2021年2月14日日曜日

週報 礼拝メッセージ 2021年2月14日

 


聖書の学び 今週の聖書の言葉 

福音書 マルコ 9: 2~ 9 (新78)

六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。

説教「雪より白く」 徳弘浩隆師

1. 「雪化粧」とはよく言ったもの

1月29日だったと思いますが、教会の一帯にまた雪が積もりました。去年は覚悟をしていたのに、ほぼ積もりませんでしたが、今年は数度の積雪があり、無理をして長期ローンで買った自動車と冬用タイヤも役に立ちました。雪道を走りたくてというわけではありませんが、ある方の施設に訪問をし、そのあと買い物もあったので安食から山形の方まで車を走らせました。「こんな里山の積雪風景は初めて見る」と、妻と二人で驚き、そのきれいさに見とれました。「こんなきれいなところが近所にあったんだねぇ」と盛んに話が弾みました。

しかしその後、別の日に何かの用事で車を走らせていて、もう一度そのあたりに迷い込み通った際には、「あの日」の感動はありませんでした。真っ白に山や田畑を覆った雪がなかったからです。雪の日には白い里山が迫ってきて、こんなきれいな風景と感動したのですが、雪がない時は行ってみればただの田舎の風景、それほどの感激はありませんでした。それに気づいてまた車の中で妻と話が盛り上がります。「雪化粧とはよく言ったものだねぇ。まるでこの間と違うところのようだ」「そういえば、ブラジルにいたあの若い子も、お化粧をした時としないときの差が大きかったよねぇ」と、少し脱線して話が盛り上がったのです。別に女性蔑視発言ではありません。表面を覆うと、どんなに見え方が変わるかと、驚きしみじみと考えさせられたのです。

今日の聖書は、イエス様の「変容」について書かれています。ラテン語系のことばでは例えばポルトガル語では「Transfiguração」、そのラテン系の言葉から持ち込まれた英語の単語ではTransfigurationといいます。フィギュアという「姿」を意味する言葉がありますが、それがTrans、つまり変化するということです。聖書の記述では、「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。」と記されています。

この出来事は何を意味しているのでしょうか。一緒に聖書から聞いていきましょう。

2. 聖書を学びましょう

イエス様はペトロ、ヤコブ、ヨハネという主だった弟子だけを連れて高い山に登りました。そこでその出来事が起こったのです。みると、その後、エリヤとモーセが現れ、イエス様とともに語り合っていたのです。弟子たちは、この出来事をどのようにとらえ、何と言ったらよいか分からなかったと記されています。少し場違いなことをイエス様に言ってしまったようです。非常に恐れていたからだと、説明されています。

その時、天から「あの声」がまた聞こえました。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」という声です。

これはマルコによる福音書1章11節の言葉を思い起こすでしょう。イエス様が洗礼を受けられたとき、天から聞こえた声は「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」でした。神様はあの時、イエス様にそう語りかけたのですが、今日は、イエス様の変容を見て恐れおののいて我を失っている弟子たちに語られました。

モーセは旧約聖書の律法を残し、エリヤは預言者の代表格の人です。モーセは山で神様から十戒の石板をもらい、神の栄光を受けてその顔は光輝いていました。エリヤは最後は死んだと記されてはいず、燃える炎の馬車に乗り天にあげられたと書かれています。そして、マラキ書の3章23節によれば「主の日に先立って神様から遣わされる」と預言されていました。この出来事が示唆することは、律法を完成し預言を成就するために、約束されていたメシア・キリストが来られたということ、その方がイエスさまであるということでした。その聖書の奥深さや、意味するところを理解しきれていない弟子たちに神様は語り掛けました。「これは私の愛する子。これに聞け」と。

この前後から、イエス様のお話は、通常の奇跡や説教とは違って、十字架の苦しみについての話に代わっていきました。今日の聖書個所の中でも、イエス様は「人の子が死ぬこと」「死者の中から復活すること」を語ります。それもまた、弟子たちの理解できない事柄で、神様の救いの秘密、奥義ともいえるものでした。

