2020年10月17日土曜日

週報・説教メッセージ 20201018

 




聖書の学び 今週の聖書の言葉

 福音書  マタイ 22:15~22 (新43) より

 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」


1.  禅問答? 意地悪な質問

先週までは、イエス様の「天の国はこういうところですよ」というたとえ話が続きましたが、今日はまるで「禅問答」のようになっています。それは、イエス様のお話を聞いて、素直に反省したり、受け入れることができなかった人たちが、「言葉じりをとらえて」困らせようとして意地悪な質問をしているのです。

私たちも、正しいことを言われても素直に聞けないときには、色々と理由をつけて言うことを聞かなかったり、何かと難癖をつけて反論をします。それもかなわないくらいの正論なら、「むちゃな質問をして困らせてやろう」ということがあるかもしれません。

イエス様はどんな風に切り返していかれたのか、見ていきましょう。そしてそれは、素直になれない私たちに、どんなメッセージを持っているのでしょうか?

 

2.  聖書を学びましょう

当時のユダヤの国は、ローマ帝国という圧倒的な力に支配されていました。地中海沿岸の広い世界がそうされていました。そして、支配下に置いた国々には、文化や伝統、そしてその地の支配者をある程度尊重してあげる代わりに、「平和」の代償として税金を納めるように強要していました。他の諸国からも反乱の手は時に上がりましたが、ユダヤの国は政治的なこと以外にも宗教的に分かり合えないところがあり、何とか自主自立をしたいと思っていました。ユダヤの王も、ユダヤ教の指導者たちも、当然そう思っていましたが、国力の差は歴然でむつかしいものでした。ローマにとりいって、微妙なバランスの自治をしていました。ファリサイ派はユダヤ教を厳格に守るグループ、そしてヘロデ派というのはユダヤの王様の側で、これはローマに取り入ってうまく渡り歩いている傀儡政権というかユダヤ教からすれば裏切り者ともいえる人たちでしょう。

その二者が一緒にイエス様のところに来たのです。そしてわざわざこういいます。「あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです」と。普段は仲が良くない二者なのに、イエス様を困らせるために手を結んだのでしょう。敵の敵は味方ということかもしれません。

そして、どちらの肩を持っても問題になるようなむつかしい質問をします。質問はこうでした。「皇帝に税金を納めるのは、ユダヤ教の教えにかなっているか?」というのです。当時人々は、ユダヤの共同体や神殿にも税や供え物をし、支配者のローマにも税金を納めねばならず、苦しんでいました。

イエス様は彼らの真意にすぐ気づきました。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか」と嘆きます。そして、こう答えて彼らをうならせ、黙らせるのです。税金を納める時に使う硬貨を持ってこさせ、そこにある肖像を見せよといわれます。それはローマの硬貨でしたから、彼らの抑圧者ローマ皇帝の肖像と銘が刻印されています。それなら、「皇帝の物は皇帝に返しなさい」と。

 

3.  振り返り 

これを聞いて彼らは黙りました。私たちも、「なるほど、うまいことを言う!」とばかりにイエス様の名答に胸をなでおろし、すっきりするかもしれません。

禅問答で笑い、うなるように。または、大岡裁きを聞いてスッキリするように感じたかもしれません。

でも、これで終わってはいけません。こう続いているからです。「神の物は神に返しなさい」と。これを聞いて、神様にいただいた恵みへの感謝としての献金や捧げものを思い出し、「そうですね、税金を払うように、教会のことも大切にしなければ」と思うかもしれません。しかし、それでもイエス様の大切な問いかけは届いていないかもしれません。

それは、「皇帝の物は皇帝に、神の物は神に」という言葉の続きに、私は自分に問いかける声を聴いたのです。私の持ち物で「皇帝の物、神の物」を仕分けするだけでよいのか?と思えたのです。

今の私たちで言えば、皇帝のものというのは「この世の国との関係も大切にすること」と考えてもよいでしょう。そしてイエス様の言われた続きのはなしは、「しかし、神様のこともきちんとしなさい」ということだけでよいのかということです。

「皇帝の物は皇帝に返す」ということと、「神の物は神に返しましょう」という視点で、自分の目の前のものを仕分けしていって、神様のことを大切にすることは本当に大切なことでしょう。それは、神様を大切にして、人を愛しゆるすという人間関係にも波及します。しかし、自分がすべての物のごとの外側にいて、「この世のもの」と「神様のもの」と分けている自分は何者かと思わされたのです。そもそも、客観的に見ているだけではなくて、「自分は誰のもの?という」自分への問いかけを聞き取らねばならないと思わされました。

 

4、勧め 

今週は出張で委員会に出席したついでに、いくつか教会を回り、視察したり面談したりもしてきました。焼津教会の牧師とも教会の手続きのことでお会いしました。私も久しぶりの教会で、外から写真を撮りましたが、教会の掲示板に「あなたは誰のもの?」と私と同じ説教題が掲げてあり、意気投合しました。自分は聖書をしっているとか、頑張っているというだけではなくて、本当に神様のものになれているか?」そこが大切なイエス様のメッセージだよと、話が盛り上がったのでした。

私は、物事を目の前に置いて客観的に仕分けをしているだけか(それもとても大切ですが)、自分が神様と人を大切にして生きているか、そのことを反省させられたのです。今週も、神さまと一緒に、そして人々と共に愛と平和の命を生きていきましょう。


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