2021年10月29日金曜日

週報・説教メッセージ20211031





聖書の言葉 マルコ12:28~34 (新87)

12:28彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 29イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 30心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 31第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 32律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。 33そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 34イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。


説教「保守か革新か、教会の在り方は?」 徳弘師

1. 選挙には行きましたか?

今日はいつもの岐阜や大垣の教会ではなくて、静岡の掛川菊川教会の菊川礼拝所に来て礼拝で奉仕できることを感謝します。今日は、「宗教改革主日」でもあり、私たちプロテスタントの、その中でもルーテル教会にとってはとても大切な日です。

しかし今日は、日本にとっても大切な日になりました。それは、衆議院選挙の投票日にもなってしまったからです。いろいろな困難の中にあって、政府はどのように対応してくれるのか、そのためにどんな政府を選ぶかという私たちの権利であり義務でもある選挙の日です。しかし、私は今日こうして出張中ですから投票所に行けません。でも大丈夫です。ブラジルに10年いた時にもそうでしたが、期日前投票をしてきました。

TVをつけても各政党の主張と論戦が盛んです。伝統的日本の在り方を守る「保守」が良いのか、変革を求める「革新」政党が良いのか、個別の事柄に対してもそれぞれがどういう政策を主張しているのかで、迷うところもあるでしょう。

教会で政治の話ばかりしてもいけません。そういうつもりではありませんが、この「旧来のものを守ろうとする姿勢」と、「改革して新しくしていこう」という姿勢、これは政治だけの話ではありません。私たち一人一人の生き方にも、教会の在り方にも大切なことです。そしてそれは、旧約のユダヤ教の時代と、イエス・キリストが教えられた福音でもそうです。その後のローマカトリック教会と、「宗教改革」の私たちの教会にも大切なテーマです。

今日は、聖書の言葉を聞きながら、イエス様の言葉を聞いていきましょう。

2.聖書を学びましょう

今日の福音書のお話は、一人の律法学者とイエス様の問答です。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」という問いから始まります。あらゆる掟というのは、旧約の律法には613とも言われるほどたくさんの掟があります。その問いに対してイエス様は、二つの答えをしました。一番目は申命記6章4-5節の「聞け、イスラエルよ」から始まる言葉です。これはユダヤ人は毎日唱える祈りの言葉でもあり、聞きなれた、ありふれた言葉でもありました。しかし、それが大切だというのです。「何にも増して、神である主を愛しなさい」でした。下にあるヘブライ語はその部分で、Six13というアメリカのユダヤ教のアカペラグループが歌う歌で、大変綺麗で興味深い歌です。上のQRコードをスマホで読み込むとYouTubeで聞くこともできます。二番目はレビ記19章18節の言葉、「隣人を自分のように愛しなさい」でした。どれが第一ですか?という問いに、イエス様は一つではなくて二つの答えをされました。入験の問題への解答なら失格でしょうか?いえ、この「二つ」が「一番」大切なのです。律法学者はイエス様の答えに同意し、イエス様はその態度を評価します。他の場所のようにイエス様が批判したり、律法学者が悔しがったりということはありませんでした。

※シェマ・イスラエルの歌へのリンク https://youtu.be/F9y2jmH9DtI

3.振り返り

イエス様は新しいことを言われたでしょうか?そうではありません。今までの旧約聖書のなかの大切な言葉を教えました。そこには何の革新もなく、ただの昔ながらの教えを繰り返すだけの保守派だったのでしょうか?退屈な二番煎じでしょうか?他の戒めを破棄して簡単にしたのではなく、新しい掟を持ち出したのでもありません。

では何が大切なイエス様の教えなのでしょうか?モーセを通して与えられた神の戒めに服従することではなく、神の新しい言葉そのものであるイエス様に従うことを説かれます。続いて隣人を愛するということは、自分を犠牲にしてでもということを教ます。神の掟で、神を愛し人を愛すという言葉を、知っているだけではなく唱えているだけでもなく、そのように生きることを説かれたのです。そして、キリストはそのように十字架で死なれていくことになるのです。

ルターの宗教改革も、当時の世界で「新しい解釈」や「新しい啓示」を示したのではありません。イエス様の教えに立ち返り、聖書にしるされたパウロの理解に立ち戻り、「律法による行いで救われるのではなく、福音を信じる信仰によって救われるのだ」と、当時の教会の伝統や誤ったあり方で見えなくされていたことに対して、「聖書の言葉」に立ち返ることを命を懸けて議論し、それが結果的に「改革」となっていったのです。


4. 勧め 

私たちには、信仰でも教会の在り方でも、決して曲げてはならない守るべきことがあるでしょう。しかし、それを守るだけ、今までの在り方を維持するだけで、逆にその守るべきものの真意を犠牲にしていることもあるかもしれません。そのときは、大胆に改革していくことも必要でしょう。大切なものを捨てて改革・革新していくのではなくて、大切なもののために、ある時は変革していくことも大切なのです。それが、イエス様の新しい教えであります。宗教改革の出来事も、そんな風に理解していくことが大切です。「変えてはならないものを守る勇気」とともに、「変えねばならないものを変えていく勇気」も両方大切です。

そしてそれは、あなたの今の生き方にもかかわります。何を大切にしていますか?それによって、何を守っていますか?あるいは、守っているつもりで何かを見えなくしたり、ないがしろにしてはいませんか?その時は、勇気を出して、変わっていくことが大切です。個人も、社会も、教会も例外ではありません。

神様の声を聴いて、間違えのない判断と生き方ができますように。そのときは、大きな神様の祝福があるのです。神様とともに生きていきましょう。

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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説 「イスラエルよ聞け」 
聖霊降臨後第23主日の福音書はマルコ12章28~34節。イエスさまが律法学者からの挑戦を受けられた所です。聖書の全ての掟の中で最も重要な掟は何か。全く教科書的な問いなので、イエスさまも教科書通りに答えました。
そして第1日課はその元となる聖書の言葉です。「隣人を己れの様に愛せよ」はレビ記19章2節の言葉で、罪を犯し、神から離れてしまった人を諫めるという文脈で語られています。愛するとは問題のない時に愛を語ることではなく、背いた隣人を諫めることと受け取りがちですが、実は罪を犯して神から離れてしまって尚、自分をそして隣人を愛して下さる神だから、神が愛しておられるので愛せよという意味かもと思い至ります。そして「心を尽くし精神を尽くし、思いを尽くして」ユダヤ人は抽象的な考えをしません。たとえば「精神を尽くし」他の所では魂と訳される言葉です。魂は谷川の鹿のように水を求め、狼に真っ先に食いつかれる器官も即ち「のど」です。そして大切なことは「これはこのように神を愛せよ」という命令以前に「神がこのように愛して下さっている」というイエスさまの教えです。シャローム!(三木久人)

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