教会のカレンダーでは、今週の水曜日が「灰の水曜日」と呼ばれる日になります。そして、その日からイースターまで、イエス様の苦しみや十字架を見つめ、私たちの罪を見つめ、悔い改める静かな期間が始まります。その大切な、変わり目に今年も差し掛かります。この日を境に、今を生きる私たちも、生き方を変えねばなりません。それを示されています。灰の水曜日には、ユダヤの人たちが、悔い改め、改心するときにしたように、灰をかぶったように、額に灰を十字架の形に塗って、悔い改めの祈りをし、その生活を始めるのです。

3. 振り返り

私たちはどのように生きるべきでしょうか?灰をかぶって、苦しい顔をして、神様にお詫びをする生活でしょうか?もちろんそれが大切です。しかしそれが、表面のことで終わってしまってはいけません。表面を覆い隠し、ごまかすことでは、解決しない問題の中、暗闇やうごめく罪の中を私たちは生きています。

ちょうど「雪化粧」をすると、今までの景色とは全く違った息をのむようなきれいな景色になるように、私たちはごまかすことが出来るでしょうか?相手が人間なら、それができるかもしれません。しかし、神様の目はごまかせません。

では、イエス様のお姿が、人間の普通の姿から真っ白に変わったのはどうしてでしょうか?いや、私たちは何かを見落としています。何かを勘違いしています。

イエス様は、この変容主日の日に神様のように真っ白の栄光に輝くお姿に変わったのではありません。その反対の出来事を思い出す必要があります。

イエス様は、神様でありながら、人の姿をとってこの世にお生まれになってきてくださっていたということを。つまり、真っ白の栄光の姿に輝くお姿が本来の姿に近かったのであり、日ごろ弟子たちが見ていたのは、人の姿をとられた姿であったということを見落としてはいけません。

4、勧め 

「これは私の愛する子。これに聞け」という言葉を心に記して今週を始めましょう。これに聞けとあります。ただお話しを聞くことではなく、表面的にお化粧をするように取り繕うことでもなく、この方の生き方を聞き、それに従うことを、神様は語られたのです。

弟子たちは、奇跡を見てこの3人の方にとどまってもらおうととっさに思ったのでしょう。「仮小屋を三つ建てましょう」と言ってしまいました。しかし、とどまるべきはこの3名ではなくて、彼らが神様の言葉に「とどまる」ことが大切なことだったのです。

神のことばを聞き、それに従い、それにとどまる。それをするときに、私たちの問題だらけの人生や社会は変わります。そのために、イエス様は命を捨ててくださったのです。神様の祝福を祈ります。

 

 風の谷より・キリスト教ワンポイント解説 「舞い上がる戦車」

 顕現節最終主日は「変容主日」となっています。顕現日をエピファニーといいます。「光の後で」という光に従っていく姿です。その極みとしてペトロたちの信仰告白に呼応してイエスさまが光をまとって弟子たちの前に現れたのでした。そこから十字架への道を目指して歩むイエスさまを賛美するためにモーセとエリヤがそこにやって来ました。そこで第一日課はエリヤの昇天です。モーセとエリヤは旧約聖書の代表、モーセは律法つまりモーセ五書の、エリヤは預言書の列王記下の3章ですから、預言者じゃないと思うかもしれませんが士師記から列王記までの歴史書は前預言書として預言書に入ります。イザヤ書以降は後預言書です。

モーセとエリヤは共通点がけっこうあります。神に葬られた。そして何よりも「終わりの時に再び遣わす」と言われています。洗礼者ヨハネに尋問したユダヤ人の言ったあの預言者はモーセのことです。 シャローム!(三木久人)

 四旬節と灰の水曜日礼拝 - 今年はオンラインで -

今週、2月17日(水)が灰の水曜日、キリストの受難をしのび悔い改めの祈りの期間が始まります。コロナ禍の中、緊急事態宣言も続き、「灰の水曜日」の夜の礼拝はできそうにありません。代わりに、FacebookやYoutubeで日曜日同様、牧師夫妻が岐阜教会で実施する「灰の水曜日礼拝」の中継をいたします。どうぞ、ご覧ください。そして、それぞれの場所でお祈りください。

以下のアドレスでご案内します。

https://officepastorgabriel.blogspot.com


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