2020年4月22日水曜日

週報・説教 20200426 復活節第3主日









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日本福音ルーテル 大垣教会・岐阜教会 共通週報 

大垣教会 〒503-0015 大垣市林町7-141   ☎0584-78-1580

岐阜教会 〒502-0867 岐阜市鷺山南21-43 ☎058-231-7897

牧師 徳弘浩隆 Tel:090-65384408 Mail:tokuhiro@jelc.or.jp



1. 初めの歌 教団(大垣)61 かがやくみとのよ / 教会(岐阜)188 わがたま喜び

2. み名による祝福 式文 p.1

3. 罪の告白の勧め 式文 p.1

4. 罪の告白 式文 p.1

5. 赦しの祈願祝福 式文 p.1

6. キリエ 式文 p.1

7. 特別の祈り

神様。御子はパンを裂くことによってあらゆる弟子たちにご自身を知らせてくださいます。贖いの働きをされる主イエスを見ることができるように、私たちの信仰の目を開いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

8. 聖書朗読

第1朗読 使徒言行録 2:14a&36~41(新215)

第2朗読 1 ペトロ 1:17~23(新429)

福 音 書 ルカ 24:13~35(新160)

9. 説教 「エマオの途上」  徳弘浩隆牧師

10. 信仰の告白 式文 p.2 使徒信条

11. 献金 主に捧げましょう

12. 献金の祈り 式文 p.2

13. 主の祈り 式文 p.2

14. 終わりの祈り -式文の祈りか、祈祷文②、祈祷文③、または自分の祈りでも

15. 終わりの歌 教団(大垣)228 ガリラヤの風 / 教会(岐阜)290 ガリラヤの風

16. 黙祷


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説教 エマオの途上

1. 導入

今日の聖書の話は、有名な「エマオの途上」のお話しです。有名な絵画もあり、皆さんも一度はご覧になったことがあるでしょう。

緑の綺麗な木漏れ日、向こうに見える雲間からの青空。語らいあいながら歩く三人。のどかで、すがすがしい空気、素敵な雰囲気の絵に見えます。私も、子どものころ、母に見せられたこの絵を見て、そんな気持ちになったのを覚えています。

しかしどうでしょう。実は、彼らはそんなのんびりした旅ではありませんでした。どうやらそれは、恐れのなかで、エルサレムから自分の家に逃げていく最中だったようです。キリスト教絵画の描き出す風景と、そこから得る先入観とは怖いものですね。

この三人には何が起こったのでしょうか。そしてそれは、今を生きている私たちとどういう関係があるのでしょうか。今日の神様のメッセージは何でしょうか?一緒に聞いていきましょう。

2. 聖書

 復活したイエス様に出会った弟子たちは、喜びはしたけれど、ずっと喜んで希望を見ていたわけではありませんでした。先週のトマスの話でもそうでした。そのところの中国語の聖書では、こう書かれているのを見つけてびっくりしたことがあります。「門徒又驚又喜、半信半疑」。弟子たちの気持ちを見事に表していて、中国語ながら一言で納得できる言い回しに驚きます。「門徒」という呼び方も、浄土真宗のようで興味深いですね。

 さて、このように驚き喜びながらも、半信半疑であった弟子たち。そして、「イエスの遺体を墓から盗んで、復活したというデマを流している」とも疑われ、ますます、部屋に閉じこもってカギをかけて息をひそめてもいたのです。

 そしてついに、恐怖から逃げ出したくなって、二人はエルサレムの町を出ました。向かった先が10キロほど離れているエマオだったのです。

 こう聖書を深読みしていくと、この風景は決して素敵な田園風景でもなく、すがすがしい空気でもなかったはずです。いわば、「人目を忍んで、夜逃げ?をして、逃避行の最中」だったからです。

 彼らは道である人と出会い、道々、エルサレムでの出来事を問われ、説明しました。しかしその口ぶりでは、かれらはイエス様の復活を半信半疑ではなく、信じていなかったようです。イエス様は「ああ、物分かりが悪いもの。心が鈍いもの。預言者たちの言葉を信じられない者」と、嘆かれますが、まだわかりません。二人はエマオについたので旅は終わるところでしたが、イエス様はなおも先に行かれる様子だったので、二人が無理に引き留めて泊ってもらったという事です。そして、食卓について、祈ってパンを分けてもらったときに、その人がイエス様だったと気が付いたという事でした。

3. 振り返り

 私たちの人生はどうでしょうか?何かから逃げ出したいことがありませんか?逃げて隠れて、息をひそめて。しかし、もう息が詰まってしまって、いっそ逃げ出したくなる時があります。この二人がそうだったように、人生に失敗して、自分の家に、故郷に帰りたくなることもあるでしょう。

