東海聖書セミナー 01 「教会」という言葉の再考
2023/04/22
徳弘浩隆
1.
「大浦天主堂」って知ってますよね。「教会」以外の呼称…
(ア) 大浦天主堂、浦上天主堂。ところで、「天主」って何だろう?
①
天主:神様。天の主。初期宣教師の中国語への翻訳から来ている。
1.
ポルトガル語のDeus(デウス、またはデウシュと発音)
2.
スペイン語ではDios(ディオスと発音)
3.
天主教、天主教徒:カトリック教徒
② 大浦天主堂ウエブサイト:
天主堂という呼び方は、現在ではあまり使われていません。教会という呼び方が一般的です。それでは、何故、大浦天主堂と呼ばれるのでしょうか。それは、大浦天主堂正面に書かれている「天主」という言葉から来ています。「天主」とは、中国で使われていた言葉で神様のことを指します。宣教師達は中国で使われていた、この「天主」という言葉を使って、自分たちの新しい教え、神さまのことを布教したいと考え、その思いが、大浦天主堂正面の「天主」という文字にこめられています。
当時はまだカトリックという言い方は使われておらず、宗教法人としても、天主教団(公教団)という名称を使っていました。戦争前に建てられた教会は天主堂と呼ばれており、文化財の指定時に天主堂と掲載されたため、通称「天主堂」と呼ばれています。(現在は「カトリック◯◯教会」が本来の呼び方です)。
③ 長崎市観光サイト 教会巡りのその前に。見学のマナーと基礎知識:
【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】教会巡りのその前に。見学のマナーと基礎知識 【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】:【教会とは】教会という言葉は「祈りの家、建物」を意味することが多いですが、「キリストを信じる人々の集い、共同体」も意味します。長崎県には、133の教会(主任・巡回教会など)があり、72の小教区を構成し「長崎教区」になっています。
全国にはこのような教区が16ありますが、全国のカトリック信者の14%が集まる長崎は、大司教を中心とする「カトリック長崎大司教区」です。
明治以降、初期の教会には正面に「天主堂」と書かれた額が掲げられていますが、これは神「デウス」の中国語表記「天主」を、外国人神父達がそのまま流用して「天主堂」としたものです。
④ 最初の宣教師はポルトガル語やスペイン語を話していた。彼らの日本語や日本文化への翻訳や適応が、最初の既成概念の元にもなっている。また、彼らの残した言葉が日本語になっているものも多い。
カルタ、金平糖、カステラ、河童、おんぶ、ドチリナキリシタン、ヒーデス、バテレン、パドレ、イルマン、サンタクルス、オラショ、など。もちろんその後は、プロテスタントや戦後の宣教にもよるところが大きい。
(イ)
講義所
①
大曽根講義所→ルーテル復活教会:1928年(昭3)、『大曽根講義所(その後「大曽根教会」と名称変更)』として名古屋市の大曽根地区で伝道を開始しました。
2.
教会ってなんだろう?
(ア)
歴史的には:エクレシア
① Wikipedia:
キリスト教における教会(ギリシア語: ἐκκλησία、ラテン語: ecclesia、英: church)とは、ギリシャ語の「エクレシア(ἐκκλησία=国のために召集された集会)」の訳語で、「人々の集い」の意味から転じ、キリスト教においては神の呼びかけで人が集まるという意味(教会の字にある宗教の意味の「教え」は入っていない)となる。
この語は「公同の教会」、または単位となる信仰共同体を指す意味で使われ、プロテスタントの教会ではキリスト教会という呼称・名称もよく使われる。また、「エクレシア」の訳語ではないが、信仰共同体である教会が所有する宗教施設(教会堂)を指す意味および名称として使われる場合もある。
1. 名称:キリスト教発生の初期から、「キリストの体(エフェソ 1章23節)」、「キリストの花嫁」、「真理の柱(テモテ一 3章15節)」、「聖霊の神殿(エフェソ 2章20-22節)」などと一般に呼ばれてきた。また教会は、女性としての表現が多かった。
2. 聖書からの由来:
(ア) 教会は、新約聖書のコイネー・ギリシア語の名詞「エクレシア(εκκλησία)」に由来する。後期ラテン語訳聖書のヴルガータでは、ecclesia と訳されている。古典ギリシア語において、「エクレシア(エックレーシア)」とは、規則に基づいて召集された市民会議または立法府などの「政治集会」を指していた。しかし、新約聖書などに使われるコイネー・ギリシア語では、ヘブライ語の「宗教会議」を意味する名詞「カーハール」の意味として使用されるようになった。実際に、コイネー・ギリシア語の七十人訳聖書では、カーハールを「エックレーシア」で訳する例が存在する(詩篇 22章22節(マソラ本文)、21章23節(七十人訳))。
(イ) このヘブライ語「カーハール」は、七十人訳聖書において名詞「シュナゴーゲー(συναγωγή)」で訳される箇所がある(民数記 16章3節、20章4節)。シュナゴーゲーは、通常にユダヤ教の会堂を意味する(マタイ 4章23節など)。しかし、シュナゴーゲーは、信者の集いとしての意味で使用される例がわずかに残されている(ヤコブの手紙 2章2節)。このことにより、教会という語彙は、シュナゴーゲーとして使用する場合、「信者の集い」と「典礼に使用する建物」と両方の意味を指すことがある。
