2021年12月4日土曜日

週報・説教メッセージ20211205

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聖書の言葉 

マラキ3: 1~ 4 (旧1499)

3:1見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は 突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者。 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。2だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。3彼は精錬する者、銀を清める者として座し レビの子らを清め 金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を 正しくささげる者となるためである。4そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は 遠い昔の日々に 過ぎ去った年月にそうであったように 主にとって好ましいものとなる。

ルカ3: 1~ 6 (新105)

3: 1皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、 2アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 3そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 4これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。5谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、6人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

説教「見よ、彼が来る!」 徳弘師

1. そのことだけが、待ち遠しい…

ブラジルで音楽やパソコンを教えていた10代の教会メンバーがインターネットに掲載したマンガを目にして、思わず笑ってしまいました。こんな感じです。

「私は、そのこと/ひとだけが、とっても待ち遠しい…」と一人の若い女性が上を見上げながらが言います。そばにいた女友達がこう聞きます。「あなたの彼氏のこと?」すると最初の女性はこう答えるのです。「いいえ、冬のボーナスのことよ!」と。

ポルトガル語の男性代名詞は「彼氏」とも取れるし「それ」とも取れるので、それをうまく使った面白い風刺漫画ということになります。空(くう)を見つめて、まどろみ顔で彼氏のことを考えて、彼に会える日のことを待ち遠しいと思っているのかと思いきや、「冬のボーナスのことよ!」という落ちで、一気に現実的な会話になります。ブラジルは一般的に夏と冬にボーナスがあるのではなくて、「13か月目の給与」という言い回しで、一年の最後に追加してもらえるのがいわゆるボーナスでした。しかし、ブラジルのルーテル教会の牧師たちは税制上「個人事業主」の扱いなのでそれも無い10年を過ごしたのを思い出します。

さて、私たちは今、いったい、何を、あるいは、誰を、待っているでしょうか?難しい問題を解決してくれるのは、頼りになる人、または彼氏や彼女ですか?大金ですか?聖書を読んでいきましょう。

2.聖書を学びましょう

今日の旧約聖書には、「『見よ、彼が来る』と神様が言われる」という力強い呼びかけがあります。旧約聖書の一番最後のマラキ書という予言書に書かれています。

「神様が使者を送る」というのです。何のためにでしょうか。「あなた方が待望している主」が突如来られ、誰もその日に「耐えることができない」からなのです。そのために、準備のために、使者を送り、その使者が後に来る主のために、道を準備する、というのです。

神様の日、「主の日」が来る。それは、悪をなすものには「裁きの日」、そして、神様に従う正しいものには「救いの日、解放の日」だと、先週まで学んできました。いろいろな難しい問題がある世の中ですが、主の日には、それらが解決する日なのです。

しかし、その裁きの日でもあり救いの日でもある「主の日」が突然やって来るなら、誰も耐えることができないので、神様は「使者を送る」と約束されました。

そして、その実現と思われているのが、今日の新約聖書のザカリヤの子ヨハネ(洗礼者ヨハネと呼ばれる)だったと説明されています。彼は、「罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」とあります。ルカは「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」という預言者イザヤも伝えていた同様の預言を引用して、彼にそれが実現した、と伝えているのです。

神様が約束されていたメシア・キリストをお送りになる前に、この使者を送る、ということでした。そうでなければ、みんなその罪深さのゆえに、裁かれ、滅ぼされてしまい耐えることができない、というのです。

3.振り返り

問題や悩みが絶えない毎日ですね。それに加えていま人類が共通に体験している難しさは、新型コロナウイルスでしょう。ようやく一区切りと思っていたら、また新しい変異種が出てきて、面倒な何もできない毎日に後戻りなのか…と、ため息ばかりが出る毎日です。

そんな人生の中で出会う色々な困難の中で、私たちは、何を、誰を待っていたでしょうか?

最初の笑い話の漫画のように、誰か助けてくれる「彼」を待っていたでしょうか?それとも、お金が解決してくれると、それを待っていたでしょうか?頼りがいがある誰かが「エイっ」と解決してくれるわけでもないようです。そして、お金があっても、何ともできない大きな問題や難しさも感じて、無力感を感じることも。

何が解決でしょうか?今日の聖書が教えるのは、キリストに出会うことです。しかし、キリストに出会う前に、今までの間違った生き方を改める悔い改めが必要だということを、今日の聖書は伝えています。

神様の正しさと愛を知り、そのように生きると、方向転換すること、それが洗礼を受けて、神の子として生きることを始めることなのです。

4. 勧め 

 今日の聖書を読んで、「それじゃ、私も自分の前の道をまっすぐにして準備をしなければならない。そして、この道を一生懸命歩いて行って、上り詰めて、神様に、イエス様にお会いしよう」と思いますか?しかしそれは間違えです。今日の聖書を注意深く読むなら、「見よ、彼が来る」であり、「主の道を整えまっすぐにせよ」でした。

その使者が来て道をまっすぐにするのです。そして、主の道を通って、キリストが私たちの人生にやってきてくれるのです。私が頑張って神様のほうに歩いて行こうともがくのは、一方通行の高速道路を入り間違えて「逆走」しているのと同じことです。

 私たちが心するのは、今までを振り返り、改心すること。それが、私の前の道をまっすぐにすることであり、それは私が頑張って前進する道ではなく、まず、キリストがまっすぐ来てくださる道だったのです。

 罪深い人間が、神のようにふるまって他者を苦しめ殺し合って生きてきた歴史のようにではなく、修行をして神様に至る努力をするのでもなく、心静かに悔い改めること。神様にお任せすること。そのときに、キリストが心に来てくれるのです。

そのために、私たちはいろんな苦しみや挫折、問題を味わうこともあるでしょう。そのとき、それに耐えるだけではなく、それを通して謙虚になり、神様にお任せする生き方を始めるなら、神様の祝福をいただくことができるのです。誰か人に頼るのではなく、お金に頼るのでもないのは結構なことです。しかし、そのうえで、熱心なクリスチャンや、宗教家ほど、「自分で頑張る信仰」を掲げて「逆走」してしまうこともあります。神様が送られるキリストに出会えるよう、過ごしましょう


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