2024年2月4日日曜日

説教メッセージ 20240204

 聖書の言葉

マルコ1:2939 (62)

29すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 32夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 33町中の人が、戸口に集まった。 34イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

 

35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 36シモンとその仲間はイエスの後を追い、 37見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。


 

説教「そのためにわたしは出て来た」

徳弘浩隆牧師

1、事始め 2

先週はキリストの仕事の事始めともいえる出来事を見てきました。そして今日は、その第二弾ともいえる出来事を見ることになります。

マルコによる福音書にはクリスマスの出来事、つまり、イエス様誕生の物語は記されていません。1章の最初は洗礼者ヨハネの活動から始まります。そこに現れたイエス様は洗礼を受けられます。続いて、誘惑を受け、洗礼者ヨハネがとらえられたあと、イエス様はガリラヤ伝道を始められます。そこで4人の両氏を弟子にしました。そして、カファルナウムに到着して安息日に会堂で教えられ、その場にいた汚れた霊に取りつかれた男をいやすということになります。それが、先週の聖書の物語でした。イエス様のキリストとしての仕事の事始めというわけです。

さて、今日はその続きです。イエス様はキリストとして、どんな仕事はじめの続きをされたのでしょうか?

それは、キリストと出会う私たちが、何を受け、何をするかということを考えさせてくれます。また、今日は、高蔵寺教会の年次総会ですが、今年の行事の事始めをするにあたって、今年私たちが何をすることが大切かという問いへの答えを、神様は語りかけてくれるはずです。

一緒に聖書を見ていきましょう。

2,聖書 

マルコの伝えることによると、今日の話はまだ安息日の続きの出来事です。安息日に会堂で教え、汚れた霊を追い出し人々から驚きと称賛を得ました。そして、「すぐに、一行は会堂を出て」とありますが、まだ安息日の出来事とわかります。シモンとアンデレの家に行ったのです。これは、4節でも説明されている、最初に弟子とされたシモンとアンデレは兄弟でした。シモンとはのちにペトロといわれる弟子です。そして、その場には「ヤコブとヨハネも一緒であった」とありますが、ガリラヤ湖畔でシモンとアンデレに続いて弟子とされたこの二人も一緒にペトロの家に行ったということがわかります。ちなみに、このシモンとアンデレも兄弟ですから、最初の4人の弟子は、二組の兄弟だったということもわかります。

さて、その家にはシモンのしゅうとめがいたのですが熱を出して寝ていたのですが、人々はイエスにそれを話しました。するとイエスはそばに行って、手を取って起こされると、熱は去ったというのが今日のふたつ目の奇蹟です。直前には会堂で汚れた霊に取りつかれていた男からその霊を叱って追い出した出来事がありました。シモンのしゅうとめは癒された後、一同をもてなした、つまり、食事のお世話などをして奉仕したということです。

3,振り返り 

この出来事から私たちは何を聞くでしょうか。シモンとアンデレはイエスの弟子になり、会堂で教えを聞き奇蹟も見ました。その直後に家にイエスをお連れし家族に紹介しました。網を置いて従っていったとも伝えられますが、家族を捨てて突然旅に出たのではないようです。神に出会った後も家族を大切にして、イエスを家に招いたのです。あるいは、イエスは弟子たちの家を訪問したのです。

運悪く熱を出して寝込んでいたシモンのしゅうとめですが、彼らはそれをイエスに話しました。それは、突然の来訪で食事の準備もなく何のお構いもできないという言い訳けではありません。イエスにしゅうとめの熱のことを話したのは、癒しを、つまり問題の解決を願い出たからです。するとすぐにイエスはその手を取り、癒されました。すると、しゅうとめはすぐに段取り良く準備をしてもてなし、イエスと人々に奉仕をしました。

これらのことに、教えること、伝道すること、そして奉仕することの、宣教の三つの出来事が開始されていることを見ることができます。そこに招かれ、願い出て、体験し、自らも宣教する人たちの姿でもあります。

わたしたちはどうでしょうか?一人一人、違ったきっかけや方法で、イエス様に出会いました。

その後、人を招きイエス様をお迎えするという伝道をしているでしょうか?その後、問題が解決したらそれで満足しているだけではなくて、今度は自らが率先してイエスさまや人に奉仕しているでしょうか?この奉仕という言葉はディアコニアという言葉でもあります。今の教会では、社会奉仕や福祉の働きとして受け継がれ取り組んでもいます。教えることは教育、伝道は教会の働き。今の社会では、キリストの働きは、教会の関係する、社会福祉法人や学校法人、そして教会という宗教法人という形をとってもいますが、それらの総体としての「教会」で私たちは取組んでいます。

そしてその小さな一つの組織としての教会が、私たちの集められたこの「教会」なのです。

今日の出来事の続きでは、「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た」とあります。この日は安息日でしたから、日が沈んで人々はイエス様のもとに集まってきました。ユダヤの暦では日が沈むと次の日になりますから、安息日が終わって出歩き、安息日にはできないはずの癒しをお願いしに来たと読むことができます。イエスは引き続き、多くの人を癒しました。翌朝まだ暗いうちに人里離れた所で祈り、弟子たちに「みんなが探しています」と声をかけられたイエスはこういいます。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」と。イエス様は、そのために出てきたのでした。

4,勧め 

この言葉を聞いては、「じゃ、私は、なんのために出てきたのかな?」と考えさせられます。

最初のきっかけは、知的関心、病気の癒し、問題の解決、教会メンバーとの付き合いや出会い、などイエスさまとの出会いのきっかけは、それぞれ色々です。しかし、すぐさま起き上がってもてなし、奉仕したペトロのしゅうとめのように、起き上がって、何かを始めましょう。それが教会の使命であり、この世の社会にこの小さな群れが存在する大きな理由なのです。一緒に歩いていきましょう。


 


牧師コラム・ ペテロの家族構成は?




福音書を普通に読んでいても、弟子達の人となりは、あまりわかりません。注意深く読まれる方はそうではないかもしれませんが、私などは、ただ読み続けているだけだと気が付かないことが多くあります。

聖書の話を映像にしたドラマや映画はいくつもあります。以前の教会の聖書研究会で使徒言行録のドラマを見ていた時に、ペトロの娘が登場しました。「えっ?ペトロにこんなかわいい娘がいたの?いや、ペトロが結婚していたって、聖書に書いてたっけ?」と妻と話しになりました。聖書にはペトロのしゅうとめの話が出てきます。となると、結婚していたということはわかります。そのドラマに出てきたような、しっかり者の可愛い娘がいたかどうかは聖書には記載がないでしょう。しかし、数人のこどもがいたことはふつうあり得ることでしょうね。そのドラマは、そんなところから登場人物の設定を無理のない範囲でしていたとみることができます。

じゃ、聖画によくある「ペトロのしゅうとめの癒し」のなかに、ペトロの奥さんは出てくるでしょうか?シモン・ペトロの兄弟アンデレや、アンデレも結婚している年齢だったとしたら、その奥さんは出てくるかな? いくつも検索してもそれらしい絵はなかなか見つかりません。ようやく見つけたのがこの絵です。検索の秘訣は、スペイン語やポルトガル語のキーワードで検索すること。クリスチャン人口の圧倒的多さで負けないこれらの言葉で検索すると沢山の絵が出てきます。右上の女性がペトロの奥さん?左下はペトロに違いない。戸口の人とやこどもは?そんな想像をしながら見るのも楽しいですね。そういえば、私の義母も先週体調を崩して入院。兄弟でだれが飛んでいくか急遽相談しました。聖書の話がぐっと身近に感じられました。

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