2023年7月16日日曜日

説教・メッセージ 20230716

先週は、介護や手続きのために週日は帰省していました。教会では先月種まきもしました。種まきや、草刈り、そんなことをしながら、聖書の話をもう一度、自分のこととして味わう事になりました。聖書は有名な種まきのたとえです。明日は、復活教会で礼拝担当をします。礼拝の中継もします。おまちしています。そして、どうぞ、良い日曜日をお過ごしください。

     

聖書の言葉

マタイ 13: 1~ 9&18~23 (新24)

13: 1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 9耳のある者は聞きなさい。」

18「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。 19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。 20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、 21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。 22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。 23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」


説教 「西洋芝の種」徳弘浩隆牧師

1,舗装かコンクリートか芝生か

高蔵寺教会の旧園庭の駐車場が、雨の日は使いにくくて、迷惑をおかけしています。もう幼稚園としては使わなくなったので、駐車場として整備してくださっていましたが、雨の日はぬかるんでしまいます。停めた車が出た後は、タイヤの跡でアスファルトの道に線を描いてしまい、汚してしまいます。そして、車の方もずいぶん汚れてしまう事になりました。

教会の駐車場を舗装するか、コンクリートで整備するとよいのですが、予算的にすぐには手が付けられません。砂利を敷くともっと安くできますが、それも予算的にまだ無理があります。

そこで、駐車場なので最適ではありませんが、芝生にすると、雨水の吸収やぬかるんだ状態からは解決してくれ、大雨の時に雨水が流れるときに泥水を流すのも減る土留めのような役割にもなると、やってみることにしました。

これも、芝生を刈ってきて敷き詰めるとよいのですが、数千円でできるようにとまずは、西洋芝の種を買ってきて蒔いてみることにしました。

教会の大掃除の日に、ちょうど小雨が降っていた日に、土をレーキで整えて、タネをまいてみました。すると、鳥がやってきてついばんでいます。あんな小さな種をどうやって見分けるとのかと不思議ですが、スズメだけではなくてカラスまでやってきます。

これが聖書のたとえにある、種まきのたとえだと、目の前の出来事を見ながら、感心して聖書を読みなおしたのでした。

2,聖書

 そんな有名な聖書の話が、今日読まれました。これに触発されて描かれたという有名な絵もいくつもあります。

 とても分かりやすいたとえ話で、身の回りに起こる出来事でもあります。そして、興味深いことに、この個所はほかのところと違って、そのたとえ話の謎解きと、イエス様がたとえ話をされた理由まで丁寧に書かれています。これ以上何を説教でお話すればよいのかと思うくらいですね。

 かんたんにイエス様のお話を振り返ってみると、こうです。蒔かれた種は、道端、石だらけのところ、いばらの間、そして良い土地にと、4つのところに落ちたとあります。そして、最初の三つはうまくいかないけれど、最後の良い土地に蒔かれたものは、多くの実を結ぶのだと、その結果の違いが語られています。

 ちょうどこれは昨日の、教会学校のお話でもテーマになっていました。こどもたちに、聖書と、そして絵本が読まれ、牧師が説教でもっと身近なこととしてお話ししました。

 こどもたちへのメッセージは、良く耕された良い土地の大切さを語りました。私たちの心はどうでしょうか?と問いかけます。人が行き来する道路のような落ち着きがない心、石のように固い心、茨のようにトゲがある批判的な心、そして、手入れされた柔らかい素直な心という具合です。素直に、神様の言葉を聞いて、正しくてやさしい、そんな心を育ててもらいましょう、と、そんなお話でした。

3,振り返り 

子ども向けにはそれでよいところですが、もう少し突っ込んで神様の言葉を聞いていきましょう。

イエス様のお話は、宣教のために派遣する弟子たちへ向けたお話が続いてきました。ですから、聞く側の心の準備として聞くだけではなくて、語る側・伝える側への心構えとして、イエス様は何を語っておられるかを聞くことも大事です。

そう読みなおしてみると、大切なことに気づかされます。そしてこの後、種まきに関する収穫の話へと、イエス様のたとえ話は数週間発展して続いていくので、どんな展開になるのか楽しみでもあります。

それは、宣教する側、種をまく側として聞くと、聞こえてくる神のメッセージがあるのです。

一生懸命蒔いても、つまり、一生懸命伝えても、思い通りにいかないこともある。事実、キリストの宣教の働きも、期待した通りにすぐに発展しませんでした。しかし、無駄になる場合もあることがわかっていても、種をまく人が、どんな場所にも隔てなく蒔いていることが大切なのです。希望が持ちにくいところにも、神様のみのりがやがて大きく期待できることを信じて、たゆまず、種をまくものになることが大切だ、と。

つまり、み言葉を聞く側の心構えとともに、み言葉を伝える側への励ましと慰めでもある、キリストの言葉でもあったのです。

事実、昨日の教会学校は、熱が出たり、暑さの中の習い事で疲れ果てて残念ながらお休みというこどもたちもいて、参加者は少なかったのです。がっかりした気持ちも正直ありました。一生懸命準備をして、祈りながら待っていた教会学校の先生たちも、気を取り直して取り組んでくれました。絵本を楽しく読んでくれた先生、準備した工作を一生懸命作ってくれた先生、おやつにヒマワリの種を買ってきて準備してくれたアイデアたくさんの先生たちでした。

すぐに思うような結果が出ないこともあります。がっかりすることもあります。私たち一人一人の人生もそうです。順調に物事が解決して導かれていると思うときもあれば、何度も何度も問題が繰り返して、出口がない迷路で迷い、希望や信仰を失いようになるときすらあります。すぐに受け入れても根がないのでダメになったり、世の思いや誘惑で振り回されることもあります。しかし、どんな時でも、神様が蒔かせてくれる種に、いのちがあり、力があることを信じて、あきらめずに、希望を持って生きることを、身をもって教えられたように思います。

4,勧め 

 私は先週介護のために実家に帰省しましたが、手続きや面会以外の大きな仕事は、草刈りでもありました。ジャングルのように伸びたセイタカアワダチソウや雑草たち。近所迷惑でもあり、空き家ですよとアピールしているようでもあり、良くありません。ご近所の方とも挨拶をし、おしゃべりしながら、心配と、そして喜んでもおられました。

 それら雑草は、手をかけなくても伸びています。しかし、刈り込みをしたアジサイの根元はどんな雑草も生えていませんでした。種自身の持つ生命力と、茨ならぬアジサイの茂った日陰の足元では何も育たないことも再発見し、教えられます。

私たちの、不信仰や愛の無さが、あきらめとなって、神様のせっかくの解決や祝福の道をふさいでしまわないように、元気を出して生きていきましょう。神様は、祝福しておられるのです。

 

 

牧師コラム 

輝く夏の大三角を見上げながら

介護の帰省で行った島根の山間部の夜は久々の星降る夜でした。受験勉強をしながら、眠気覚ましに庭に出て、夜空を見上げたころを思い出します。福岡でもきれいに見えました。冬はオリオン、夏は「夏の大三角」や天の川。この夏の大三角は、七夕伝説のベガとアルタイル、つまり織姫とひこ星、それに白鳥座のデネブが明るく光り、夜空に三角形を描いています。自分たちが育てられた街で、夜空を見上げながら、両親の介護や手続きをしながら、感謝や今後のことを考えました。





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