2021年10月9日土曜日

週報・説教メッセージ 20211010

 明日の礼拝です。大垣教会からだけではなく、以下の週報と説教原稿や、以下のFacebookやYoutubeチャンネルからも参加できます。どうぞ、おいでください。

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聖書の言葉 マルコ10:17~31 (新81)

10:17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」 24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 28ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。 29イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 30今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。 31しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」。


説教「神にはできる」徳弘師

1. やるだけのことはやった… でも?

書類を作って見直しも完璧、説明の文章もメイルに長々と書いた。精一杯のことをして、「これで完璧!」とメイルを送信。しかし、あとで気が付く失敗は、作った書類をメイルに添付していなかった、ということ。よく笑い話になりますが、それだけ、よくあることです。「ネットはしないから」と言われる方もおられるかもしれません。でも、こんな経験なら身に覚えがありませんか?楽しい夕食が終わって片づけをしている時に、掃除をしようと電子レンジを開けたら、夕食に出すつもりだった一品が温めたまま残っていた。

これらは、誰にでもある失敗でしょう。ウチでもときどきあります。せっかくたくさんのことをして完ぺきと思っても、送り届けることができなければ、あるいは食卓に出すのを忘れたら、全く意味がありません。

あるいは、「できるだけのことはやった」ということも怪しいかもしれません。もっと、もっと、やれることがあったかもしれない。手を抜いていたことがあったかもしれない。そんなことも反省せねばなりません。

今日の聖書では、「あなたに欠けているものが一つある」と言われた人が登場します。なんと惜しい、残念な事でしょう。神様との関係で、一つだけたりないことがあったのなら、それは何だったのでしょうか?

2.聖書を学びましょう

今日の聖書は、イエス様が旅に出ようとするところに走り寄ってきた人が質問したところから始まります。

その質問は、「永遠の命を受け継ぐにはどうしたらよいでしょうか」ということでした。「永遠の命」は「神の国」と同じように語られています。そして、「引き継ぐ」とは「相続」のことであり、始祖が神から祝福を受けそれを受け継いだ民族の歴史や、エジプトからカナンの地に戻ってからは部族ごとに土地を割り当てられそれを嗣業として代々受け継ぐのは大切なことでした。永遠の命を継ぐとは、神の国に入ることを議論していると理解することができます。

「どうしたら、祝福を受け、永遠の命を受け、神様の支配を生き、そしてやがて天国に入ることができるか」という色々なことを含む問答だったのです。

私たちも、「祝福を受けて心身ともに健康で、生活も豊かになり、幸せに生き、やがて天国に入るにはどうしたらよいか?」はすべての人の問いであり、願いでしょう。それを実現すると訴える行事や宗教がたくさんあることからもわかります。

さて、イエス様のそれへの答えは極めて簡単でした。しかし、同時に難しいことでした。

モーセの十戒の言葉を挙げ、それらを守るようにといわれました。彼は「それなら子供のころからすべて守ってきました」と応えます。よく知っている掟で、きちんと守ってきた、「簡単な」ことだったのです。しかしそれは「簡単ではなかった」こともすぐにわかります。「一つ欠けていることがある」と言われたからです。でもまだ、「一つだけなら何とかなる。それを教えてください。一つだけ追加しますから」と言いたいところです。

その一つは何だったでしょうか?それは、「すべての財産を売り払って貧しい人に施しなさい。天に富を積むことになる。その後私にしたがいなさい」と言われました。

この、もう一つだけ追加したらいいと思っていたものは、とてつもなく彼には大きな問題でした。彼は、「気を落として悲しみながら立ち去った」のです。

3.振り返り

マルコの福音書の登場人物の中で、イエス様の招きに応えられなかったのは、この人一人だけだそうです。

私はどうでしょうか?自分のことも考えねばなりません。「さあ皆さん、全財産を売り払って教会に献金しましょう。そうすれば、あなたの幸せと死後の天国は約束されています!」と牧師は聖壇から叫ぶでしょうか?いいえ、安心してください。そんなことではありませんから。でも、安心しすぎてもいけません。

今日の問答の問題は、彼にイエス様が語られたその言葉を一人一人が文字通り実行することではないのです。イエス様が問題にされたのは、不十分で不信仰だと気づいて救いを求める人ではなくて、「私は、立派な信仰者で、こどものころから聖書の教えは守っています。それ以上に新しい何かを教えてください」という質問への厳しい答えだったからです。文字通りに、あるいは表面的に掟を守っていても、祈りや聖書を読むことを欠かさなかったとしても、その心に自分の罪深さを認め、心をこめて信仰を持って生きる姿がなかったのです。