 エマオへの道のりは、決して格好の良い素敵な旅ではなく、できれば、誰にも見つけてほしくない。うつむいて逃げるような旅だったでしょう。

 良いこともあった、しかし、悪いこともあった。半分信じられる気もする、しかし、半分は信じられない。もう、自分でもどうしていいかわからない。そんな気持ちは、誰でも、人生で経験したことがあるでしょう。

 エマオに逃げ帰る二人は、自分の姿なのです。罪びとの私の姿に違いありません。

 家に帰ればなんとかなる。一度見た夢を捨てて、もう一度、実家でやり直そう。人生では、それがいいこともあります。いったん退却。または、目標を再設定して、気分を変えてやり直すこと。しかし、神様との関係では、どうでしょうか?

 神様は、そんな私たちにどうされたでしょうか。正面から立ちはだかって止めるのでもなく、後ろから追いかけてきて捕まえるのでもありませんでした。さあ、逃げないで、回れ右をして、戻りなさい。大丈夫だから!と無理強いをしたのでもありませんでした。

 気が付いたらそばにいてくれ、話を聞いてくれ、説明してくれました。

 何かを感じて、無理強いして一緒にいてもらったら、食事のときに「その人」がイエス様だと気付いた彼らです。急に見えなくなったイエス様ですが、彼らは語り合います。「道で話しておられるとき、聖書を説明してくださったとき、私たちの心が燃えたではないか」と。

4. 勧め

 今私たちは、未知の感染症の流行を防ぐために、皆、家にこもっています。逃げ出したくなる時もあります。息苦しくて、何もかも、いやになるときもあります。普段と違う生活に、戸惑い、やがて、居心地の悪さや怒り、心の不安定を感じることもあるでしょう。

 やはり私たちは、互いは互いを必要としています。家にこもり、仕事も制限し、合う人も制限するのは、本来人間がそう作られていないから、社会的な生き物だから、息苦しくて仕方がないのでしょう。体調が悪くなることもあるでしょう。

辛い時は辛い、悲しい時は悲しいと、言葉にした方がよいでしょう。誰かがそばに来てくれて、話を聞いてくれたらいいでしょう。ただ励ますだけや、命令するのではなくです。キリストが、エマオに向かう二人に、そうされたようにです。

 私も、いろいろなことに対応しなければならず、結構忙しい日々でした。教会のことだけではなくて、教区の仕事も増え、教区のあちらこちらと、また東京の事務局とも、連絡をしたり、調整をしたり。しかし、自分の心の中の空虚さ、変化を客観的に感じました。「何か違う。このままではきっと変になる」と落ち着きません。人と出会い、何かをして差し上げて、喜んでもらえたら、それで元気をもらう。そんな生き方になれていたからかもしれません。空虚さ、それは危機でもあります。

 病気の感染を恐れて相談をしてくださる方、病院へ一緒に行くことになった方をお連れして病院へ行きました。自分も不調が重なり、恐る恐る数度病院へ行きました。何人かの方に順にメッセージやメイル、電話を差し上げてお話ししました。日本で働く外国人の方々が、心細く、生活も苦しくなり始めていると聞き、会いに行き話しました。その時、互いに、心が燃え、生き生きとするのを感じました。それを喜び合いました。

 今日のメッセージはこうです。

私たちが互いに、思いやり、助け合う時に、やさしさや愛が心にしみるように、神様の愛が、キリストが、そこにおられます。

 この感染症の危機を通して、人類が悔い改め、学び、変わらねばならないのは、このことだと、思わされています。

困っている人、逃げ出したくなる人に、そっと歩み寄って、話を聞き、助け、心が燃えたように、私たちも、助け合いましょう。キリストの愛を生きるものになりましょう。祝福を祈ります。

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水曜コラム 

ウイークデイの聖書の集会と祈りの会の代わりにコラム開始。日曜日に読んでもいいですが…

 エマオに向かっていた二人は、復活されたキリストに会いました。彼らは、「その人」と道々話しているときに、聖書を説明してくれた時に、「心が燃えた」のです。そして、パンを裂いてくださったときに、「その人」がイエス様だとわかりました。

これは、昔の出来事? いえ、毎週の私たちの日曜日の出来事でもあります。聖書の説明を聞くのは礼拝の中の「み言葉と説教」、パンを裂いてくださったときは礼拝の中の「聖餐式」。説教と聖餐式で、み言葉が、福音が正しく述べられているところが「教会」という事になります。さて礼拝が終わると、そのまま家に帰りますが、この弟子たちは、家に逃げ帰るときにこれらの出来事を体験しました。復活のイエス様に出会ったのです。その後彼らはどうしたでしょうか? 家にとどまり続けたのではありません。「時を移さず出発してエルサレムに戻」り、11人とその仲間の弟子が集まっているところに合流し、エマオで起こった「次第を話した」のです。 復活のイエス様に出会った彼らは、逃げていたところから元の場所に勇気を持って戻り、イエス様に出会ったことを「証し」しました。キリスト者の生き方はここにあります。逃げたり、失敗したりもあります。しかし、本当に主に出会い、改心し、証をするものに変えられていきました。

キリストに出会った私達の生き方はどうですか?説教をしたり、奉仕をしたり、他にどんなことができますか?


