2021年8月8日日曜日

週報・説教メッセージ 20210808

 


聖書の言葉  

列王記上19: 4~ 8 (旧565)  より一部抜粋

彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」 見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。 エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。

ヨハネ6:35, 41~51 (新175) より一部抜粋

はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。 わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」


説教「旅は長く耐え難いから…」 徳弘浩隆師

1. 飛行機で30時間の旅も慣れれば…

私がブラジルに10年いた、そんな話題になると「ブラジルまで飛行機で何時間くらいかかるんですか?」と聞かれることがあります。ブラジルの教会メンバーともこんな約束をしたことを思い出します。「みんなはブラジルから、僕らは日本から日本の教会メンバーと一緒に行って、ドイツの空港で待ち合わせをしましょう。そこから一緒に乗り換えてイスラエル/パレスチナに行きましょう。向こうには知り合いの牧師がいますから」と。半分は景気の良い冗談ですが、しかし、どちらの国から行くにしてもドイツ経由の乗り換えが現実的なので、それなりに本気にして楽しみにしている方もおられます。日本からドイツまで12時間くらい、ドイツからサンパウロまで11時間くらいで、乗り継ぎの待ち時間も入れると、私の記録では最短24時間、最長30時間くらいでした。それを聞くと、「いやぁ、そりゃ無理だ。やっぱり自分にはいけないなぁ」という方が大半です。しかし、慣れればそれほど苦になりません。秘訣は簡単。「ああいやだ。早く着かないかなぁ」と思わないことです。飲み物をいただいて、音楽を聴いて、食事をいただいて、映画を数本見て、トイレに行って、仕事や趣味の本を読んで、寝てしまうこと。しばらくすると明かりがついて目が覚め、食事が配られ、混む前にトイレを済ませ、身支度をしたら到着。それを二回繰り返すだけです。もう一つの秘訣は、乗り換えの空港では、工夫次第でお金持ちでなくても手に入るカードを活用してラウンジに入ると簡単な食事やシャワーも仮眠もできます。これで、「旅は長く、耐え難い」ものではなくなり、意外と楽なものになるのです。

 今日の旧約聖書には、エリヤに対して神様の使いが声をかけています。「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と。私たちの人生の旅は、信仰の旅はどうでしょうか?聖書を学んでいきましょう。

2.聖書を学びましょう

この数週間、聖書では「パン」の話が続きます。そしてそれに関連する旧約聖書の出来事もよまれています。今日はまず、旧約聖書を少し復習しながら、それと合わせてイエス様の言葉を学んでいきましょう。

旧約聖書はエリアの物語です。異教の神々を信じる人や偽預言者をことごとく退け、本当の神様の働きを見せつけ、人々を導いた偉大な預言者ですが、意外な面が出てきます。弱音を吐いているのです。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」と聖書にあります。偉大な預言者の意外な一面にガッカリしたり、驚いたりするかもしれませんが、私は安心しました。エリアでも、弱音を吐いて、寝込んでしまったんだ、と。「ああ、もう死んだほうがいい。どうぞ神様。自分は偉大な先祖のようにはいきませんから」とすねているところも、身近に感じることが出来る、好きなところです。そのエリアを神様はしかりつけ、罰を与えたのではなくて、主の使いをやって彼に触れ、「起きて食べよ」と言います。エリアは主の使いを見て感謝して改心したのではありません。それを食べて、また寝てしまいました。そこで主の御使いはもう一度行って、エリアに触れ「起きて食べよ」と言います。そしてこう続けました。「この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と。そして彼はそのようにし、力づけられ、40日40夜歩き続けて、ついに神の山ホレブに着いたのです。

