2022年5月15日日曜日

説教メッセージ 20220515

今週の聖書の言葉

05月15日 ヨハネ13:31~35 (新195) より

34あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」


説教「キリストが愛されたように」徳弘浩隆牧師

1.「学ぶ」と「マネ」が同じ語源?…

牧師は毎週の日曜日の聖書の個所を読んで、祈りながら一週間あれこれ考え過ごします。そんな中で、学んだり、気づかされたり、反省・悔い改めをさせられたり、自分の失敗を思い返したりします。それを聖書の学びとともに整理して、「今の私たちに語り掛ける神の声を、取り次ぐ」というのが礼拝の中の説教です。間違えの無いように聖書の書かれたそれぞれの時代や言語をできるだけ学んで、核心に迫ろうとします。それはその言葉を一緒に聞いている会衆や状況も大切です。そうでなければ、ただの一般的な解説です。難しさがある今の現状、そしてキリストが語られ、聖書が書かれた時と共通性もある人間の深いところで、神の言葉を聞き取ることが大切だと、日々格闘しています。

今週は、「マネする」という事が頭について回りました。キリストが「私があなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言われたからです。

マネをする、そっくりなもの・イミテーション、という言葉も頭から離れず、祈りながら過ごしました。

キリストが言われた言葉の意味を、今の私たちの生き方へのメッセージを、一緒に聞いていきましょう。

2.聖書

今日の聖書の場所は、イエス様が十字架にかかる前の場面ですから、復活後第5主日の今日読むには時間軸としては前後しています。しかし、それが今日読まれる理由はこうです。ヨハネの福音書の13章から17章は「イエスの告別説教」と「イエスの祈り」と呼ばれる場所で、十字架に向かっていく際に、弟子たちに今までのまとめやこれから起こること、そして分かれていくことになるけれども言い残しておくことを長く語られ、祈られるところです。その後、十字架にかけられ、葬られ、復活されたという出来事を4月から一緒にたどりながら見てきましたが、教会のカレンダーはいよいよ、あと3週でキリストが天に帰られ、聖霊が降ってくるという大きな転換期に差し掛かります。そこで、十字架にかかる前に語られたキリストの言葉、神様のご計画の説明と、私たちが生きるべき道をもう一度聞き取るという必要があるからです。

ここで何度か出てくるキリストの言葉は、「新しい掟」として、「互いに愛し合う事」を命じられ、そしてそれは「私があなたがたを愛したように」という理由と方法の説明でした。それが弟子としての生き方であり、それを皆が知るようになると。キリストに従う者の生き方と、それを通しての宣教が語られています。

3.振り返り

さて、「はい、了解しました。ごもっともな教えです」で終わらずに、自分はそう生きているだろうか?といつも聖書の言葉を聞いた後、振り返りが必要です。

その時私たちは見つけます。なかなかそうできていない自分を、です。そして、それは家庭や社会や世界の状況でも同じだ、とも。いつまで人間は、争い殺し合っているのか。脅しあい、力づくで追い出し、略奪し、連れ去るのです。

もうそんな野蛮な時代は終わったと思っていましたが、武力で侵略され、滅ぼされ、他国に連行される国民や、命からがら脱出するありさまを見ながら、聖書にあるバビロン捕囚や出エジプトの出来事も、リアルに考えるとこういう出来事でもあったのかと思わされます。もちろん、神様の裁きやご計画があったかは違いますが、戦争としての出来事は繰り返されています。

どうしたらいいのでしょうか。それを解決し人間をその罪の泥沼から救い出すためにキリストは何をされたのでしょうか。それが今日の聖書の言葉でした。

敵を愛し、赦し、神を信じ、命さえ身代わりに差し出された十字架と、それに向う告別説教です。それは予想外にシンプルでした。「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」でした。キリストの生き方を「マネ」することなのです。

4.勧め

マネとは漢字で書くと「真似」となります。真(まこと)に似(に)ているのです。ついでに言うと、「学ぶ」も「まね」と同じ語源ともいわれるので驚きです。また、イミテーションというと偽物という印象がありますが、イミタチオ・クリスティという有名な本は「キリストに倣いて」と訳されています。これは15世紀の宗教改革前の偉大なディヴォーションの修道士向けの手引きで、プロテスタント教会でも親しまれてきました。日本でも16世紀に既に天正遣欧少年使節の一人の原マルティノが抄訳をしています。こんな聖書の後の時代のキリスト教の歴史は意外と知られず、興味深いところで、私は教会の聖書研究会でも取り上げてきました。この本自体は、「俗世を蔑視し、苦行、克己、キリストへの献身を通じてキリストに倣うことを目的」とされていて、評価が分かれるかと思いますし、それがすべて今の私たちへの指針にはならないかと思いますが、この、「キリストに倣う」生き方を、考え、取り組むことが必要だと、教えられます。

