2023年7月21日金曜日

説教メッセージ 20230721

チャペルアワー メッセージ

聖書:ルカ24章36節

説教題:「『平和があるように』と言われたキリスト」

 徳弘浩隆牧師


1. 導入

ようやく梅雨が明けましたね。本格的に暑い夏に突入というところですが、もうすでに猛暑日の中すごした私たちです。豪雨被害もあり、心を痛めています。異常気象は人間のエゴによる環境破壊が大きな原因の一つと言われています。

そして、猛暑の8月に迎えるのは原爆記念日と終戦の日。「平和教育」という名のもとに、私の小学生の頃も原爆記念日は登校日で学んだ事を思い出します。

 身の回りでは、環境破壊による異常気象や新型の感染症が流行し、平和を作り出せない戦争が今も続いています。これらによって、諸物価高騰や社会の在り方の変化もおこりました。身近な問題になっています。どうしたら、解決できるのでしょうか?


 私は、記事で読んだある科学者の言葉が心に刺さり、残っています。彼が言うには、「環境問題を一気に解決する確実な方法がある」というのです。どんなむつかしい方法かと関心を持ちますが、実は簡単な方法だそうです。こう続きます。「それは、人類が滅びたらいいんです」と。なんと、逆説的ですが、なるほど諸悪の根源は、私たち人間なんだと、思い知らされます。それが狙いの発言でした。戦争も実は、人類が皆滅んだら、今の形の人間同士の戦争はなくなるでしょう。

 しかし、その方法をとるわけにはいきません。どうしたら、私たち人類をこの地球上から排除しない形で、環境問題の解決や、今日のテーマの「平和」を実現することができるのでしょうか。聖書の言葉を聞いて、考える時間を一緒に持ちましょう。


2. 聖書

 ルカによる福音書24章36節が選ばれました。「こう話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」とあります。この、「平和」というのは、ヘブライ語では「シャローム」と言いますが、実は、昔も、今でもユダヤの人は、普段から挨拶の時に使う言葉でもありました。日本語の「こんにちは」のような、本来の意味から離れ発展した挨拶の言葉でもあるのです。

 しかし、この日のイエス様の言葉は、それ以上の意味を持っていました。なぜでしょうか?それは、自分を裏切り、見捨てて逃げて行った弟子たちに復活した後で会った時に語った言葉だったからです。ただの「やあ、こんにちは」ではなくて、この時は「みんな、安心していいんだよ」とも聞こえる言葉です。弟子たちは、自分たちの主を裏切り、その結果十字架で死んでしまったことを悔い、そしてローマ兵が自分たちをも捕らえに来るかもしれないという恐れで、部屋の鍵を閉めて隠れていたのです。そこに奇跡的に復活し、閉ざした部屋に現れたイエス・キリストでした。弟子たちは、恐れと、悔いと、驚きで大変な気持ちだったでしょう。そんな彼らに現れ、「安心していいんだよ。心に平和があるように」と言われたのです。

 自分が裏切って死に追いやった方が現れ、責めるのではなく赦し、呪うのではなく安心と平和を祈ってくれる、その出来事が、彼らを変えました。「究極の愛」に触れたのです。自分たちのエゴイズム、つまり、自分たちの罪深さを思い知らされたのです。そして、改心させられました。


3. 振り返り

 人間は、皆「平和」を願います。今もみんな祈っています。敵も、味方もです。でも、実現しません。どうしてでしょうか。それは、一方の願う「平和」は敵が負けることやいなくなること。敵も同じように、こちらが負けることやいなくなることで実現するのが「平和」という状態です。この二つは互いに排除し合い、両立しないことです。だから、いつもこう考える人類が平和を実現するのは、両方がいなくなること。つまり、「人類が滅びたら戦争が終わる」という突飛な解決策が持ち出されることになるのです。


 しかし、聖書がいう「平和」はそうではありません。聖書の一貫したメッセージは、ここで去年もお話ししましたが、「神を愛し、人を愛する」ことです。違いがあっても、互いを認め合う事です。そのうえで、神様のもとで調和の中を生きることです。「神を捨て、人が善悪を勝手に決めて生き始めたのが罪の始まりだ」と聖書は伝えています。

調和の中を生きるといっても、違いを全くなくすような、画一的な社会を作るのもまた、暴力と言えるでしょう。個人の自由がなく、絶対権力で統制されるか、洗脳のような状態で同じ考えを強制される世界は、本当の平和な状態ではないのです。


 今、世界は問われています。日本の社会も問われています。たくさんの価値観があります。多文化の背景を持つ人たちが一緒に生きる社会です。文化や言葉や、結婚や性別さえ、多様性がようやく認められるようになりつつあります。しかし、意見や価値観の衝突もあります。自分らしい生き方を公言し、求めて生きようとする人への攻撃もあります。そんな中で死を選ぶ人もありました。悲しいことでした。

私たちは、違いや多様性に寛容であることが願われています。自分の価値観で判断し、肯定したり否定したりしない、柔軟な心が必要です。


4.  エピソードと勧め

 先日、私がお世話をして交流している外国人のなかの一組のカップルが結婚しました。ベトナム人で日本で働いている人たちです。彼らの結婚式に招かれ、行ってきました。カトリックの教会でベトナム人青年が100人くらいいる中に、私の教会の数人が参加しました。彼らと仲良くしている日本人、ブラジル人、インドネシア人です。

 サそのものは私たちのルーテル教会と同じような流れですから、ベトナム語が分からなくても居心地が良い、わかりやすいものでした。しかし、気になることがありました。ミサの間、多くの人が腕組みをして座っているのに驚いたのです。新郎新婦もそうしています。神父さんの前に立って結婚の誓約をするときも、彼らは腕組みをしていました。面白いでしょ。まるで、腕組みをして躊躇しているように、考え込んでいるようにも見えます。しかし、調べてみて、また、教えられて知りました。腕を組むのは相手を尊敬しているときにするしぐさだという事です。

 私たちは、自分の考えや先入観だけで物を見てはいけませんね。多文化共生の外国の方々と一緒に生きていくことは、自分の価値観がいかに一方的であったかを思い知らせてくれます。面白い発見がたくさんあります。ここでは話せないくらいたくさん。8月に私たちの教会では、「青年と外国メンバー」のキャンプをします。そこで、「カルチャーショック大会」をして、驚いたことや失敗談を披露しあう事にしました。一番驚いた・面白かったエピソードや失敗談の人に、商品を出そうと企画しているくらいです。


キリストは、自分や、同じ民族を愛するだけではなく、自分たちの内にいる外国人も、そして隣人を愛せと言われました。そのうえで、それを超えて、敵をも愛せと言われました。言うだけではなくて、その通りに生き、十字架で敵を赦しながら死んでいかれたのです。その方が自分を裏切った弟子たちに言われる「あなたがたに平和があるように」という言葉を今日は一緒にしっかりと聞きました。

そんな「究極の愛」を見上げながら、生きていくときに、本当の平和が訪れるのです。それが今日のメッセージのポイントでした。そう生きるときに、あなたの心に「平和と安心」が。あなたの家族や、学生生活や、社会に、そして世界に、平和が始まります。


皆さんの上に、神様の祝福と平和がありますように。



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