2021年2月20日土曜日

礼拝週報 メッセージ 20210221

 




聖書の言葉 

福音書 マルコ 1: 915 (61)

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

 

説教「洪水と洗礼、虹の約束と誘惑」 徳弘浩隆師

1.  水は人を生かすが、殺しもする

先日からいくつかの地震が起きています。東北の地震は復興途上の人々にとっては希望を砕くような辛い出来事でした。幸い教会関係では被害はなかったとすぐに連絡が取れましたが、困難の中の方々のために祈り、できることがあれば呼びかけに応えたいと思います。そう思っているところに、先日は岐阜でも感じる地震がありました。私には久しぶりの地震でした。仕事や書類がたまり、朝早く起きて仕事をしていたところに「ゴン」と揺れを感じて状況の確認や情報収集をしました。LPガスの発電機や備蓄食料、ディーゼル車の備蓄燃料も準備しています。教会の集会室をいざという時には地域の避難所に提供する約束をして、町内会の避難訓練も一昨年は行われました。教会敷地内の古い使われていない井戸も、どこかで安いポンプを手に入れて準備しておこうかとも思っていました。いつ来るかわからないことですが、普段からの備えがその時を左右するからです。

岐阜県は地震は少ないそうで、どちらかというと河川の氾濫に苦しんだ地域でしょう。輪中や輪之内という地名もあるように、いざという水害から守るために集落ごと輪のような土塁で囲ってしまう対策をしてきた街のようですね。水害も怖いものです。

しかし、この「水」は「人類にとっての敵」かというとそうではありません。水がなければ、人は生きていけないのです。人を生かしも殺しもする水、それとの知恵比べは、人間の文明や科学を育てても来ました。

歴史で学ぶ古代文明はすべて、大きな川の流域で起こりました。川は今のような交通網がない時代には、物流にも有効でした。毎年決まったころに起こる川の氾濫は、土を運び土壌を豊かにするため耕作の助けにもなりますが、予知したり制御できなければすべてが水の泡になるという諸刃の剣でした。正確な時期を見定めるために、月や星を見て暦ができ、科学や文明の発展にもつながりました。

今日の聖書では、旧約聖書ではノアの洪水の話、新約聖書の日課でもノアの話とイエス様の話、そして福音書は水で洗礼を受けたことなどが、書かれています。聖書の神様と人間との間においても、「水」はとても大切なものでした。これらの話は何を教えているのでしょうか。一緒に聖書から聞いていきましょう。

2.  聖書を学びましょう

旧約のノアの話は有名な話です。人々が悪に染まり、乱れてしまったので、神様はやり直しを考えます。せっかく天地創造した世界を洪水で一度滅ぼして、もう一度始めようとされたのです。罪に満ちた人々を滅ぼし去るのですが、信仰の人ノアに箱舟を作らせ彼とその家族を生き残らせます。4040夜続いた雨で、神のことばを信じない人々は滅ぼし去られ、乾いた土地にとまった箱舟から出て祈りをささげたノアに神様は約束されました。「二度とこのように洪水ですべての物を滅ぼすことはしない。契約を結ぶしるしとして、虹を置く」といわれました。信仰を持ち神のことばに従って生き残った彼らからまた新しい世界が始まりました。天と地の間に大きく「置かれた」虹は、神様と人間との間に架けられたもの。日本風の契約書でいえば「割り印」に当たるようなものかもしれません。これを見たら思い出すと神様は言われました。

さて、この話をイエス様が追体験するように出来事は起こっていきます。当時も社会は乱れ、選ばれた民もその信仰から離れていました。神様はすべての人をもう一度洪水で滅ぼされたでしょうか?