子ども コーナー (おとなもどうぞ)

イエス様が りょこうしている 弟子たちに 会えるようにしてください。 

聖書にはこう書いてあります:

ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、 この一切の出来事について話し合っていた。 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 

   今年度の主題  「豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15:4)    

 

お知らせ1  

ご心配や、ご不安なことがあれば、教会員同士や、牧師までご遠慮なくお電話ください。先週も教会メンバーからの、コロナ感染の心配電話や、病院通いのために相談を受けて、病院にご一緒したりもしました。心配は心配と口に出されると、少し軽くなります。一緒に祈って、相談に乗ってくれる教会の仲間や、牧師がいますから、ご連絡ください。

教会では、連絡が取りやすいように「相互牧会グループ」に分けて、お世話係を決めました。何かあればご相談ください。週報は、先週は全員にお送りしましたが、今週からは牧師のメイルを受け取るだけの方もいらっしゃいます。メイルだけで結構な方は、牧師までメイルアドレスをお知らせください。数人から連絡をいただきました。

それぞれの仕事やご家庭でも、感染予防に努めてください。市中感染も始まっていますから、ご本人や家族に感染者が出た場合も、ご心配なく牧師までお知らせください。祈りましょう。そして、対策を一緒にいたしましょう。

心も体も、元気に過ごしましょう。在宅勤務や外出自粛で気持ちも暗くなることがあります。リズムある生活と、ラジオ体操もいいですよ。Youtubeで見ることができます。

NHKラジオ体操 :https://www.youtube.com/watch?v=feSVtC1BSeQ

ちょっと面白い パイプオルガンでラジオ体操:https://youtu.be/uMT3-rJa0jU


お知らせ2 

本日12.30-13.00に、「礼拝後の交流の時間」を試験的にLINE上で持ちます。良ければ徳弘牧師につないでみてください。入場・退場自由。希望の参加者みんなで顔を見ながら、少し挨拶しませんか?礼拝後の、交流の時間がなくて寂しいという声から。

東海教区常議員会が4月28日(火)Web会議。各教会の取組みや経済的影響、教区からの補助対策も協議します。

7月から毎月ある教区長会議(人事委員会)も、安全と経費節減のためすべてWeb会議となりました。

礼拝は3つの方法で。(1)週報と式文を読みながらの家庭礼拝以外に、Web礼拝もしています。(2)Facebookで徳弘牧師のアカウントから、(3)鈴木兄のご奉仕でYoutubeからも同時に視聴しながら参加できます。それぞれ過去にネット上のトラブルもありましたので、二つの方法でお送りしています。トラブルがあれば、他の方法をお試しください。


これらすべては、ここからどうぞ。https://officepastorgabriel.blogspot.com/

次週の礼拝 05月03日 復活節第4主日(白)  

聖書日課 

第1朗読 使徒言行録 2:42-47 (新)

第2朗読 1 ペトロ 2:19-25  (新)

福 音 書 ヨハ 10:1-10 (新)

説教 「キリストは救いの門」 徳弘牧師   


聖書解説ミニ知識:風の谷より

復活の礼拝

 本当にイエス様の復活の礼拝は、こちらから出かけていくものではないようです。

主が復活したと聞いた二人の弟子たちはユダヤ人の襲撃を受けるかもしれないと恐れ、エルサレムを後にし、近郊の町へと逃れようとしました。この二人、クレオパとマリヤという夫婦だと言われていたりもします。そして向かった先が、エルサレムにごく近いエマオという村でした。温泉という意味の名前です。ここに向かったのは、それがこの夫婦の家だったという話です。道々話をしたり、同行者にその信仰を窘(たしな)めらたりしながら彼らの家に着き、先に行こうとする同行者を無理に引き留めると、食事の席でパンを割く様子から、イエス様と分かったと言います。それから心燃やされてエルサレムへ戻っていきました。

 イエス様がパンを割き、それを頂く、まさに聖餐式、ミサです。さらにこのミサはこちらから出て行って得たのではなく、向こうからやってきたのです。復活の礼拝はこういうものです。シャローム。(HM)


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