2021年6月5日土曜日

週報 説教メッセージ 20210606

 




聖書の言葉 

聖書 マルコ3:20~35 (新66)

イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。 しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」。


説教「誰もわかってくれない時」徳弘浩隆師

1. 「泣く子も黙る」といいますが…

時代劇を見ていて、悪人が静かになるのは二つのパターンがあるように思います。もっと上の「泣く子も黙るような」極悪人が現れて一喝すると、先程まで虚勢を張っていた悪人が急に静かになります。もう一つは、「印籠」や「桜吹雪」等が出てきた時。ただの隠居さんや遊び人と思っていたら、本当は大きな権力者だったことに気づいて、「恐れ入りました」となるのです。

イエス様が苦しんでいる人から悪霊を追い出し多くの人が救われました。村々で出会い癒された人、うわさを聞き付けた人は群衆となって殺到しました。偉大な方だと気づいたのでしょう。しかしみんながそうだったのでしょうか?私たちも聖書を読み、イエス様を知りましたが、どのような方と捉えているでしょうか?信仰や生活で、失敗してしまわないためには、今日の個所は大切です。聖書を学んでいきましょう。

2. 聖書を学びましょう

今日は、イエス様の身内の人たちと、エルサレムから下ってきた律法学者が登場します。身内の人たちとは「母や兄弟たち」です。律法学者たちは、ユダヤ教の神殿があり全ての中心であるエルサレムから北のナザレの地方にやってきたのです。エルサレムからナザレ地方は岐阜から神戸くらいの距離です。現地のユダヤ教の人々から問われて、ユダヤ教の律法の専門家たちがわざわざ現場を見にやってきたのでしょう。

そして、彼らの結論はこうでした。身内の人たちは「気が変になっている」と思いました。一方、律法学者たちは「あの男はベルゼブルに取りつかれている」、「悪霊の力で悪霊を追い出している」と結論付けました。どんな悪人でも、もっと上の極悪人が登場すれば、静かになると考えましたが、彼らはそう捉えたのです。

皮肉なことです。その「ひととなり」を一番よく知っている身内の人たちも、聖書に精通した律法学者も、イエス様の本当の価値と祈りや気持ちを理解できなかったのです。逆に一番それを理解したのは誰でしょう?それは追い出された悪霊達でした。悪霊たちは、自分より上の極悪人が登場したから静かになったのではなく、ちょうど時代劇の「印籠」や「桜吹雪」に気付いたように、その人の本当の価値に気が付いたのでした。マルコの1章でも悪霊が「正体は分かっている。神の聖者だ」と叫んでいるからです。

3.振り返り

私たちはどうでしょうか?イエス・キリストの本当の価値を理解できているでしょうか?信じられないと思ったり、信じられなくなったりすることもあるかもしれません。何が彼らの判断を誤らせたのかを知ることが必要です。

それは「身内だしこの人のことは何でも知っているから」という自分の経験や判断。そして知識はありますが、「全ての出来事を、自分の知識の中に位置づけないではおさまらない」聖書の専門家の態度でした。イエス・キリストの思いとその働きは、人々の理解を超えていました。聖書に預言されていたことであり、それが実現していく出来事でしたが、両者ともそれを理解できませんでした。良かれと思って、たくさんの人を救い、宣教活動を始めたイエス様に障害が立ちはだかったのです。

私たちにも、どんなに努力しても、誰もわかってくれない時があります。どうしたらよいのでしょう。

それはイエス様のこの言葉が答えです。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と。これは、「あなたの母上と兄弟姉妹たちが外で探しています」と言いに来た人たちの声に対しての言葉でした。まるで籠城する犯人に身内の人の呼びかけで投降を説得するドラマのシーンを思い出します。無理解な身内に愛想が尽きて突き放している言葉に聞こえますが、「神の御心を行う人こそ」という言葉に注目しましょう。イエス様の基準はそこにあるのです。宣教活動をすることも、だれもわかってくれない時にも、平然とくじけずに進んでいかれるのも、大切なのは慣れ親しんだ身内や、聖書に精通した知識やその持ち主ではなく、「神様が何を考えておられるか」なのです。私たちもそれを心の中心に置くとき、おのずと正しい判断をし、苦境でも歩めます。