② ※エクレシアという言葉から、ラテン系の言葉では今でもその語源の言葉を使っている。
ラテン語:ecclesia
スペイン語 :Iglesia
ポルトガル語:Igreja
イタリア語:Chiesa
※面白いところでは、
インドネシア語:Gereja
キリシタン時代の日本:エケレジャ
③ ちなみにChurchやKircheの語源は別
現代語で〈教会〉を意味するchurch(英語),Kirche(ドイツ語)などが〈主に属するもの〉を意味するギリシア語to kyriakonに由来し, église(フランス語),chiesa(イタリア語)が〈集会,招集されたもの〉を意味するギリシア語ekklēsiaから来ている。(株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)
----------------------
church (n.) 古英語の cirice、circeは、「キリスト教の礼拝のために設けられた集会場所、キリスト教徒の集団、教会の権威や力」という意味で、原始ゲルマン語の *kirika から派生した言葉です(同源語には、古サクソン語の kirika、古ノルド語の kirkja、古フリジア語の zerke、中期オランダ語の kerke、オランダ語の kerk、古高ドイツ語の kirihha、ドイツ語の Kircheがあります)。
これは、おそらく、ゴート語からギリシャ語の kyriake (oikia)、kyriakon doma「主の家」に借用されたもので、kyrios「支配者、主」から派生したもので、PIEルートの *keue-「膨らむ」(「膨らんだ」、つまり「強力な、力強い」)から派生したものです。
ギリシャ語の kyriakon(形容詞)は、紀元300年頃から、特に東方で、キリスト教の礼拝の場所として使用されていましたが、この意味ではekklesiaやbasilikeよりも一般的ではありませんでした。多くのキリスト教用語がゴート語を通じて直接ギリシャ語からゲルマン語に伝わった例であり、おそらく西ゲルマン人が異教徒だった時代に使用されたものです。
この言葉は、スラブ語にも取り入れられ、おそらくゲルマン語を通じて(古教会スラヴ語の criky、ロシア語の cerkovなど)。フィンランド語の kirkko、エストニア語の kirrikは、スカンジナビアからのものです。ロマンス語やケルト語では、ラテン語の ecclesiaの変種が使用されています(フランス語の égliseなど、11世紀)。
(エティモンライン - 英語語源辞典)
(イ)
参考になる書籍
①
「教会とはだれか」~その意味と働き~ 石居正己/1997年 JELC西教区伝道奉仕部
② Laos講座 01 創刊号 「信徒として生きる」 江藤直純/2004年JELC宣教師室
③ 教会はキリストの体
ー宣教第二世紀めをめざしてエフェソ書に学ぶー
JELC宣教百年記念事業室編 1992年
3.
「教会」という言葉には二つの意味がある
(ア)
「教会」の本来意味するもの
①
「信徒の群れ」
②
「建物」
(イ)
ブラジルの「ルーテル・日系サンパウロ教会」の呼称はこうだった
① Igreja Evangélica de Confissão Luterana no Brasil, Congregação Japonesa
② Igreja Evangélica de Confissão Luterana no Brasil, Paróquia Nipo-Brasireila
1. 「日本福音ルーテル教会、高蔵寺集会」、または、
2. 「日本福音ルーテル教会、高蔵寺小教区」となるか。
(ウ)
他の言語に見られる二つの意味と言葉の使い分け
①
教会:
②
日本語 >「礼拝堂」と「信徒の群れ」←言い慣れない
③
ポルトガル語 > Igreja(イグレジャ) と Congregação(コングレガッサオン)
④
英語 > Church と Congregation
(エ)
Congregation
①
Congregate(英)、 Congregar(ポ):集まる(日) <動詞>
②
Congregation(英)、 Congregação(ポ) :集会(日) <名詞>
(オ)
Community
① Community(英)、
Comunidade(ポ) :共同体
(カ)
Parish
①
Parish(E)Paroquia(por):小教区(日)
② 小教区:教区をさらに地域割りしたエリア(地区)。そこにあるのが「教会堂」
③ 考えてみると、
教区、小教区
教区、地区、教会共同体、教会、礼拝堂・集会所
教会、分教会
(キ)
整理すると…
ことば |
本来の「教会」 |
|
建物 |
信徒の群れ |
|
日本語 |
〇教会 |
△教会 |
ポルトガル語 |
Igreja |
Comunidade /
congregação |
英語 |
Church |
Community /
congregation |
ドイツ語 |
Kirche |
Gemainde |
4.
