2021年12月18日土曜日

週報・説教メッセージ20211219


聖書の言葉 

ルカ1:39~45又は1:39~55 (新100)

1: 39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。

エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

46そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。48身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、49力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、50その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。51主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、52権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、53飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。54その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


説教「満員です、おことわり?」 徳弘師

1. 順番待ちの人生…?

お知らせしてきましたが、九州にいる私の両親が少し、大変な状況です。90歳の両親二人暮らしですが、母が脳梗塞で倒れて実家から少し遠い救急病院に入院して手術し、車を運転しないと決めた父は電車を乗り継いで世話とお見舞いに行っています。私もすぐに帰省し、車でいろいろと手続きや世話をしました。2週間で実家に近い病院に転院とのお願いと手続きをして岐阜に戻りましたが、順番待ちでひと月たちました。ようやく目途がつき来週転院で、その次の老人施設の下見や段取りをする予定です。実家に近い老人ホームなどを探し、資料も取り寄せました。インターネットでいろいろとみてもみましたが、驚きました。どこも「満員」、あるいは「15人待ち」等の表示があるからです。

「僕らの人生は何もかも、順番待ちの人生なのか…」としみじみ妻と話しました。思えば保育園からその順番待ちが始まります。東京の教会で幼稚園の園長をしていたころは、幼稚園は園児不足で定員割れ。しかし保育園は待機児童で順番待ちでした。そのころ「延長保育」に取り組む園が出てきて、私もすぐに取り組み、14時までではなく保育園並みに19時までの保育としました。保育園で順番待ちをしていた保護者の方に喜ばれ、園児も増えましたし、定員割れで経営の苦しかった幼稚園はそれもあって人数が増え、安定しました。そんなことも思い出しながら、妻としみじみ話したのでした。「お金持ちなら、権力者なら、そんな順番待ちをしなくて良くて、気楽なんだろうなぁ。」そんなことも頭をよぎります。

2.聖書を学びましょう

今日の聖書は、イエス様がお生まれになる前のお話。マリアに天使が「聖霊の力で神の子を身ごもった」と知らせ、「不妊で年老いた親戚のエリザベツも神の奇跡で身ごもっている」と聞かされたところです。マリアは急いで、エリザベトに会いに行ったのです。

そして今日は、クリスマスに一番近い直前の日曜日ですから、日曜日としてはクリスマスもお祝いする日です。少し聖書を読み進んで、ベツレヘムでイエス様がお生まれになったところも考えながら、神様のなさることを学びましょう。

右の写真は、マリアがエリザベツを尋ねた街といわれる所にある「訪問の教会」の銅像です。その意味合いは大きく違うにしても、奇跡的にこどもを宿した二人が出会っているところです。エリザベトはキリストを宿したマリアの来訪を喜び「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と讃え、マリアは「こんな身分の低いものに目を止めてくださった神を讃えます」と言いました。

しかしその後数か月で彼らは住民登録のためにベツレヘムまで旅をします。距離は岐阜から神戸くらいの道のりを旅したのです。その旅先でベツレヘムの家畜小屋で男の子を生みました。それが、預言されていた世界を救うキリスト・イエスさまだったのです。

3.振り返り

さて、これらを読んで私たちはどう思うでしょうか?私たちはクリスマスの物語をたいへん尊い不思議な素敵な出来事だったいう先入観で読みますと何も気が付かないのですが、真相はかなり厳しいものでした。ベツレヘムは旅人でごった返していて、彼らはどこに行っても「満員です、おことわり!」と泊めてもらえなかったのです。今ならキャンセル待ちをお願いして順番を待つところでしょうが、そうこうする間に赤ちゃんが生まれそうになり、家畜小屋で出産したのでした。

「居場所がなくて、順番待ちばかりの、面倒な人生」は私たちだけではありませんでした。

「お金持ちや、権力者なら順番待ちもしなくてよい、気楽な人生なんだろうなぁ」と思っていましたが、神のみ子イエス・キリストが、居場所のない生まれ方だったのです。いったいどういうことでしょうか?

実は、これが、クリスマスの大切な事柄だったのです。お金持ちで、権力者が優先されるのではなく、その反対でした。

マリアの言った言葉は「マリアの賛歌」と言われ長らく教会で歌われもしてきた言葉ですが、その言葉を注意深くもう一度見てみましょう。神様は「身分の低い、この主のはしためにも目を留めて」「その腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返」し、「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れに」ならない方と感謝しています。

今日の旧約聖書の預言の言葉もそうでした。「エフラタのベツレヘムよお前はユダの氏族の中でいと小さき者」だけれど、「お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る」と。「今や、彼は大いなる者となりその力が地の果てに及ぶ」「彼こそ、まさしく平和である」と、小さな取るに足りない街から、偉大な方が生まれると、キリストがベツレヘムで生まれると預言していたのです。

4. 勧め 

「自分にはなにも取り柄がなくてだめだから」とか、「お金や力がある人はいいよなぁ」とか思うことはありませんか?私はよく思います。そんな順風満帆の人生をうらやましがりもします。しかし、神様のクリスマスの出来事は、まったくその逆転だったのです。

お金や力で世の中を変えるのではありません。強制や罰則で人を正しく生きさせるのではありません。

権力者やお金持ちがむしろ恥をかかされ、世の中で無視されてしまうような人たちの中から神様の計画が始まり、進みました。差別され、無視され、居場所のない人達が神様に愛され、世の中の価値観や序列を崩し、人々の心を砕き改心させ、新しい神様の正義と愛が支配する心、社会を生み出していく原動力なっていく運動が始められたのです。

「人生はずっと順番待ちなのか…」と今の社会を嘆いてみましたが、一番列の最後で、一番さげすまされ、相手にもされないようなところに、神のみ子はお生まれになりました。うれしい素敵な夜ではなくて、普通なら心細く不安と困惑の夜でした。そこからその方の、謙虚と従順を、自己犠牲の愛を教えるこの世の生が始まったのでした。神様の大きな愛とともに、居場所がない、相手にもされない人の気持ちも、それを身をもって知っている方なのです。少し元気が出てきますね。

この方をもっと知ることを通して、今までの価値観を変え、自分の人生や家庭を、社会や世界を変えていくことを、一緒に始めませんか?心の中に何かあたたかいものが、暗闇の中にほのかでも明かりがともったなら、あなたの新しい人生は始まっています。

そんなクリスマスを迎えましょう。

クリスマス、おめでとうございます!

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風の谷より「世界の片隅」  イエスさまを胎内に宿したマリアは、天使ガブリエルに紹介され親戚筋にあたる高齢で預言者を宿したエリサベツの所に行きました。高齢の妊婦はまだ十代のマリアに最敬礼し「その声を聞いて胎の子が踊りました」と言いました。エルサレムにほど近い片田舎の、正に世界の片隅の出来事でした。

第1日課はミカ書5章1~4節です。ミカはイザヤ書39章までの宮廷イザヤと同時代の人です。王侯貴族に阿る(おもねる)ばかりの祭司や預言者に対して神の審きの近いことを告げていました。中でも5章1~4節はベツレヘムについての預言で「イスラエル民族の中では最も小さい者だが、ここからイスラエル全体を率いる者が現れる」という預言です。確かにベツレヘムで起こった出来事は世界の片隅のことです。しかしそこで起こったことは世界を呑み込み、一変させたのでした。正に神の業です。マリアとエリサベツの小さな会話もそのまま世界を呑み込む出来事だったのです。シャローム! (三木久人)


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