2022/04/15 受苦日礼拝 十字架、その三つの意味
1.
導入
(ア) 今日は受苦日、聖金曜日ともいわれます。
(イ) キリストが十字架にかかられた日。
(ウ) 伝統的にいろいろな行事
(エ) スペインではSemana Santa 聖週間。キリスト像やマリヤ像のおみこしのような行列も。
(オ) クリスマスよりも大切ともいえるこの日、何を学ぶべきか
2.
聖書
(ア) 今日読んだ聖書の少し前から振り返りましょう。
(イ) イエス様がとらえられ、
(ウ) ペテロは知らないといって裏切った
(エ) 大祭司のしゅうと、アンナスのところへ連れて行かれた。 大祭司カイアファ「一人が皆のため死ぬのは好都合だ」と助言。尋問。
(オ) 大祭司カイアファのもとへ連れていかれた。
(カ) 次に、イエス様は総督官邸へ連れていかれた。ピラト。イエス様に質問。ユダヤ人の過ぎ越しの祭りの習慣に合わせて、釈放しようと提案したが、十字架にかけよとユダヤ人たちに迫られる。「ローマ皇帝に対する反逆」と脅され裁判をした。祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答え、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
(キ) ユダヤを支配していたローマ帝国の力を借りて、ローマ皇帝を受け入れずユダヤ教を守っていたのに、「自分たちの王はイエス様ではなくてローマ皇帝のほかにはいません」との詭弁を使ってまで、イエス様を十字架へ追いやった。
罪状書きはここにあるように、「INRI」ラテン語:IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM。「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意味。
(ク) 文化や宗教を否定し武力で支配する帝国と、苦しむユダヤ教の小国。それを解放してもらうのではなく、帝国の力で自分たちの小国の希望の星ともなる人を殺させた。今の戦争を見ていても、とても考えさせられる出来事。
(ケ) しかし、この時のこの出来事には、神様の愛と計画があった。
(コ) この十字架は、本来そんな、自己中心の罪びとたちが滅ぼされなければならないのに、代わりに死んでいくという事で、神様の赦しにあずかることができる道を開くという事だった。身代わりに清算してくれたから、そこにはもう負債がないという考え方。ユダヤ教の「いけにえ」にはそもそもそういう意味があった。
3.
振り返り
(ア) このような不思議な神様のご計画で、人間が負うべき罪を帳消しにして、救い出し、作り替えようとするのが、十字架。
(イ) 暴力や強制、洗脳やマインドコントロールでは解決できない。
(ウ) 奇跡で人間が悪い心を持たない人間に変わったとしたら、それは今までの自分ではない。
(エ) 今までの自分が、自分に向き合い、格闘しながら、改心して、ぶつかり、赦しあいながら、少しずつでも変えていかれるのが、私たちの生き方。信仰。
(オ) キリストの出来事を受け入れ、洗礼を受け、信仰を持ち、教会という新しい家族の共同体の中で、生きていくという事。
(カ) 知識や儀式で変わるのではなく、「聖なる公同の教会」でのかかわりや、社会生活が必要。
(キ) そこには、自分の罪を見せつけられ、赦せない、愛せない人もいれば出来事もある。
(ク) その時、どう生きるかが大切。
4.
問い
(ア) あなたにとって、十字架は、なんですか?
(イ) 教会のシンボル。クリスチャンの証。デザイン、ファッション…
(ウ) 十字架はもともと死刑の道具。お寺の屋根の上に、絞首刑やギロチンのデザインの飾りがあれば驚くでしょう。それと同じくらいの、変わったデザインの、インパクトが本来あったはず。しかし、いつの間にか、素敵なデザインになった。首にかけるファッションにもなった。権力や富の象徴にすらなった。
(エ) あなたにとって、十字架は、なんですか?
①
キリストがかけられ、殺された道具。
②
本当なら自分がかけられなければならなかったもの。
③
そして、一人ひとり、自分が背負う十字架がある
(オ) これが、今日考える、十字架の三つの意味。
①
素敵なシンボルでもデザインでもない、神の愛と赦しの身代わりの死。
②
本当なら自分も、罰せられなければならない罪びと
③
自分も誰かのために、十字架を背負うことが願われている。
(カ) 表紙の十字架は、フォークで作った十字架。その人はフォークでいろいろなものを表現しているアーチスト。マッサージ師の教会メンバーはマッサージ師のデザインを作ってもらった。私の自分で作った十字架はクギを4本合わせたもの。
(キ) 特別な飾りではなくて自分の生活に、十字架を持ち込んで考える。
(ク) 一人ひとり、神様から出会わされた、その人の十字架を背負ってあげる相手がいる。
(ケ) 私は、中高生、幼稚園児、そして外国人。またご高齢者。自分の人生でそんな難しさや、対象に出会い、一緒に泣き笑いしたから。隣人。
(コ) 昨日高蔵寺教会の帰りに、春日井市の国際交流課を訪ねた。ポルトガル語とスペイン語の通訳ボランティアの正式手続き。日本で苦労している外国人、家族の役に立ちたい。神様の愛を伝え奉仕したい、自分も「外人」だったから。
(サ) 「寄留の民を愛せよ、自分もそうだったのいだから」と神様はユダヤ人に命じた。
(シ) あなたが十字架を背負ってあげる隣人は誰ですか?
(ス) 十字架の三つの意味、考え祈りながら、生活しましょう。
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