見えてくること
(ア)
「教会」は建物(「教会堂」)の事だけではない
①
「教会」=教会堂(建物)+信徒の群れ(共同体)
②
「教会」は信徒の群れであり、それが集まるところが「教会堂」
③
信徒の群れがより良い集会や信仰の養い、宣教ができるためなら、「教会堂」を移動してもよいはず。「『教会堂』死守」になる必要はない。
(イ)
「信徒の群れ」という「教会」は共同体でもある
①
教会という言葉の「教」に引きずられて、教え、学習するだけの場所ではない。
②
もっとも、「異教の地」では、「教え学ぶ」ことが入口かもしれないが、生涯求道し続けて、すべて理解したら信仰を持つ、という事ではないはず
③ 「キリスト教多数の国」でも、日本の神道や仏教のように「習慣」や「習俗」になっている面が、良くも悪くもある。「迷信」の混入もあるだろう。ぼんやりと慣れ親しんできた礼拝や教会儀式、教義の意味を学び、自分のものにするのが「堅信式」。
これも、国によっては、「成人式」という社会的な通過儀礼にもなっている面もある。「教会で堅信式を受けないと、教会で結婚式をしてもらえないから」SLEYのマータナキュビッサ大会(堅信教育キャンプ・ロック音楽や劇もあり、3万人が集まる福音大会)
④
ブラジルの地方の教会は、選挙の投票所にもなる。いろいろな行事がある地域の集会所でもある。ブラジルの教会は、ドイツ移民がそのまま持ち込んだシステム。
⑤
日系人は、県人会がある。宗教はそれぞれ違うから、宗教的な行事は各宗教団体が分担もしている。「キリスト教国」文化では、それらを「教会」という建物と、共同体が担ってもいる。
(ウ)
学習し、一生懸命信じぬく信仰の戦いの場所ではなくて、一緒に食べ飲み、泣き笑い、人生のいろいろなところを通過しながら、助け合い支え合って生きてゆく、共同体でもある。私たちの「教会」は?
(エ)
牧師や、教会の伝統で、それぞれ特色があるだろう。それは、否定しないし互いに尊重し合ってよいが。
① 礼拝、学習、弟子訓練。それ以外はしない。
② 社会奉仕や社会活動
③ イベントや泣き笑い、飲食も
④ 教会の働きとして、幼稚園や保育園
⑤ 地域へ場所を貸している
⑥ こども食堂、地域食堂、学童保育、、様々
私は、どんなひととも、どんなことでも…
(オ)
建物としての教会の在り方は
① 多くの日本の人の創造し期待する「教会」は白い壁で赤い屋根で上に十字架
② しかし、教会建築でも歴史的にはいろいろな時代や手法がある。特定の時期の特定の様式を、みんなは好む。
③ 日本各地の「城」も同じで、城跡に後に「復元」したものがほとんどで、オリジナルのものは皆のイメージする現在の「城」とはずいぶん違い、破風がないものや、平屋もあった。しかし、皆はあのイメージの城を期待し、それに合わせて建て直す。結果、歴史的に誤った認識を持たされてもいるものも多い。岐阜の一夜城は極端な例。
④ 宣教の手法として、皆が期待するイメージの建物が良いという事も言える。
⑤ 新来会者や外国人、足の不自由な方への対応なども。
(カ) もっと大きな意味での『教会』は
① 宣教は、「伝道・教育・奉仕」とよく言われる
イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。マタイ4.23
② 大きな意味での『キリスト教会』がそれを担ってきたともいえる
③ 分類すると、そして、今の社会で言うと
1)伝道 → 教会の働き :宗教法人
2)教育 → 学校、幼児教育、:学校法人
3)奉仕 → 社会福祉 :社会福祉法人
と、社会制度も充実し行政が担うようになったので、分業化した
④ 日本福音ルーテル教会では、それらがより良い宣教協力をして互いに助け合い補完し合うために、「ルーテル法人会連合」を作った。
⑤ 大きな意味での『教会』の社会への働きとしては、これら三つの分野を意識してもよいだろう。
5.
この講座で学び、今後それぞれ考えるきっかけにしましょう
(ア) 自分の「教会」の歴史で、「教会堂」と「共同体」はどういう経緯と特色を持ってきたか。
それが、設立時と今でどう違うか?
いま、「共同体」の内部と、地域両面で、何が大切にされ、求められているか。
(イ) 二つの意味がある教会の、「教会堂」に固執して「共同体」が弱まってはいないか。
(ウ) 二つの意味がある教会の、「共同体」が大切だとして、「教会堂」をなおざりにしていないか。
(エ)
「建物としての教会」に依存しなくてよいとして、インターネット礼拝や聖餐式についての理解の違いで衝突したり、躊躇してはいないか?
①昔流行した:TV伝道、TV礼拝、VHSビデオ礼拝、ラジオで礼拝
②インターネット伝道:教会へ行く前や、幼稚園選びで当たり前
③コロナもあって:ネット中継礼拝(一方向)、ネット参加礼拝(双方向)、メタバースなど
(オ)
自分の「教会」の牧師先生で、何が養われているか。歴代の牧師先生それぞれに特色があったでしょう。自分たちの「共同体」は、何を学び育てられてきたか。それが、そのままなのか、歴代の牧師で多種多様な養いを夫々受けて来たか。これから、どういう面を養い補強したいか。
(カ)
聖書や歴史のなかで、「教会」はどのように位置づけられ、変遷してきたか。
(キ)
教会とは、「何か」そして「誰か」。そして、これからどうしてゆくか。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。