2020年6月27日土曜日

週報・説教 20200628






聖書の学び 今週の聖書の言葉

「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」。
(新約聖書 マタイによる福音書10章40-42節)


説教(解説) 「一杯の冷たい水」   徳弘浩隆師
1. 導入
梅雨になりましたが、真夏日のような暑い日もあります。それかと思うと急に雨で涼しい日もあり、体調管理が難しいですね。
私は新型コロナのためにしばらく教会の集会ができない期間、教会の建物や敷地のメンテナンス、草刈りなどを順番にしていました。礼拝の準備やインターネットでの中継、説教をあらかじめ書き込んだ週報の作成、そしてご希望を受けてCDの録音とコピー、電話やメイルでの連絡、お手紙の郵送などもしていましたが、集会がないのと出かけられないのもあり、空いた時間に気になっていたところの修理やペンキ塗りなどもしました。草刈りの道具を買うついでに、少し野菜の苗や種を買ってみて、牧師館の裏庭に飢えてみたりもしました。優雅に過ごすというよりも、このウイルス蔓延は、人間が自然破壊をしすぎたのも一つの原因とのことを聞き、ささやかですが自分でも自然に触れ、環境を大切にする試みをしてみようと思ったからです。エアコンだけに頼るのもやめて、網戸を張り替えたり、扇風機やベランダで過ごすと意外と心地よいことも学びました。
毎日、夕刻に草刈りと水やりも続けています。今回教会の境界線のところの枯れた木の代わりにオリーブを買ってきて植えてみたり、棕櫚主日に買ってきた棕櫚が枯れそうだったので敷地に植えてみたりもしました。草木が育ち、オリーブもさっそく実ができたり、ミニトマトが収穫できると嬉しいものですね。
今までスイッチ一つで環境をコントロールし、簡単便利な買い物や冷凍野菜さえも使うことがありましたが、身近な環境保護について反省もさせられました。
植物は水が大切です。そして、汗を流して仕事をした後は一杯の冷たい水がとてもおいしく感じました。これからは、熱中症も気を付けながらマスクも使っていかねばなりません。意識的に水も飲んで体調を管理していきましょう。
さて、今日の聖書の言葉は、「冷たい水一杯」の大切さが書かれています。しかしこれは、熱中症対策でも、野菜や木の世話の話でもありません。今日の神様のメッセージを聞いていきましょう。

2. 聖書
「冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」とありますから、人にやさしくし、気遣ってあげて、水を差しだすことの大切さ、思いやりや愛の大切さをイエス様は説いているのかと思ってしまいます。「誰にでも優しくしてあげましょうね」というお話で終わってしまうかもしれません。
しかし、そうではありません。その前の文章が大切です。「わたしの弟子だという理由で」とその行動の理由、動機が限定されているからです。
そして、その前にはこうあります。「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。」
それが意味することは、預言者を確かに預言者として、正しいものを確かに正しいものとして受け入れることが大切だということです。逆に言うと、現実の社会、生き方の中では、それが難しいということも意味しています。

3. 振り返り
いったいどういうことでしょうか?預言者の言うことは、大切だから聞かねばと思うでしょう。正しい人の話はもっともな話だから聞こうと思うでしょう。しかし、私たちの現実を振り返りましょう。そうばかりではない、もっと複雑でドロドロした中を生きているということです。
私たちは、自分に都合の良い話を喜びます。神様の裁きや将来の苦労を聞くよりも、神様の赦しや将来の安定・問題のすぐ解決することを好みます。耳の痛い話ではなく、心に心地よく優しい話を聞きたがるからです。
それは、今日の旧約聖書の、有名な預言者エレミヤの話も昔の出来事として伝えています。預言者と偽預言者の戦いが描かれています。預言者というのは、将来を「予言」するだけではなくて、神様のメッセージを「預」かり人々に語る使命があります。
当時、国が滅びかけて、他の国に奴隷のように移住させられていたユダヤ人たちは苦労して生きていました。それは、彼らが神様の言うことを聞かずに宗教的にも社会的にも乱れていたので、反省し悔い改めるために神様は他国を用いて懲らしめ教えようとしていたのです。その神様の厳しい裁きを訴えていたエレミヤに対して、ハナンヤという預言者は「もうすぐにでも問題が解決する」と説き、対立していました。人々はハナンヤの話の方を好みました。エレミヤはわかってもらえずに苦労しました。しかし歴史は、エレミヤが正しかったということを証明していきます。
国が滅んで行き、町が荒れていくことになっていきます。ユダヤ人たちはその苦労の中で、反省をし、神様にお詫びし、神様の言葉を大切にして生きていくように、ユダヤ教という宗教が再度明確に整えられていきます。その後、神様にゆるされて、解放されて、元の国に帰っていきます。
つまり、厳しいことを言う預言者でも、正しい人だと受け入れて、耳の痛いことも聞いて神様に帰っていくことが大切だということです。そうすれば、問題は解決していく。それを悟らせるために神様はわざと苦労の道を歩ませる時があるのです。
イエス・キリストの言葉も、やさしい赦しの言葉だけではなくて、今までの不純な生き方と決別をして、神様に従い、隣人を愛し大切にすることを要求するときもあります。
問題は、これに私たちがどう対応するかということです。「キリストの弟子を受け入れるのは、キリストを受け入れることであり、キリストを受け入れるということは、キリストを遣わされた神様を受け入れるということだ」とイエス様は今日説明しているからです。
そして、キリストの弟子をそうだと受け入れたうえで、「冷たい水一杯でも飲ませてくれるなら」という話なのです。

4. 勧め
ただ、「人にやさしくしましょう」という話ではありませんでした。目の前の苦しい難しい問題があっても、神様のくださった試練として理解し、逃げずにそこから学び、生活を改めていく人には、解決ともっと大きな祝福があります。神様の罰が当たったとか、罰を受けているというのではありません。苦難を通して、人を悔い改めと成長へと導いておられるのです。そう理解したうえで、その方を受け入れることです。悔い改めと成長がなければ、苦難はただの苦難です。苦しいことがあっても、ちょっとだけ祈ったらすぐに解決するという間違った希望を持っていては、いつまでたっても解決しませんし、成長もしません。
あなたはどんな目の前の問題を見ていますか?私たちは、どんな問題で苦しんでいるでしょうか?
暑い日が続くかもしれません。冷たい水でのどを潤すとき、今日の聖書の言葉を思い出しましょう。神様を大切にし、人を大切にする信仰と愛のある生き方をするときに、祝福された生活があります。それを取り戻すために、ひと時の苦労や苦しみを味合わされる時もあるからです。それをきちんと受け入れて、心の中に飲み込んでいきましょう。苦労から学び、反省し、生き方を変え、成長していきましょう。
神様の祝福がありますように。

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