4、勧め 

イエス様のことを理解するためにも、また、時に自分が誰にも理解されないと苦しむときも、「神様はどう思っているんだろう?」と問いかけること、そんな祈りが大切です。経験や知識に頼らないことです。あなたの人生が、ますます祝福されますように。これからも、教会で学び、祈りましょう。

 

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自宅で講演会参加!「人生百年に向かって」6月9日(水)13.30-礼拝、14.00-講演会(70分)

日本福音ルーテル教会の女性会連盟の総・大会はコロナ禍で中止になりました。残念ですが、礼拝と講演会の模様はライブ中継されます。教会での有志の共同視聴や各家庭での視聴をお勧めします。講師は潮谷美子氏で、ルーテル熊本教会員、社会福祉法人慈愛園の長年の勤務の後、熊本県知事、大学理事長等を経て現慈愛園理事長。https://youtu.be/iidCMOYHz_Y または左のQRコードをスマホで読み込んでご覧になれます(ライブ中継後も後日ご覧になれます)。

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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説 「女性は蛇が嫌い」

聖霊降臨後第2主日(第1主日は先週の三位一体主日)の福音書の日課はベルゼブル論争です。マルコ福音書ではその前後に母マリアと兄弟たちの動きがあり、それで論争をサンドイッチにしています。それで2つの話を強く関連づけているのです。つまりマリアや兄弟たちはイエスさまの活動を悪魔の仕業と考えているということです。今日の第一日課は創世記3章の禁断の木の実を木から取ったエバと蛇との断罪です。昔のジョンヒューストン監督の映画では断罪された蛇が木から落とされるのですが、その時は人の形で、木の間から見せたその形は地を這う形になっていました。これも一つの真理かなと思います。神の言葉に逆らって自らを神としてしまおうと企てる、これこそが罪ですが、その罪に陥った事で命の木への道が閉ざされてしまいます。罪あるままで永遠に生きるのは苦痛でしかないからです。その苦痛を描いたのがスウィフトのガリバー旅行記の中のラピュタの下りです。蛇は女のかかとを砕き「女から生まれた者の子孫によって蛇の頭は砕かれる」と言われました。その言葉通り、イエスさまの足は砕かれませんでしたが、蛇で宿った罪はイエスさまの十字架で砕かれてしまいましたシャローム!(三木久人)

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牧師からのお手紙・誰もわかってくれない?

 「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ3.35)

 一生懸命頑張っていても報われない時があります。誰もわかってくれず、誤解されて苦しむときもありますね。

「そんな時は、聖書に書いてあることをひたすら信じて、祈っていくと解決します!」とは、私は言えません。私もやはり、孤独を感じて、「誰もわかってくれない」と苦しむことがあります。何でも話せる教会の仲間や同僚に、食事をしながら話し込んでスッとするとか、うっぷんを晴らすとか。それも良いことです。しかし、それもできない時もあります。私はブラジルで始めのうちは愚痴を言ったり聞いてもらえる同僚はいませんでした。彼らは皆ポルトガル語です。ひたすら祈るしかなかったです。一人で。朝まで。今思うととても良い経験でした。「最後は自分と神様なんだ」と思い知らされました。もちろん、家族や教会の家族のような仲間もいます。しかし時折、神様は一人に追い込んで、成長させることがあるようです。神様の御心を尋ね、人の評価や評判は二の次で、「神様と人のために生きているんだから、それ以外は気にしない」と、気持ちを切り替えさせられました。

「血のつながりがなければ薄っぺらだなんて、そんなことはない!」という「鬼滅の刃」の名セリフがニュースに出ました。ワクチンを緊急支援した日本に対しての感謝の言葉を台湾外交部がこの言葉とともに紹介していました。血のつながりや今までの経験や、人の評判よりも、神様の御心で繋がった本当の家族が教会の共同体の目指すところです。あなたもどうぞ。(徳弘) 


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