2020年8月1日土曜日

週報・説教 20200802






聖書の学び 
今週の聖書の言葉
夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 すべての人が食べて満腹した。 (マタイ 14:13~21 )

説教(解説) 「これだけしかないのに」 徳弘浩隆師
1、8月といえば…(ちょっと雑学)
8月になりました。英語では8月をAugustといいますね。これはローマ皇帝アウグストゥスの名前からきているそうです。彼の統治時代にイエス様がその属州ユダヤのベツレヘムで生まれました。紀元14年8月に死んだアウグストゥスの名前を後に付け、養父ユリウス・シーザーの名前を7月に入れて、7月をJuly、8月をAugustというようになりました。それで、二か月名前がずれ9月以降の呼び方は本来7の月という意味のSeptemberが9月、8の月という意味のOctoberが10月、9,10の意味を持つNovember, Decemberが11月、12月ということになりました。これは中学の英語の授業で勉強しましたが、私は30年後にポルトガル語を勉強している時に、7,8,9,10の意味を持つ月の名前が分かるようになって、謎が解けました。
水曜と金曜の集会では、使徒言行録を読んで映画を見ながら勉強しています。ローマ帝国側のピラト、ユダヤ教の大祭司カイアファ、そしてイエス様の弟子たちのそれぞれの立場もよくわかり、大変興味深い勉強になっています。どうぞ、おいでください。

2、8月には
さて、8月は夏休みやお盆休みがあり、親せきが集まる月ですね。今年は、新型コロナの再流行で集まることも難しくなりました。たくさんの人が集まって食事をするときに、気になるのは食事が足りるかどうかということですね。急にこられなくなった人がいたら仕方がないですが、予想以上にたくさんの人が来てくれたら、大歓迎で嬉しい反面準備した食事が足りるだろうかと冷や汗をかくこともあります。皆さんも、それぞれそんな経験がおありでしょう。
そんなときどうしますか?夏はバーベキュー、冬は鍋物をしたりしてしのぐことができます。めいめいの料理を作らなくても、量の調整ができるから。もっと簡単な方法では、カレーライスも便利。最悪の場合は水を少し足して薄めたら量も増えるし。ブラジルでもフェジョンというカレーのように豆をかける料理が定番メニューですが、予定外の時間に人を訪ねて夕食まで残るように勧められた時などに遠慮をすると、「フェジョンに水を足せば問題ないから」と引き留められたりします。そんなときの決まり文句のようになっているようで、ほほえましいと思いました。

3、聖書
 今日の聖書の話も、そんなことを思い出させる出来事でした。弟子たちやイエス様は、どんな対応をしたのでしょうか?そしてそれは、私たちの人生に何を教えているのでしょうか?一緒に学んでいきましょう。
 イエス様のお話を聞いて人々が集まり、そこを去っても群衆は後を追ってきました。イエス様はそれを憐れみ、その中の病人を癒されました。そうしているうちに夕暮れになりました。弟子たちは心配してイエス様にこう言います。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」しかし、イエス様は予想外の返事をされました。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と。弟子たちは困惑します。なぜなら、そこには「パン五つと魚二匹しか」なかったからです。無茶なことを言われるイエス様の言葉に、弟子たちはこう思ったでしょう。「これだけしかないのに」と。

4、振り返り
私たちの人生にも、似たことがあります。「これだけしかないのに」といいたくなる時が。目の前にたくさんの課題や問題がある。解決しようにも到底無理だ。自分一人ではとても追いきれない重荷や苦しみ、そんなものに出くわす時があるでしょう。どうしましょうか。「そもそも、勝手についてきた群衆が悪いのだから、自分で何とかしなさい。私の手には負えません」と、その人に押し返したくなることがあるでしょう。または、何とかしてあげようとそれら全部の重荷を自分で抱え込んでつぶれてしまうこともあるかもしれません。あるいは、神様に任せてしまって自分は何もしない、自分には無理だから仕方ない、と投げだしてしまうかもしれません。いったいどうしたらいいでしょうか?イエス様はどう解決したのでしょうか?

5、解決
 聖書はこう続けています。イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 すべての人が食べて満腹した。」
 神様をたたえ、祈りをし、少ししかないと思っていた自分のもとにあるものを分けていくと、人々は満腹するほどになったというのです。少しのものが増えて、人々が満足するほどになったという神様の奇跡が起こりました。イエス様はカレーに水を足して水増しして増やしたのではありませんでした。

6、学び
 私たちは、困難にぶつかったときに、どうすればよいと学ぶべきでしょうか?
抱えきれなくて自分で解決しなさいと押し返して責任逃れをする、一人で抱え込んでつぶれてしまう、あるいは信仰的に神様の任せてしまって実は自分は何もしない。それらどれも解決にはならず、神様の奇跡も起こりません。相手に押し付けても、自分を過信しても、神様に任せて逃げてもダメです。自分の無力さを知りながらも、わずかなものでも神様に差し出して、皆のため相手のために、神様と一緒に取り組むときに、神様の不思議な出来事が起こり、道が開けていくのです。そんな不思議な出来事を、自分の人生に、私たちの教会に、そしてこの世界に実現させることができるよう、祈りながら生きていきましょう。
神様の祝福がありますように。

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