2023年7月2日日曜日

説教メッセージ 20230702

今日は、夏休みのこどもたちのサマー・デイキャンプの打ち合わせをしました。東海教区の他の教会にも呼び掛けた教区の行事にもなるので、Zoomで準備会をしました。去年も聖書を学んだり、ゲームや工作をしたり、スイカ割りをしたり、楽しかったのを思い出します。今年も、たくさん来てくれたらいいなと思います。もうすっかり、頭は8月末ですが、考えてみたらまだ7月になったばかり(笑)暑さや大雨もありますが、祈りながら、元気に安全に生きていきましょうね。礼拝は復活教会で担当し、Youtubeで中継し、Facebookでも10.30直前にご案内します。Youtubeのチャンネル登録をしていただくと、メッセージが来るようになるようです。では、おげんきで。礼拝でお会いしましょう。


聖書の言葉 マタイ 10:40~42 

10:40「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。 41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。 42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」


説教 「水とお冷の違い」徳弘浩隆牧師

1, 会計とお愛想、水とお冷…

お店で食事をした後、「おあいそ!」というと会計をしてもらう事ですが、実は、お店の人は言ってもいいけれど、お客さんの方が言うと本当は失礼な言い方だそうですね。これは、「愛想が尽きた」という言葉から来ていて、「食事していただいて、たくさん食べていただいて、もう、お飽きになりましたでしょぅ」という店主の側の感謝とヘリ下りの気持ちがあらわされているからだそうです。

お冷とお水には、調べてもそんな区別はないらしいですが、お水というと一般的な言い方で、お冷というと、やはり、何か気持ちの違いを感じます。それは、お店の側からお客さんに対しての、「冷たい水を一杯準備しました。さあ、どうぞ」という気持ちがあるのかもしれません。

今日の聖書には、「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」というイエス様の言葉があります。そこに込められた気持ちや、神様と私たちの関係は、どんなものでしょうか?聖書を読んでいきましょう。

2,聖書

 聖書は、収穫のためにと祈り、弟子たちを送り出されたイエス様でしたが、派遣するにあたってのお話が、数週間続きました。そして、今日の部分がその終わりの部分に当たります。

 今日私たちは、たいそうな「伝道旅行」に派遣されるわけではありませんが、礼拝でみ言葉を聞き、それぞれの生活の場に、職場や地域社会に帰っていきますが、神様から見たら、「派遣」されています。

 どんな心構えで戻っていくのか、どういう風にこの世の現実を生きていくことが大切なのか、そんな気持ちで、今日のイエス様の気持ちを聞いていきましょう。

 「あなたがたを受け入れる人は、私を受け入れたのだ」とありますが、これは、逆に言うと、なかなか受け入れられないという事がわかります。

 先週の言葉も思い出しましょう。イエス様はこうも言われました。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 わたしは敵対させるために来たからである」と。

 これは、この矛盾や問題だらけの罪深い世の中で正しく生きるという事は、表面的な差しさわりの無い生き方が良いのではないという事です。神の言葉は、罪深い人間の心を見せつけさせ、心に鋭く突き刺さり、分裂さえも起こさせます。まずは自分の、いい加減に生きていた心の中に分裂と、2つの気持ちの対立が起こります。良いことだと思うけれどついていけないとか、悪いことだと知っているけど続ける自分とか、そういう葛藤を生みます。そして、神の正しい言葉に従うなら、今までの善悪をないまぜにして皆に合わせて生きてきた社会では浮いてしまいます。そして、対立も起こるかもしれません。そうでなくても、人それぞれ自分が良いと思う事を自分で決め、つまりエゴイズムで競争や奪い合いをして生きている社会では、対立もあったわけですが、「一人いい子になる」対立を新たに生んでしまうのです。

 そんな自分がいるとして、そんな自分に、「冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、報いを受ける」と言われます。安心して、神様の言葉の通りに生きてゆくことが良いと、考えてよいでしょう。しかし、冷たい水をくれる人の気持ちも大切です。水いっぱいをくれる理由が大切なのです。「食べ物をあげるのはもったいないから、水一杯でも飲んでおけ」という気持ちではだめでしょう。聖書にこう書いてあるからです。「私の弟子だという理由で」と。

 神の言葉を受け入れ、そのように生き、その生き方をお勧めする人を見て、その方が神様からの方だと、イエス様の弟子だからと、そう理解し尊重したなかで、「冷たい水一杯でも飲ませてくれる」なら、神様もその人をめぐみ祝福すると、続いています。