神様に従って生きて、大活躍をしても、苦難に耐えられずに、「もう死んだほうがいい。自分はあんな立派な先祖たちとは違うんだから。もう十分です」と座り込んで寝込んでしまうことがあります。しかし神様はそれを放ってはおかずに、叱りもせずに、食卓を備え、力づけられたのでした。そして生き延びただけではなく、いただいた力で、歩き続け、「長い、耐え難い」道のりを終え、ついに神の山につきました。神は決して見捨てませんでした。エリアという名の意味は「ヤァウェは私の神です」という意味でした。不満を言い、あきらめるときでも、神を疑い捨てることがなかったエリアと、たとえそうしても人々に触れ、養い、見捨てないのが神様でした。

3.振り返り

私はこれを読んで、とてもうれしくなります。「信仰を持っていたら決して弱音を吐いてはいけない」「不信仰な言葉を口にするだけでも罪になる」というのではなく、自然体で神様と付き合い、すねてみたり、座り込んでみたり、そんな生き方でもいいんだ。神様から離れなければ、神様は養い、力づけ、長くつらい道のりも歩かせてくださるんだ、と思えるからです。

旧約聖書の神佐浜は怖い方で、掟でがんじがらめで融通が利かないと先入観がありがちですが、時に弱音を吐いてしまう預言者に寄り添って来られた神様に力づけられます。

そして新約聖書のイエス・キリストです。神が御使いを使わし、人々に触れ、「さあ食べなさい。あなたの道のりは長くつらいんだから」と食事を差し出した出来事を、さらに現実的にされた方です。御使いではなく神ご自身が天から降り、パン菓子と水を差しだしたのではなく自らの命を差し出して、私たちを罪から解放する十字架に身代わりでかかり、私たちを生かしてくださいました。この方は40日40夜断食をして悪魔を屈服し、山の上で神のことばを大群衆に語り、人々を神様の到着できるように道を作ってくださったのでした。こうして、旧約聖書の出来事と、イエス・キリストの出来事は見事に重なり、私たちの目の前に現れたイエス・キリストは、預言されていた通りのキリストなのだと、示されました。

4. 勧め 

あなたの人生は長くつらいものですか?耐え難いものですか?いつもそうではなくても、誰しも、そう思う時があります。「ああ、もういいです神様。私のいのちをとってください」と投げ出したくなる時もありませんか?そんな不信仰なことは口が裂けても言わないのではなくて、信頼のある神様にこそ、心を打ち明けていいと思います。神様は聞いてくださいます。解決の道を開いてくださいます。神を神として信じ続けること、それが人生という時に長く耐え難い旅を楽に続けるコツなのです。

イエス・キリストはそのために、この世にお生まれになったのです。天から降ってきたパンがそのいのちを差し出してまで、私たちを愛してくださったことを心に刻みましょう。パンとぶどう酒の聖餐式にあずかる時にも、今までつぶやいたつぶやきを思い出しながら、いただきましょう。神様は必ず、道を開いてくださいます。このパンをいただき、隣人にも分けてあげましょう。それは、元気をもらった私が、人に手を貸し、元気を分ける存在になることです。神の御使いの役割を、私たち一人一人も願われているのかもしれません。

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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説

「元気づける天からのパン」 聖霊降臨後第11主日の福音書は「イエスさまは天から降ってきたパン」という教えです。これに対する第一日課は列王記上19章4~8節です。列王記の筆者は申命記史家と呼ばれる人たちで、申命記をはじめヨシュア記、士師記、王国の書を就筆、編集したと考えられます。そして列王記は元々は「王国の書」という大きな書物でしたが、持ち運び、保有に不便だったので、サムエル記上・下、列王記上・下の4巻に分けられたようです。預言者エリヤはカナンの土着の神バアルの預言者との対決に勝ったのですが、その後のアハブ王、王妃イゼベルの厳しい追及に遭い、意気消沈して自らの死を願いながら歩き続けました。神は天使に命じてパンと水を与え、エリヤを元気づけたのでした。天使はエリヤを元気づけながら40日40夜かけてホレブの山、即ちシナイ山に導きました。元気を取り戻したエリヤはシナイ山で神と語らい、神から新たな使命を受けました。シャローム!(三木久人)


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