聖書の言葉 マルコ 9: 2~ 9 (新78)
六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。
説教「暗闇の中 頼りは輝く光」 徳弘浩隆牧師
1、タボル山と言えば…
今日は変容主日です。今年のカレンダーではイースターが少し早いので、受難節に入るのも早くなっています。教会の暦を少し整理してみましょう。
イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」となっています。ですから、クリスマスと違って毎年日にちが変わる移動祝日となのです。
キリストが復活されたイースターの来る前に、キリストが十字架に向かう出来事が始まりますが、その前の40日間が四旬節と言われ来週から始まります。
そしてその直前の日曜日、今日はキリストの姿が真っ白に輝いて変わったという日、主の変容主日ということになるのです。
ちなみに、今日は、ヨーロッパやブラジルではカーニバルの日曜日となります。それは、四旬節で飲酒や肉食を控えて静かに悔い改めて過ごす期間が始まりますが、その直前のお祭りが発端でカーニバルが始まったからです。私の友人たちも、ブラジルや日本でもカーニバルの予定や写真をネットに載せて楽しんでいます。
さて、主の変容があったとされるのが、タボル山といわれています。あのあたりでそれらしい山が旧約聖書にも出てくるこの山だろう、という理由だそうですが、その小高い山の頂上には変容教会という教会ものちに建てられています。その教会の聖壇の壁画が上の写真です。
ところで、タボル山というと日本人にはなじみがないように思っていましたが、数年前思わぬところでそれを見つけて驚いたことがあります。名古屋在住の皆さんも一度は行ったか見たことがあると思います。それは、アピタというスーパーによく入っているパン屋さんの名前が、「モンタボー」というのです。カタカナで書いてもわかりにくいのですが、アルファベットで書いてある(Mont-Thabor)のを見て「もしや?」と驚きました。フランスにもここにちなんだ地名もあるらしいですし、この店名はフランス語由来らしいですが、そのいわれは、こう書かれています。株式会社モンタボー:名前の由来→モンタボー(Mont-Thabor)は、イスラエルにある旧約聖書にも登場するタボー(Thabor)という山(Mont)の名前に由来している。
お店の人に聞いてもご存じないかもしれませんが、今度パンを買いに行って、看板を眺めながら聖書のことを思い出してみるのもいいかもしれません。
さて、意外と身近にあったこの山の上で起こった聖書の出来事は、どんな意味があったのでしょうか。一緒に見ていきましょう。
2,聖書
クリスマスからマルコによる福音書に沿って駆け足で見てきたイエス様のご生涯ですが、話は、十字架へと向かう出来事になります。
4000人に奇蹟的に食事を分け与え、ベトサイダで盲人をいやした後、ペトロがイエス様の問いに答えて「あなたはメシアです」と信仰を告白したら、イエス様はこれから始まるご自分の死と復活を話されました。そしてその6日後に今日の出来事が起こります。
イエス様は、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて山に登りました。すると、イエス様の姿が彼らの目の前で変わり、真っ白に輝きました。そして見ると、そこにはエリヤとモーセが現れて、イエス様と語り合っていたというのです。
高蔵寺教会の先日の聖書研究会でも確認しましたが、旧約聖書は、律法、預言、その他の書物として諸所という三つからできています。そして最初の二つを代表して「律法と預言」と新約聖書でも言及されているところも何度もあります。この律法を神から授かったのがモーセ、そして預言者の中の代表格の一人がエリアなのです。もう一つ興味深いことはこの二人の死に方です。モーセは約束の地イスラエルに入ることができず、ネボ山という山で約束の地を見ながら亡くなったといわれています。そして、エリアは天から来た火の車に乗って天にあげられたと記され、これら二人は地上で普通の死に方をしていないのです。
この二人、つまり、旧約の律法と預言を象徴する二人と、天に近い山の上でイエス様がお会いになったというのは意味深いことです。それは、神様の人類の救いの計画が整ったということ、それを実現するイエスという方がメシア・キリストであるということ。そして、これを境に、イエス様のご生涯が十字架へと向かっていくのです。
3,振り返り
わたしたちの生き方はどうでしょうか?
イエス様に出会い、その教えや出来事に関心を持ち、惹かれ、従うようになったわたしたちですが、「この方こそ救い主だ。この方についていこう」ということを篤信し、それを言い表すときに、準備が整うのです。それはペトロによって起こり、イエス様の生涯が変わったように、私の人生でも、その時に、洗礼があり、何かが大きく変わっていくのです。
4,勧め
今週から始まる四旬節。向かう先は、キリストの十字架。何が始まっていくでしょうか。
洗礼を受けた人も、まだの人も、もう一度、今までの自分を捨て去って、新しい生き方に変えられていく道のりを始めましょう。
そのときの、生き方の指針は何でしょうか。それは今日の聖書で読まれた「これはわたしの愛する子。これに聞け。」という父なる天の神の声です。
そして今日の使徒書の第二コリントの手紙でもこう言及されます。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」
暗闇はキリストにより照らされました。そして、この方は真っ白に輝いていました。このキリストの光が、新しくされた私たちの心の中で輝いているはずです。この光が、暗闇のような世界を生きる時の唯一の頼りであり、希望なのです。今週水曜日から始まる四旬節、そんなことを考えながら静かに祈り、過ごしていきましょう。もう一度、キリストと出会いましょう。
牧師コラム・ タボル山考
今日の聖書の出来事があったのだろうといわれる山が、イスラエルにあるタボル山です(写真)。旧約聖書でも登場するユダヤ教でも大切な山ですが、今は山頂に教会も建てられています。
20数年前「聖地旅行」で行ったとき訪ねましたが、山頂の教会は写真のようなものでした。聖書の言葉にちなんで、「三つの小屋」のようにも見える教会の塔が並んだデザインだそうです。
正面の絵は最初にあるイエス様とモーセ、エリア、そして弟子たちの絵。会堂脇にはモーセとエリアの絵もありました。
そして日本の?タボル山、モンタボーですが、このパン屋さんの写真はホームページではこんな感じです。
手作りのおいしい焼きたてパン・ベーカリー店の麻布十番モンタボー|公式 (mont-thabor.jp)
今度、行ってみませんか?(宣伝じゃありません・(笑))
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。