2021年12月25日土曜日

礼拝メッセージ 20211225 クリスマス

「 名前と祈り」

1,          導入

クリスマスおめでとうございます。

今日は、12月25日。クリスマス、イエスキリストがお生まれになった日とされています。昨日の夜も教会で礼拝をしました。クリスマス・イブの礼拝です。イブというのは、一般には「前夜」と思われていますが、実はこれは勘違いです。eveevneningと同じ意味の古い言葉で、「夜」「晩」を表します。

また、そもそもユダヤ教では、そしてそれを継承するカトリックの典礼暦でも一日は、日没に始まり、日没に終わります。ですから、12月24日の夜は、その考えでいうとすでに25日になっています。今のこよみでいう、つまり、深夜0時に日付が変わる言い方でいうと、12月24日の夜は、ユダヤ教やカトリックのこよみでいうと12月25日のクリスマスの日ということになります。

しかし、今のこよみで考えると24日、しかしユダヤのこよみでいうと本当はすでに25日になっているクリスマスの夜に礼拝をするのがクリスマスイブ礼拝。そして、今のこよみでいう25日にクリスマスの礼拝をして、という具合になります。ちょっとした雑学でした。

 

2,聖書

さて、今日の聖書はヨハネの福音書の最初が選ばれています。

はじめに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。全てのものはこれによってできた。言葉のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。

といった不思議な書き始めです。しかし明らかに、旧約聖書の最初の天地創造の部分を意識し、それをたどりながら、キリストの誕生を説明しています。

神様が、「光あれ」と言われてそのようになり、その後すべてのものを創造された・造られたという話です。そしてその言葉そのものが、人となってこの世に降ったというのです。

それが、人となられた神、イエス・キリストなのです。

この方をこの世の闇は受け入れなかったが、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には「神の子」となる資格を与えた、というのです。

 

その名とは、何でしょうか?

それは、天使がマリアに告げた名前、そしてヨセフがそのように名付けたといわれる名前です。

ルカによる福音書によると、天使ガブリエルがマリアに「その子をイエスと名付けなさい」と伝え、8日たった時に、その通り、イエスと名付けられました。

そのイエスの名を受け入れ、信じる者には、神の子となる資格を与えた、と今日の聖書は告げています。

 

2,          振り返り

私たちは、何を信じて生きていますか?何を頼りに生きていますか?それを問われています。

お金、権力でしょうか? 確かに、それらがあれば大助かりですね。しかし、それだけではどうにもならない時もあります。今のコロナがそれをいやというほど教えてくれます。

 

いつも、助けてくれる人でしょうか? それは心強いですね。しかし、いつもいつもという確証がありますか? 都合が悪くなると立ち去られ、自分の身が危うくなると裏切られるということを、私たちは体験したことがないでしょうか?それが、自己中心の人間の姿です。聖書はそれを「罪人」と呼んでいます。

 

私たちは、そうではない方を知っています。

神様ご自身がこの世に来られ、本当の正しさで裁き、本当の愛で赦し助けてくれる姿を見ました。それが、イエスキリストです。それらを教え、そのように生き、そのように身代わりになって死んでくれた方、それがイエス様だと聖書は語り掛けます。

 

この方の名前を信じる者には、神の子となる資格を与えてくれたのです。それは、ただ何事もうまくいくとか、病気が治るとか、死んだあと天国に行けるとか言う資格ではありません。

本当の正しさと本当の神の愛の方、頼りにしていける方を知ったので、何も恐れなくてよい人生を始めることができるというのです。

私たちがその名を知り、受け入れて、信じてついて行く前に、私たち一人一人の名前を呼んで、気にかけ、その幸せを願ってくれた神様がおられるから、私たちはこの方を知ることになったのです。

私がその方の名前を知る前に、私の名前を呼び、いるも唱えながら幸せを祈ってくれた方、それが神様です。

 

今日読んだイザヤ書の少し前にこんな言葉があります。43章の1節からです。

「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。2水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず炎はあなたに燃えつかない。3わたしは主、あなたの神イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。」と。

 

3,          名前を書いて祈る親の気持ち

私は、母の入院先に届けるために、看護師さんの言われる通り、着替えやタオルなど何セットも買って届けました。入院案内に書いてあるリストを見ながら、まるで借り物競争のように、短い時間で間に合うように、しかも、できるだけ手ごろな値段で、あちこちのお店を回ったからです。そして、入院案内を見ると、名前を書いてくださいとあります。

油性の名前ペンを買ってきて、せっせと母の名前をひとつづつに書きました。

そうしながら、「早く良くなってくれよ」「大変な事にならずに済んで、まだ良かったねぇ」とつぶやき祈りながら書いている自分に気が付きました。

そして、TVCMで万年筆のコマーシャルも思い出しました。「だいすけ」という名前をせっせと書く母親が出てきます。母子手帳に、オムツに、病院の問診表、ランドセル、上履き、鉛筆、体操着、大学合格祈願の絵馬、大学生活が始まって下宿先に宅配便を送る伝票に、せっせと名前を書き続ける、年老いていく母親。「名前は一番短いラブレターだと思う」と締めくくられるコマーシャルで、しみじみする人は多いと思います。

私も今回、考えさせられました。「親孝行をする前に、親の世話をする前に、こんな風にずっと世話をされてきたんだな」と。

 

4,それは神様の気持ち

自分の親の愛と神様の愛は同じではありませんが、神の愛は私たちの本当の親であるかたの愛そのものでしょう。

罪を犯し、憎しみ会い、苦しんでいる人々をほおってはおかれずに、立ち戻ることを願い、呼びかけてきた方。そして、ついに、自分自身がこの世に降り、その本当の正しさと本当の愛を教え、生きられたのです。その姿がキリスト、その方の名前がイエスなのです。

 

その神様は、私たち一人一人の名前を呼び、待っておられました。待ちきれず、この世に降られたのです。

この方の名を信じて、イエス様の名前を通して祈る前に、私たちの名前を呼びながら祈って待ってくれていた神様の姿を見上げましょう。

 

それはちょうど、親孝行のつもりで親の名前をせっせと書いていた自分が、同じことをしてもらいながら、祈り心配してくれていた親がいたことに気付かされたのと同じ、視点の大転換でした。

 

神様は、あなたの名前を呼びながら、待って、祈っています。

神様の愛をもっと知ってみませんか? 教会で一緒に聖書を学び、祈りませんか?

あなたが祈る前から、あなたの苦しみを知っておられる方が、体を張って、あなたを助けてくれます。あなたの人生を、あなたの仕事を、あなたの出会う人との関係を、助け、守ってくれます。

神様の祝福がありますように。

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