聖書の学び
今週の聖書の言葉
夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。 (マタイ 14:22~33 )
説教(解説) 「同舟同夢」 徳弘浩隆師
1、聖書
今日の聖書は、たくさんの群衆を解散させて、弟子たちとイエス様たちの話になります。弟子たちは舟にのせられ向こう岸へ、イエス様は山でひとり祈っておられました。弟子たちの舟は逆風で波に悩まされ思うようにいきません。夜明けにイエス様が湖の上を歩いて舟に近づきました。ペテロは喜び水の上を歩きイエス様のところに行けるよう頼み歩き出しますが、途中で怖くなりおぼれそうになります。イエス様に助けられ、二人が舟に乗り込むと、風は静かになりました。
イエス様が、そしてペテロまでも湖の上を歩いたという奇跡が伝えられていますが、このペテロの奇跡は長続きしませんでした。強い風が怖くなりおぼれそうになった彼に語ったイエス様の言葉、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」という言葉が心に残ります。そしてもう一つのポイントは、ペテロを救ったイエス様が舟に乗り込むと、風は静かになったということです。
この奇跡の物語から、私たちは何を学べばよいのでしょうか。
2、舟といえば、少し余談もありますが
舟といえば、そして海といえば思い出すことがあります。それは、私の父のことです。
父は海が好きで、舟も持っていました。東京育ちですが、もとは高知県の出身。戦争で祖父の小さな出版製本所の会社が焼けて高知に帰り、祖父の故郷の海辺の町に越したそうです。ちなみに、祖父は徳弘、祖母は旧姓が坂本です。徳弘という名前は高知県にある珍しい名前です。高知といえば坂本龍馬ですが、坂本龍馬が弟子入りした西洋の砲術師範が徳弘孝蔵という人で、当時の最先端の西洋の技術や考え方、そして砲術にたけていて、坂本龍馬に影響を及ぼした人だそうで、博物館に古文書も残っています。私の家が、その徳弘家や坂本家と直接関係があるのかないのかはわかりませんが、西洋の新しいものが好きで改革をしていくことが大切と思う自分の心に、彼らへの親近感を感じたりもします。
さて、父は都会から急に移り住んだ田舎の町、海辺の漁師の町で育ち、終戦を迎え、祖父が亡くなった後家族を支えるために舟乗りや機関士もして海が好きでした。泳ぎも得意でした。福岡での会社勤めを引退した後は、海辺の漁師さんから船を譲ってもらい、船舶免許を取り、仲間とよく釣り三昧をしていました。
父は子供のころの私にとっては、会社勤めで家にあまりいない、きびしくて怖い人でした。夏の海に行っても、「人間は溺れそうになりながら自然に泳ぎを覚えるものだ」と、まだよく泳げない私を海の中に放り込んでいました。おかげで命がけでなんとか少しは泳げるようになりました。しかし、まだよく泳げなかったころ、海の底に素潜りをして、貝やウニ、珍しい魚をよく見ていました。どうしてそれができたのでしょう。それは、父が私を背負ってくれて、水中眼鏡をして潜ってくれたのです。「いいか、息が続かなくなったら背中をポンポンとたたきなさい、そしたらすぐに浮かぶことにするから」といわれて、最初は怖かったのですが、つまり、父も、海の底も怖かったのですが、楽しくなりました。それは、父に対する信頼があったからでしょう。それがなければ、海の底で、父を信じられなければ、息が続かなくなったときに手を放して一人で浮かぼうとして溺れたかもしれません。父も、私の合図に応えて、すぐに水面に戻ってくれなければ、私は信じられなくなったでしょう。
今日の聖書を読んで、そんな昔の子供のころのことを思い出しました。そして、怖いと思っていた父は、ちゃんと考えがあって泳ぎを教え、海の底の楽しさを体験させて、父のように自由に泳げるようにしてくれたかったんだろうと、父の優しさを後から知ることができています。そんな父もだいぶ年を取り、舟も車も免許を返納して生活も不自由になったので、夏休みには世話をしに帰ろうと思っていましたが、伝染病のことで、そうはいかないかもしれません。
3、振り返り
さて、今日の聖書に戻りましょう。私たちも、人生の中で、嵐に会い、風が怖くてひるむことがあるでしょう。勇気を出して奇跡的にうまくいっていても、途中で足元を見て一気に怖くなり、何もかもダメになるという経験も、だれにもあるかもしれません。
物事がうまくいくようにお願いするとき、そして、うまくいっているときは、一生懸命に信じて祈るかもしれません。しかし、何をしてもうまくいかず、逆風で、波が高い時にはもう、怖くなって神様を信じきれなくなる時もあるでしょう。どうしたら、神さまを、イエス様を信じ続けることができるでしょうか?
それは、今までのことを思い出すことです。「苦しい時に、いつも助けてくれた。今度もそうしてくれるに違いない。だから、恐れ疑うことはないんだ」という体験と、そこからくる安心、信頼でしょう。それは私の体験で言えば、「息が苦しくなったら、父親の大きな背中をポンポンとたたけばいいんだ。すぐに海面に上がってくれるから」という経験と信頼です。これと同じ経験と信頼、それを神様との間にも持っているはずです。それを、苦しい時に忘れないように、思い出して、それを、数え上げる生活が大切です。
4、勧め
また、私たちの教会も、よく、舟にたとえられます。この船は順調でしょうか?逆風で困るときもあります。むつかしいことがあって、順調にいかないこともあるでしょう。「舟に船頭がたくさんいたら、舟は山に登ってしまう」ということわざもあります。また、「同床異夢」という言葉もあります。同じところに寝ていても、違った夢を見ていること。私たちの人生は、そして私たちの教会はどうでしょうか?イエス様が船に乗り込んでくれた時に、風は収まりました。
大切なのは、イエス様が同じ船に乗ってくれて、イエス様と同じ夢を見ること、そこにあります。そんな生活をしていきましょう。神様を受け入れて、聖書の言葉を読んで生活するときに、神様の祝福があります。
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