差がありますから、地球が一回りする間、世界中で同じことに対して祈りがささげられるということになります。

今年のテーマ国は「バヌアツ共和国」。毎年各地の教会に教派を超えて女性会を中心に集まって祈り、献金をささげ現地への支援にもしてきましたが、去年から集まっての祈りの会が出来ません。日本語にもなった祈祷会の資料に加えて、ネット上には参考のVideoもあります。紹介されているように、Covid-19、ハリケーン被害からの回復、そして社会問題としての女性差別や家庭内暴力、児童虐待なども祈りましょう。

Youtube短い情報だけの5分ほどの番組:https://youtu.be/BLbnI-rJ-74

Youtube現地教会の方へのインタビューや祈りの時間も含めた一時間ほどの「礼拝」:https://youtu.be/0rWE3TCR59U


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