2020年7月26日日曜日

20200726 週報・説教原稿







聖書の学び
 今週の聖書の言葉
その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。 ソロモンは答えた。「~ わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。
(旧約聖書 列王記上 3: 5~12 から)

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。~ あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。
   (新約聖書 マタイ 13: 51 (新p25)

説教(解説)
 「善と悪を聞き分ける心」 徳弘浩隆師
1. 導入
ここのところ、聖書のお話は、イエス様が話されたたとえ話が続きました。今日はそのまとめのような一連の最後の話になります。長く続いたこのたとえ話で、私たちは結局、何を学べばよいのでしょうか?
少し振り返って、今日の話を見ていきましょう。

2. 聖書
(1)最初は、種まきのたとえでした。どんな場所にまかれるかでその種の成長と実のつけ方が変わることを教えられました。それは、神様の言葉を聞く私たちの心の在り方を問うていました。
(2)次は、よい麦のためをまいたのに悪者が毒麦も撒いていったので、畑には両方が混ざってしまったという話でした。そこでは、善悪入り乱れた私たちの心を見せつけられましたが、すぐに処置すると両方だめにしてしまうから収穫まで待ってくれ、私たちが改心し救われるのを待ってくださる神様の忍耐を教えられました。
(3)今日読んだ聖書の話も、イエス様が語られた、たとえ話です。「イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた」と切り出して、最初は「種」についてのたとえ話。そしてその後に4つのたとえ話を続けて、「天の国」とはどういうものであるかについて話をしてくださっています。
ここでいう「天の国」とは、死んだ後に行く「天国」ととらえるかもしれませんが、それだけではありません。「天の国」は「神様が支配され、治められるところ」という意味ですから、死んだ後の話だけではなくて、「今生きている間に、いかに私たちの人生に神様がかかわってくれ、助け守ってくれるか」ということを示しています。

3. 振り返り
今の私たちの人生はどうでしょうか?振り返ってみましょう。楽しいことや希望もありますが、苦しいことや、絶望、心配事もたくさんあります。特に今の世界は、新しい感染症のことで毎日一喜一憂し、行動が制限された新しい生活を続けねばならず、疲れて、つまらなくて、面倒で、寂しくて…と、むつかしいことが山積しています。
どうしたら、「神様が支配され、助け守ってくれる毎日」になるのでしょうか?そういう気持ちで、聖書を読んでいかねばなりません。
今日の聖書は次のように説明しています。
「天の国」は、からし種のようであり、またパン種に似ている。つまり、どんなに小さく見えないようなものでも、それが自然に大きくなっていくものだと。
それに続くたとえでは、「宝の隠された畑や、高価な良い真珠など、見つけたなら全財産を売ってでも買い取るほどの価値があるもの」だと、説明されます。
そして最後は、「漁師が網を投げおろし、よいものも悪いものも分け隔てなく引き上げられる。しかし、その後よいものは大切にされ、悪いものは捨てられる」という漏れのない救いと裁きを説明されました。
これらのたとえ話の後で、イエス様はこういわれます。「あなた方は、これらのことがみな分かったか?」と。先週までのたとえでも、イエス様は、「耳のあるものは悟りなさい」と、神の言葉を聞いて、理解することを、切実に求めておられました。
結局、イエス様は何を私たちに伝えたくて、理解してほしくて、悟ってほしいと願っておられたのでしょうか?
それは、神の言葉を聞き、理解し、素直に悟ることの大切さです。それがあれば、神様の守りと支配は、小さなものからでも自然と大きくなっていく。それの価値は計り知れず、全部を売り払っても手に入れたくなるほど大切なもの。そしてそれは、善悪混じった矛盾だらけで罪深い私たちをすぐに滅ぼすのではなくて、最後まで待ち、一人も漏らさず網で引き揚げてくださるようなものだということです。
では、すべてを理解し、悟るにはどうしたらよいのでしょうか?神様の言葉を聞いて、そして、今の世の中の問題にたいして、自分の人生のたくさんの心配事にたいして、間違えのない判断をするには、どうしたらよいのでしょうか?何が正しくて、何が間違っているのか、何が善で何が悪なのか、誤りのない判断をするために必要なことは何でしょうか?神様のようにすべてを知り尽くすことでしょうか?
旧約聖書の時代、ダビデ王の後を継いでイスラエルの王になったソロモンの祈りが一つの答えです。
神様はソロモンの夢枕に立ち「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」といいます。それに対してのソロモンの答えの祈りです。彼はこういいました。「善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」と。大切なのは、善と悪を判断できる知識を」といったのではないということです。善と悪を神様に尋ねて、聞き分ける心が大切です。神の前に絶対的な対象になれること、それが絶対的な信仰といえるかもしれません。

4. 勧め
すべてを知っていると思う時に私たちは間違えを犯します。すべてを知っていると思うことは、まだ知らないことがあるということを知らないということです。神の前に、人の前に謙虚ではなく、傲慢になってしまっています。それが、罪の根源であったことを思い出さねばなりません。
神さまに「欲しいものがあるか?言ってごらん」と言われたらどうしますか?あれも欲しい、これも欲しい、というかもしれません。この世的にはお金や地位や名誉、そして信仰的には信仰で間違えることがないようにすべての知識、善と悪を見分ける知識を求めるかもしれません。しかし、善と悪を見分けるのは神様のなさること。それを手にしたくて、善と悪の知識の実を手に取ってしまったのが、アダムとエバの誤りでした。そこから人間は神様をそっちのけにして、勝手に判断して罪の中を生きて来たのです。
神さまに尋ねながら、生きていきましょう。

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