2024年1月27日土曜日

説教メッセージ 20240128

聖書の言葉 



マルコ1:21~28(新62)

21一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 23そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

申命記18:15~20(旧309)

15あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。 16このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。 17主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。 18わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。 19彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。 20ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」


説教「人の思いでなく神の言葉」  徳弘浩隆牧師

1、事始め…

新しい年になり、早いものでもう、ひと月が過ぎようとしています。どんな一年が始まりましたか?

世界ではまだ戦争が続き、日本ではお正月から大きな地震、その後大きな飛行機事故、政治でも問題や混乱が続いていますね。

私も、助けていただいて教会の総会の資料つくりや、教区内の他教会や他の教会施設の相談事やお世話に追われたひと月でした。個人としても年末に父の葬儀があり、その後も手続きや片付け、そして来月は姪っ子の結婚式もあり、人の一生のいろいろな出来事に立会いながら、色々なことを考えさせられますが、感慨に浸る余裕もなかなかありません。忙しくて、新年の仕事始めや、今年のことを考えて、心新たに取り組み始めるという感じではありませんでした。

「正月事始め」という言葉があります。お正月を迎える準備をする始まりは、たいてい12月8日か13日からだそうです。私たちは、「クリスマス事始め」ともいえるアドベントが12月3日に始まりました。そして迎えたクリスマス。

聖書では、マルコによる福音書の最初のところから、キリストを迎える準備、キリストの誕生、そして命名、洗礼、そしてガリラヤで伝道を始められ、弟子たちを集めるという流れを見ています。そして今日の聖書の個所は、いよいよ、キリストの活動が始まる、そんなところになっています。「キリスト事始め」ともいえる最初の出来事を、一緒に見ていきましょう。

2,聖書 

一行はカファルナウムにつきました。イエス様は安息日に会堂に入って教え始めました。会堂というのは、エルサレムの神殿だけではなく、各地に建てられたユダヤ教の集会所で、今でいえば本部の教会ではなくて各地の教会という形です。今でもカファルナウムには会堂跡(コラムに写真)があり、これはイエス様の時代の後のものだそうですが、ガリラヤ湖を見ながらそのころに思いをはせることができます。会堂では、巻物になった旧約の聖書、つまり預言や律法の書を取り出して読み、説教のような解説があったのでしょう。人々はイエス様の語る言葉に驚きました。「律法学者のようにではなく、権威あるものとしてお教えになったから」です。

そしてすぐ、会堂にいた汚れた霊に取りつかれていた男からその霊を追い出し、人々はまた驚きます。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ」と。そしてその評判がガリラヤ地方の隅々までに広まったのでした。

マルコが伝えるイエス様の「仕事始め」は、とても印象的で、人々を驚かせ、その評判が広まるものとなりました。このカファルナウムはイエス様のガリラヤ伝道の拠点ともいえる場所ですから、「まずは良いスタートを切った」と言えるかもしれません。

何が違い、何が良かったのか、何が人々を驚かせ、何が評判になったのでしょうか。

今日の旧約聖書は申命記でした。「モーセのような預言者を送る」「その口に私(神)の言葉を授ける」と救い主・キリストの到来が預言されていると考えてよいところです。それが、今日の福音書の出来事で実現したのです。そのように、イエス様は、「律法学者のようにではなく、権威あるものとしてお教えになった」のです。

申命記は、神からユダヤの民に与えたられた律法を、モーセが死を前にして「繰り返して」整理して語り聞かせるという内容になっています。この「繰り返し命じる」というのが漢語訳聖書経由で日本語にもなった「申命記」という言葉のもとになっています。律法は、神がユダヤの民に守るよう命じられた掟です。厳しい掟というより、これを守れば、人も共同体も国も神の願う調和と平和が実現する、という神の願いであり、約束でもありました。

しかし、それを大切にするあまり、一語一句にとらわれて、逆に人々の生活を縛るようになっていきます。これを専門的に学び、教えていたのが律法学者です。今日の出来事の後、イエス様は律法学者たちと衝突し、非難されるようになっていきますが、この律法学者たちは神の言葉を大切にするあまり、人々を圧迫し、自由を奪い、重荷を背負わせるようになっていくのです。

マルコでは詳しく書かれていませんが、イエス様はそんな律法の巻物を朗読し、説教をしたのでしょう。それに驚いた人々は、律法に人々を縛り重荷を背負わされるというのではなく、神のみ心や人を自由にし活かす言葉を聞いたのでしょう。イエス様の言葉は、人の思いではなく神の言葉だったのです。

そして、実際に汚れた霊に取りつかれていた人から霊を追い出したのです。これでますます人々は驚きます。イエス様の語る律法の真意を説明する言葉だけではなく、人から悪の支配を追い出す出来事を見たからです。

3,振り返り 

私たちはどうでしょうか?実は、聖書によると、人は一度、「追い出された」ことがあります。神様との約束を破り、悪と罪に陥り、楽園を追放されたのです。エデンの園の物語がそれを伝えています。

しかし、今日のイエス様は、人々の心に巣くう悪の思い、罪の思いを、「逆に追い出してくれた」のです。自分の考えが一番正しいという立派な自信は、自己中心の罪の心で、対話と他者の尊重を忘れるときに、人を苦しめ、追いやり、重荷を背負わせ、分裂と対立を生むことになります。それが今の私たちの人生や、社会や、世界の問題の大本です。

私の人生も、そんな罪の心から解放されましょう。キリストの言葉は、そんな心を私から追い出してくれます。楽園を追い出された私たちに巣くう罪の心を、キリストは私たちから追い出してくれるのです。

4,勧め 

どうしたらいいでしょうか? 答えは簡単。キリストの言葉を学び、従って生きていくことです。

今日はキリストの「仕事始め」でしたが、今後一年マルコによる福音書を読み進めながら、キリストの言葉となさったこと、そして十字架の出来事へと進んでいく中で、もっと明らかになっていきます。

教会は一年に一度の総会の時期になっています。今日は復活教会で、そして来週は高蔵寺教会で年次総会があります。どんな一年を始めますか?そしてあなたの今年の一年は、どんな風に始めましたか?キチンと神様と手をつないでいますか? そしてもう一方の手は、家族や社会や教会という共同体でも人と手をつなぎ、本当の神様の願いを生きていきていますか?イエス様の言葉と行いは、ただ人の罪を暴き責めるのではなく、たくさんの掟で人に重荷を負わせるのではなくて、その奥にある神様の正しさと愛で人を自由にすることでした。

一緒に神様の愛の中を生きていきましょう。

 


牧師コラム・ トリップアドバイザーで聖地旅行!?  

Tripadvaisorという旅行情報サイトがあります。私も登録して、いくつか写真を載せていたころもあります。ここでいろんな旅行会社や個人の載せた聖地旅行の写真や地図も見ることができます。カファルナウムも調べてみると、詳しい説明や写真も出てきます。地図で位置関係も確認できます。聖書を読むとき、ここで調べてみると、もっとリアルに理解することができます。私も昔行った場所の復習ができます。私の知っているブラジルの聖書学者の聖地旅行の記事、彼の写真もありました。

来週はペテロの姑が聖書で出てきますね。ペテロの家の跡とそこに建てられた教会もあります。楽しみですね。


トリップアドバイザー: ホテル、観光スポット、レストランの10億件を超える口コミや投稿 (tripadvisor.jp)


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