2020年7月11日土曜日

週報・説教 20200712





聖書の学び 

今週の聖書の言葉
その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞きなさい。」
(新約聖書 マタイ 13: 1~ 9 (新24))

説教(解説)
「ゴーヤーとエンドウ豆」 徳弘浩隆師
1. 導入
新型コロナ騒ぎで外出制限があったころ、気になっていた教会のペンキ塗りや修理をしました。雑草も多いので草刈りを少しずつする毎日が続きました。自粛やリモートワークができない方は大変な中お仕事を続けておられてと思いますが、そうでない方は新しい日常に慣れることができず、この際にと家の中の整理をしたり修理をしたり、家庭菜園を始めた方も多かったようですね。そしてしばらくするとホームセンターに人だかりができて、営業自粛対象にするかどうか政府ももめたというニュースも後でありました。
わたしは毎日草刈りをしても2-3日すればまた伸びてくるのでがっかり。ならばと、野菜を植えてみようと思い立ちました。新型ウイルスは環境破壊と過度な開発も大きな原因の一つと聞き、環境保護にもなるならと、グリーンカーテンや扇風機でエアコンの利用も控えようかとか思ったのです。
種をまくこと、育てること、そしてやがて収穫をすること。いろいろ考えさせられました。
今日の聖書は、イエス様の有名なたとえ話「種まきのたとえ」です。付け焼刃で素人がやった畑仕事の後では、イエス様の言葉も響きが違います。このたとえで私たちの生き方をどう見るべきでしょうか?

2. 聖書
種をまいた人の種は、4つの場所に落ちました。「道端」、「石だらけの土の少ないところ」、「茨の中」、そして最後は「良い土地」です。
最初の3つの場所ではうまくいきませんでした。道端の種はまき終わらないうちに鳥が来て食べてしまいました。石だらけのところは、土が薄いのすぐに芽が出ましたが根がないので日が昇ると枯れてしまいます。茨の中の種は、茨が伸びてふさいでしまいました。順調に成長し、実をもたらしたのは、良い土地にまかれた種だけだったというお話です。
そしてイエス様はそのたとえ話の説明をされます。聖書にある通りですが、見てみましょう。
道端に蒔かれたものとは神様の言葉を聞いて悟らず、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取られる。
石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、 自分には根がないので、しばらくは続いても、艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない。
良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶのだ、ということです。

3. 振り返り
私は、ゴーヤーとエンドウ豆を植えました。あとからミニトマトやオクラも。ゴーヤーも最初は弦が細くて心配でした。なかなかネットをつかまず伸びません。エンドウ豆は芽が出て少し伸びましたが、あまり成長しません。雑草は伸びるし、農薬はいやだし。15年ぶりくらいの家庭菜園。思い付きだからダメかなぁと思いました。
確かに、植える前に土を作りませんでした。耕しもせず、たねや苗を植えただけでした。草刈りをして空いた土地に思い付きで植えたからです。しかし、いまゴーヤーはカーテンのように広がって陽を遮り、実もつけてくれました。どうしてでしょうか?
それは、ある方に色々教えて助けてもらったからです。Facebookに写真を載せていると、知り合いがいろいろと教えてくれました。土や肥料を途中で追加すること、雄花と雌花があること。私の載せた写真を見ながら、毎日のように同時進行でいろいろ教えてくれました。まるで農業実習の指導教師のようでした。「そのくらい茂って、葉もきれいだから、もう大丈夫でしょう」「ハチさんがやってきてちゃんと受粉してくれてるみたいで、小さな実ができてますよ」と。イエス様のたとえで言えば、悟りが悪く悪い土地でしたでしょう。それを、知り合いを通して悟らせてくれました。神様は不思議な方法で、よい土地にしてくれたのかもしれません。

4. 勧め
神様の言葉を素直に聞かねば、私たちの知恵や信仰は幼くて、人生の意味は少ないものになります。神様の言葉を聞き、悟るものは大きな祝福があります。まかれた場所は私たちの心です。でも、もともと土がダメだと嘆くとはありません。まだ、間に合います。
神様はいろんな人を通して教え、智して、伴走してくれます。土の改良や植え替えさえできるかもしれません。神の言葉を素直に聞き、共に生きていきましょう。 



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