「そんな厳しいことを言われたら、だれが一体できるだろうか?だれが救われるだろうか?」と弟子たちは話し合います。イエス様も、「それはとても難しい。ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」と続けます。そして、「人間に出来ることはない」とイエス様はきっぱり言われました。私たちは絶望でしょうか? いえ、そのあとの「神にはできる」という言葉を聞き忘れてはいけません。

4. 勧め 

試験やスポーツなどでは自分に暗示をかけることも大事だといいます。「できる、できる。自分ならできる」と言い聞かせて、不安を払しょくして、ベストな結果を出すということでは、理に適っているでしょう。

しかし、神様との関係ではそれは違うかもしれません。「自分にはできない。だから、神様よろしくお願いします」となります。根拠は、自分の努力でも、自分への暗示でもない。自分にはできないと知る時に、謙虚になり、優しくなり、信仰も強くなるのです。信仰を持つと、「自分にはできる、クリスチャンなら出来なきゃ」と、違った暗示と脅迫が時々出てきます。それで悩み、苦しむものです。神様の働かれる場所を取っておきましょう。その絶望の後に、「神様にはできる」と、柔らかなやさしい確信が頂けるでしょう。安心して生きていきましょう。

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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説

「同胞を憐れまない残念」

聖霊降臨後第20主日の福音書はマルコ10章17~31節。神の掟を全て守っているのに天国への確信を持てない青年の話です。イエスさまは内に留保している富をはき出して同胞と分け合い、主に従うように提案しました。彼は気落ちして去って行きました。金持ちが天国に入るのはらくだが針の穴を通るより難しい。

第一日課はアモス5章6~15節。アモスはモーセやエリヤの様に奇跡を起こす預言者ではなく、言葉を記す記述預言者で、最初の人です。その中でアモスとホセアの二人だけは北王国イスラエルの預言者でした。共に出身はユダ王国内です。日課の内容は、「同胞のために声を出すことを拒み、憐れみを示さない人々への懲らしめが北から来る」というものです。アモスの頃はまだアッシリアは脅威ではありませんでした。ですから神の審きが来るという時、この2年後に起こった地震と解釈したのでした。しかし早晩北王国はアッシリアに亡ぼされ、アッシリアに捕らえられた民との混血が強要されました。サマリヤ人のはじまりです。シャローム!(三木久人)

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牧師コラム おまねき

大垣教会・召天者記念礼

私たちの神様の聖名を賛美します。

お元気にお過ごしですか?  新型コロナウイルス感染対策は、「少しの間の辛抱」と思っていましたが、今年も続き、また桁違いの拡大もあり、不自由で大変な日が続きました。

出口が見えない、希望がないように見える日が続いた時、頭のなかに昔歌った讃美歌が聞こえてきました。「だから今日希望がある」という讃美歌です。これはアルゼンチンの教会で作られた、少々タンゴ調の讃美歌。20年ほど前に日本でも紹介され、南米らしい明るいジャケットのCDも出されました。大垣教会でも歌い続けています。

この歌は「どこに希望があるのか?」という問いかけに対して、「だから今日希望がある」と応えるような歌です。その「だから」という根拠は、「キリストが生まれ暗闇を明るくしてくれたから」、「キリストが人々を愛しそして十字架にかかられたから」、「それで終わりではなく死から復活されたから…」と続く、単調ですが心に残る歌です。

私たちの毎日の生活でも、感染症で歴史上まれな状況の生活でも、愛するものを天に送った時も、そしていつかこの世から旅立つ私たちの人生でも、この問いはあるでしょう。そして、目に見える財産や人の評価ではなく、神様との確かな関係の中に、「希望の根拠」を見つけることができれば、どれほど安心でしょう。

今年も、キリスト教会の伝統的な暦に従って、召天者記念礼拝をいたします。主の恵みの内に召された方々を偲び、慰めと恵みの時を過ごしましょう。

ご多忙のことと思いますが、ぜひとも御出席賜りますよう、御案内申し上げます。

日 時:11月7日(日)12:30-14:00

場 所:大垣ルーテル教会 礼拝堂

礼拝と、交わりのひととき、是非御参加下さい。 


日本福音ルーテル大垣教会

〒503-0015 大垣市林町7-141 Tel/Fax 058-231-7897 牧師 徳弘浩隆

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