「私が愛したように」とは自分が赦され愛されたことを思い出す温かい言葉ですが、「そのように人を愛しなさい」とは自分には難しいことです。キリストは裏切られ、悪口を言われたからです。そこまでして人を赦し愛することができるだろうか。でも大丈夫です。それを承知で、身代わりで死なれた方がキリストだからです。この方にお任せして、時にはぶつかったり、時にはゆるしあったりしながら成長させられていくのが、教会という共同体だからです。教会に来てみませんか?一緒に、キリストとともに生きていきましょう。

キリストを真似て、キリストに学んで、生きていきましょう。失敗しても、キリストがおられます。 

 

 

ニュースを見て気になるキリスト教ワンポイント講座

キリスト教って、カトリックとプロテスタントの二つでしょ?いえ、違います。そういえば、ロシア正教ってどんなキリスト教? そして…?

最初のプロテスタント教会はマルティン・ルターの宗教改革で生まれたルーテル教会です。分離しようとしたのではなくて、神学者ルターは教会の救いに関する教えに聖書の教えに照らして疑問を持ち、神学的な議論を始めようとしました。「95か条の提題」という文書を教会の掲示板に掲示したのが1517年10月31日だったとされています。石造りの教会の掲示板は、木製の扉だったのです。それはまずラテン語で書かれたので、相手はローマの教会であり神学的な議論をしようとした、ということが理解できます。

1054年に分裂したローマ・カトリック教会と東方正教会は相互に破門したのですが、ルターの時は神学議論をして、誤りが明確になれば正そうとしたのに、持論を取り下げるよう迫られそれを拒んだ結果破門された、という違いがあります。キリスト教社会や国家での「破門」は市民権を失うようなもので市民としての法的な保護もなく、命の危険もありました。それで一時、地方領主にさらわれるように連れ去られ保護を受けました。ヴァルトブルク城にこもって、その期間を利用して聖書をみんなが読むことができる自国語に翻訳したのです。それまではミサも聖書もラテン語でしたから、一般民衆はミサに出ても意味が分からず、偉い聖職者たちが聖壇で繰り広げる儀式をありがたく見て、聖餐式に預かるという儀式でした。それはちょうど、意味の分からないお経を聞いて足のしびれを我慢する仏式の法要(失礼ですみません!)に似ていると考えればわかりやすいかもしれません。私はブラジルで日系人移民の合同慰霊祭に毎年招かれていました。式は仏式、カトリック、プロテスタントの順であり、会衆は「入れ替えなし」で順に参加する、移民先のブラジルらしいものでした。お坊さんと神父さんとも仲良くなり、終われば食事を一緒にしました。ある日、アメリカ出身のお坊さんが読経の後、般若心経がわかりにくいのでとポルトガル語で意味を説明されました。その時、「お経の意味は分からないものだと思っていたけれど、ポルトガル語で説明してくれたので、初めて意味が分かりました」と日系人の方々が言われ、私も意気投合しました。ルターの聖書翻訳は当時、そんなインパクトがあったのだと感慨深かったものです。

さて左の図ではカトリックとルター派の間に後から生まれた聖公会が書かれています。時系列ではなく、カトリック教会により近いという意味で上に書きました。教理の論争のみではなくて、英国のカトリック教会がそのまま分離したので、カトリック的なものをたくさん残しています。ですから、カトリックとプロテスタントをつなぐBridge Church(橋の教会)と呼ばれることもあります。

その後たくさんのプロテスタント教会も生まれますが、それぞれ対立や戦争さえあり、残念な悲しい時代が続きました。ルター自身、農民戦争を当初支持したり、「キリストを十字架につけたユダヤ人」に差別的な発言をしたりもしました。その辺りは客観化せねばなりません。

ルーテル教会は、このローマ・カトリック教会と、聖公会とはそれぞれ神学的対話を続け、「洗礼の相互承認」などをしていますし、ローマ・カトリック教会とは「救いの教義に関する共同宣言」を出し約500年前の論争に終止符を打ちました。でも即・再合同するとか、そういう事ではありません。今後も対話や協働が模索されます。(続く)

 


教会へきてみませんか? 教会は敷居が高い? いや、ご遠慮なく。

・日曜日は10.30-12.00までは礼拝、主任牧師がいる週(隔週)は9.45-10.15まで勉強会・質問コーナーも。

・週日にも、聖書を学んで祈る会があります。こどもたちの心を育てる教会学校もあります。

・地域への奉仕や、外国人への日本語教室、通訳支援(英語・ポルトガル語・スペイン語)なども牧師は取り組んでいます。

・個人的相談や祈りも、いつでも受け付けています。秘密厳守ですから安心ください。

主任牧師までお電話を。ルーテル高蔵寺教会・復活教会 牧師:徳弘浩隆


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