いえ、それはできません。神様は一度のあの時にそれをして、虹の約束をされたときに、「人々の罪のゆえに全ての人を洪水で滅ぼすことはしない」と約束され たからです。ではどのようにして、神様は、新しくやり直すことにされたのでしょうか。

それは、イエスキリストの出来事に隠されています。イエス様は、洗礼者ヨハネのもとに行き、洗礼を受けました。神の子イエス様が、罪はない方なのに、私たちの罪を一人で身代わりになっていってくださるという出来事が始まっていくのです。イエス様は水に潜り、水の中から上がった時にすぐ、天が裂けて「霊」が鳩のように降ってきたのです。神様はあの時のように虹を置くのではなくて、天が裂けて霊が降ってきたのです。するとすぐその霊から荒れ野に送り出され、40日間とどまり、サタンから誘惑を受けました。水で滅ぼされ、40日間という期間を経て、新しい歴史が始めったのあの時。水で罪の悔い改めの洗礼を受けられ、40日間のサタンからの誘惑に合われたイエス様。これらは、大切な意味を持っています。

罪人ではないイエス様ですが、罪びとと同じ立場に立って、罪の悔い改めの洗礼を受けられました。そして、その生涯の最後は、十字架にかけられましたが、これは本来滅ぼされ殺されるべき私たちの身代わりであったのです。

3.  振り返り

私たちに関係がある出来事でしょうか?昔の話で、西洋の宗教の中の出来事でしょうか?

だれか私たちの中に、心の奥底に闇や、どうしようもない罪の心を持っていない人がいるでしょうか?神様の目から見たら、あの日、洪水を起こしてすべての人を滅ぼそうとされた時の人々と同じなのです。いや、今は文明や科学が発達していて、昔以上に神様を必要としないかのように生きている、より罪深い姿かもしれません。洪水で化学も文明も発達した代わりに、人は自分を神のようにさえ思うようになりました。「神なき知識」は水のように人を生かしも殺しもする諸刃の剣でした。どうしたらよいのでしょうか?少しは変わることが出来るなら、そのために何が必要なのでしょうか?もう、滅ばされるしかないのでしょうか?神様は虹を置いて約束されました。罪のゆえにすべての人を洪水で滅ぼすことはしない、と。そうして、イエスキリストを使わせて、この出来事を思い起こしながら、新しいことをされたのです。イエス様の教え、奇跡、生き方、その十字架の死と復活、それらすべてが答えです。

4、勧め 

このイエス様の出来事をよく学び、それを自分の生き方としていくときに、私たちも、古い自分が滅び去り、新しい自分を始めることが許されるのです。

先週水曜日から始まったキリスト教会のカレンダーは、40日間の四旬節という期間です。この期間に時に、罪の悔い改めをして、洪水で滅ぼされるのでもなく、虹の約束をもらうのでもなく、古い自分を滅ぼして、新しく生まれ変わる方法を、一緒に体験していきましょう。昔から、この時期に悔い改めと学びの生活をして、40日が終わる日、復活祭に洗礼を受けるというのが慣わしでした。

洗礼を受けていない方にはぜひ、お勧めします。洗礼を受けた方ももう一度、このことをかみしめながら生活しましょう。もう一度、もう一段、新しくしてもらいましょう。神様の祝福を祈ります。


風の谷より・キリスト教ワンポイント解説 「雲間に虹を置く」

 先週の水曜日2/17から四旬節に入りました。四旬節第一主日の日課の福音書は「悪魔の試み」です。

イエス様は聖霊によって悪魔に引き渡され(イエス様が祭司長によってピラトに引き渡されたと同じ言葉)その試みを受けますが、マルコは断食の試みの内容にはふれていません。むしろ天使が仕えていたなど、これから赴く宣教の前の時の安らぎを思わせる内容です。

そこで第一日課はノアの洪水のあとの記事に神さまはノアの燔祭の香を受け入れ、雲間に虹を置きます。虹はレイン(雨)ボウ(弓)という通り、虹を置くということはそのまま弓を置く、つまり戦いをやめるといことです。神さまは本気で怒って戦いをしていたのです。アダムの系図の中のメトセトラやレメクは洪水の年に死んでいます。そして戦いをやめ、祝福を与えられたのでした。         シャローム!(三木久人)


 

四旬節と灰の水曜日礼拝 - オンラインで視聴可 https://officepastorgabriel.blogspot.com


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