2021年11月27日土曜日

週報・説教メッセージ20211128


 

聖書の言葉 ルカ21:25~36 (新152)

21:25「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 26人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。 27そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 28このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」29それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 30葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。 31それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。 32はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。 33天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」34「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 35その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。 36しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」


説教「目を覚まして祈る」 徳弘師

1. 徹夜は体に響く年になりまして…

先日私の母が緊急入院と手術をしまして、急遽帰省して世話をしましたが、ご心配とご迷惑をおかけしました。90歳二人の暮らしで、父も耳が遠くなり、病院とのやり取りでも少々要領を得ませんので、「私が行かなければ」とのことでした。父は車を運転しない歳になりましたし、入院の準備でも買い出しも見舞いも大変です。私は妻と相談をし、教会の代議員さんに連絡を入れ行くことにしました。飛行機でも新幹線でもなく車にいろいろ荷物を積んで、一人で夕方出発しました。昔は徹夜をしても応えませんでしたが、最近は後を引くようになりました。幸いブラジルで長距離の訪問や家庭集会にも慣れ、長距離運転は苦にならなくなりました。しかし、運転は少々下手になり心配です。ですから、3時間近く運転したら無理せず休憩というパターンを4回することに決め、12時間ほどで実家につきました。しかしさすがに最後のセットはきつく、一時間ほど車で仮眠しました。

さて、今日の聖書の言葉の最後は、「いつも目を覚まして祈りなさい」とあります。「その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」からです。いつも気を張って、「その日」に備えないといけません。そんなことはできませんね。これはいったい、どんなことでしょうか?聖書を読んでいきましょう。

2.聖書を学びましょう

教会のカレンダーでは先週で一年が終わったところです。聖書で「その日」または、「主の日」と言われてきたのは、「終わりの日」です。終わりの日は、天変地異が起こる恐ろしい「終末」と思われますし、多くの人が滅ぼされてしまうとも考えられます。しかし、神様を信じて正しく生きた人は救われる「救いの日」「解放の日」でもあります。やがてもう一度来られるというキリストを迎える日でもあるからです。そんなことを味わいながら、終わった一年。その後は何があるのでしょうか?まだキリストは再臨されないから、無駄な努力の一年だったでしょうか?そうではありません。キリストがもう一度来られるという「終わり」を見つめながら、キリストを最初に迎えたクリスマスへと重なり、「はじめ」の準備へとつながっていくのです。

最後を見つめながら、最初へと目を向けやり直すともいえます。終わりが始まりであり、最初であり、終わりでもある、神様との関係をも考えます。

全てのものは偶然に出来て、自然淘汰で適者が生存して、進化していったという考えでありません。神様がすべてを創造され、その通りにいろいろな種類の生き物が生まれました。そして最後に作られたのが人間でした。それは、「はなはだ良かった」と神様が満足されたように、素晴らしい天地創造でした。しかし人間は神様を裏切り、自分の判断で生きるようになり、それは他者よりも自分を優先する、エゴイズムの生き方のはじまりであり、それがもとで、個人から家庭から社会、国に至るまでそれが蔓延し、犯罪や戦争、差別や抑圧が後を絶たない人間の歴史が始まったのです。

そんな人間を救うために、神様は預言者を通して語りかけ、苦難のユダヤ民族を救い出しもし、その延長線上に、約束された救世主を人々は待ち望んだのです。

この方の教えや生き方、そして死に方を通して、人類は自己中心の罪を見つめさせられ、改心へと導かれ、この方が教えた本当の愛を生きるように変えていかれました。この方とは、クリスマスに生まれたイエス・キリストのことです。

この方は、最後には天に上り帰って行かれましたが、もう一度来られて、すべての救いを完成し、最後の審判があるとされているのが、キリストの再臨と終末です。一年をかけながら、そのことを毎年聖書から学び、キリストの教えを聞きながら、キリストとともに生きていくというのが教会のカレンダーの一年です。そして、今日が新しいサイクルのはじまりです。