3,振り返り 

さあ、私たちは、どんな生き方をするべきでしょうか? そういえば、神の言葉をよく勉強し、その通りに生きようとした人たちを知っています。イエス様の当時ではファリサイ派の人たちを思い出すでしょう。彼らのように生きることが良いのでしょうか?もちろん、それは違うと私たちは思うでしょう。たびたび、イエス様が批判されているからです。

では、何が違うのでしょうか?彼らも一生懸命に神を愛し、その言葉通りに生きていました。彼らは、そのファリサイ派という言葉のように、「分離していた」のです。神の言葉を聞かず、知らず、理解せず、そのように生きない人たちを、卑下さえし、自分たちは立派だと、一般民衆とは「離れた生き方」をしていました。それに対して、イエス様は「派遣」されたのです。

今日の聖書の言葉で、イエス様はそのような生き方を私たちに求めているのではありません。自分の中の罪、悪とは分離し、生き方を改めるかもしれませんが、人々から分離して、自分たちだけ救われたという、傲慢な生き方を求めているのではありません。

ファリサイ派のようにではなく、イエス様の生き方を見つめていきましょう。イエス様は、「飼い主のいない羊」のように疲れ果てている群衆を見て、憐れまれました。「町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」のです。弟子たちにも、そのようにといわれたのが、「派遣」です。そして、私たちにも、そのように生きるのだ、と言われているのが、今日のお勧めです。

4,勧め 

 私の言葉や、生き方を見て、「神様の、正しい者」として受け入れられるように、願われています。そして、相手が、一緒に神様を見上げて、イエス様の弟子だという理由で、水の一杯でも飲ませてくれる人になれるなら、どんなに幸いでしょう。

 失敗をしたり、時々ぶつかったり、まだまだ不完全なものですが、神様の愛、イエス様の生き方が、私たちから感じていただけるような生き方ができればと、祈らされています。そう、それもご存じで、イエス様は私たちを「派遣」されているのです。同じ失敗をしても、誤りがあれば素直に認め、謝罪と和解をしようと生きるなら、それは尊大に生きて人々を卑下している生き方とは違い、近寄りやすく、良いお手本になるでしょう。私たちも、完璧な生き方を一生懸命努力するより、また「装う」よりも、そんな生き方をするときに、「キリストの弟子」と思われるのかもしれません。その時、先週の聖書にあったように、「キリストの友」とキリストに呼ばれるものにされていくのでしょう。安心して一緒に、生きていきましょう。

 

牧師コラム 

文化の違い、知り、認め合い、豊かにされる…

先週は、私が日本語をお教えしたり日本での生活を支援している「ぺらぺらクラブ」の外国メンバーのお二人が結婚したので、カトリック教会のミサに出かけてきました。私たちの教会の草刈りやバザーなども手伝ってくれ、教区の青年会・外国メンバーのクリスマス会などにも参加してくれたメンバーたちの二人です。彼らはベトナム人の技能実習生です。正確に言うと、先に来た男性は3年過ぎて試験にもパスして特定技能ビザを取得し、後から来た女性の方が技能実習生。7月には日本語能力試験も待っています。一緒に勉強したり交流しているのは、ブラジル人、インドネシア人、中国人、そして帰国子女といわれるひと、そして中国帰国者たちです。最近はネパールの方もZoomで一緒に勉強しています。

ベトナム人のミサは、若者が5-60人、いやもっと、いたでしょうか。日本で働いている若者達です。驚いたのは、ミサの間、そして聖体拝領(聖餐式の配餐)の列で、みんなが「腕を組んでいる」ことです。新郎新婦も一番前の席で神父さんの話を聞くときに「腕組み」をしています。なにか、不遜な感じ。表情次第では不満を表しているようにも見えるかもしれません。聞くと、それは相手への尊敬の姿勢でもあるそうです。Zoomの日本語講座でそんな話になりました。そういえば、挨拶ではタイでは日本人が拝む姿勢のように「顔の前で手を合わせ」、中国では「グーをした左手を右手でかぶせて顔の前で合わせる」そうです。ネパールの人に聞くと、インドの人と同様、「ハイ」の時に「首を回すように振る」人も多いとのこと。首を横に振る、縦に振るのはできても、「回すように振る」というのは、日本の人は、慣れないとできない人も多いようですね。私は、インド出張の時に、練習してできるようになりました。いろんな言葉や文化の人が日本で一緒に生きています。神様のもと、平和に楽しく生きていきたいですね。


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