3.振り返り

このように、教会のカレンダーで、イエス様の救いの生涯と預言の「はじめと終わり」を考えるときに、「私はアルファでありオメガである。最初であり、最後である」という聖書の言葉(黙示録1.8,21.6,22.13)を思い出します。そしてもうひとつ思い出すことはありませんか?「アルファ、ベータ、ガンマ…」から。

そうです。新型コロナウイルスの変異株に、ガンマ株、デルタ株といった名前が付けられたのを思い出します。ようやく峠を越えて普通の生活に戻れるかと日本では思い始めましたが、ドイツやイギリス、お隣の韓国などでは空前のピークを迎え苦心されています。そんな中、新しい変異種は順番から「オミクロン株」と名付けられ、感染力が強いと警戒されています。なぜか「ミュー」と「グザイ」が飛ばされた理由や政治的配慮も話題になっていて興味深いことです。

さて、コラムにも書きましたが、私は新しい名前が出るたびに指折り数えながらギリシャ語のアルファベットを確認します。そして、アルファでありオメガである神様を思います。「全ての創造主でありはじまりである神様。そして、終わりの日、裁きの日と救いの日をつかさどる神様。生きていても死んでいてもそのいのちを管理され、救われたものには永遠のいのちをいただく、終わりであり永遠である神様」を思い出します。

4. 勧め 

 去年一年はどんな年でしたか?振り返り、反省し、また感謝しましょう。正しく、愛をもって生きることができたか、また失敗をしたり人を傷つけたりもしたでしょうか?イエス・キリストと一緒に生きるなら、「初めであり終わり」である方に任せるなら、すべての「悪の終わり、新しい人生の初め」を一緒に生きていくことができます。そうです、「終わりであり初め」でもあるのです。あなたの人生にも、よいクリスマスの準備ができますように。


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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説 


「終末は救いの日」 

私たちの教会暦には終末主日、あるいは終末節とかはありません。決してそれだけ軽く考えているわけではありません。

そもそも主日というのは「主が再び来られる日」ということです。この日を皆で集まって、皆で主を迎えようというわけです。それでも年に一度は終末を学ぶ日があってもと思います。そこで一年の最後の主日を、と考えることもあります。しかし私たちは一年の最初はそれに当てています。今は待降節でクリスマス前の雰囲気がありますが、以前は待降節、再び来られる主の降臨を待ち望む日でした。ただ日課はエルサレム入城、年の始めの礼拝で御聖体の入祭を覚えるといった感じです。

今日の福音書は「人の子の再来、いちじくの収穫期、目を覚ましていなさい」という教えです。時を見ること、悔い改めることが告げられます。そして第一日課のエレミヤ書はイスラエルの背きとそれに対する罰としての滅びがテーマでした。しかしこの33章からは「滅びからの救い」がテーマになっています。実は「終わりの日の審きは救いの日」なのです。シャローム!(三木久人)

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牧師コラム 

アルファ、ベータ、ガンマ…いったいどこまで?


 ピークダウンし、ようやく通り過ぎたかと思った新型コロナ蔓延ですが、南アフリカでまた新種が発見されました。これが強力だと聞き、きちんとした対策が引き続き必要と思わされています。

 私はコロナの変異株を聞くたびに神学校でギリシャ語を学んだことを思い出し、「アルファ、ベータ、ガンマ…と指折りしながら24文字を確認します。今回は「オミクロン株」だそうですね。あと9個しかありません。足りるのでしょうかね?最後はオメガです。この際、右の図を見て覚えてみませんか?

神様は「アルファでありオメガである」と聖書にもあり、すべての根源の方、そして終わりの裁きと救い、永遠の方でもあります。創造主・神様の時を超えた人間への本当の愛、そして永遠の命をも見つめましょう。神様の愛に信頼して、悔い改め、伝染病も終わりになることを祈りましょう。(徳弘牧師)


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