2020年4月11日土曜日

20200410受苦日礼拝 説教原稿「わが神、なにゆえ」


20200410受苦日礼拝 わが神、わが神、なにゆえ

1.   導入
(ア)今日は、最初の讃美歌ではなくて、賛美唱を一緒に読みました。詩編はもともと賛美歌のようにメロディーがあり歌っていたもので、礼拝の最初はこの賛美唱でもよく、賛美歌でもよいということになっています。
(イ)長い、長い、賛美唱でしたが、こういう日にしか一緒に読むことがないかもしれません。聞きなれた言葉から始まります。それは、イエス様の十字架上の言葉といわれる「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか…」という言葉、これは、マルコの15.34、マタイ27.46に記されています。
(ウ)マルコの「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」はイエス様が日常用いておられたアラム語です。マタイはそれをヘブライ語に訳し変えました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」。と。そこに居合わせた人たちの中では、これを聞いて「エリアを呼んでいるんだ」という者もいた、両方に記されています。
(エ)エリアは偉大な預言者。四旬節に入る前の日曜日、イエス様が山に登って祈っておられると、モーセとエリアが現れて一緒に話をしていた、と登場します。モーセが律法、エリアが預言者の代表。これは、ユダヤ人にとって聖書そのものでした。
(オ)マラキ書に3.23節には、「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす」と預言されていました。生きたまま店に挙げられた偉大な預言者が、「その日」に来ると信じていました。
(カ)イエス様の十字架上の死をもって、すべての夢が崩れ去ろうかというときに、イエス様の口から出たその言葉を聞いて、「エリアを呼んでいるんだ、そうだ。そうならば、今、神の救いが、奇跡が起こるに違いない」と思ったのでしょう。
(キ)しかし、何も起こりませんでした。
2.   聖書
(ア)ユダヤの民は、歴史に翻弄されながら、神の救いを待って、生きてきました。
(イ)イエス様が素晴らしい教えをし、人を癒し、奇跡もあり、「この人こそメシア、国も救い問題を全部解決してくれる人に違いない」と思っていました。
(ウ)しかし、論争があり、逮捕され、人々は逃げ去り、幾つかの「ここで何とかなるに違いない」という時にも何も起こらず、ついに十字架にかけられました。「それでも、何かあるに違いない」と思っても何もありません。十字架上で口を開いて何かを放された、その言葉を聞いて、「エリアを呼んでいるんだ。なら、きっと、いよいよ、神の奇跡が起こるに違いない」と期待したのでしょう。
(エ)しかし、何も起こりません。
3.   振り返り
(ア)「きっと何とかなる、まだ大丈夫」「状況はどんどん悪くなってきたけれど、きっと、持ち直すはずだ」「神様がびっくりするような、どんでん返しを準備しているに違いない」と思うことがあります。試練や苦しみが続くと、です。
(イ)今の私たちはそんな中を生きています。毎日夕方になると「今日は何人だろう?」と思いませんか?「ああ、少し良くなってきた」と思ったら次の日にもっと増えて、「ああ、いつまで続くんだろう」と思って生きてきました。
4.   救いは?
(ア)今日の福音書の最後の言葉はこうでした。「イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」
(イ)どこに救いがあったのでしょうか。何も起こりませんでした。
(ウ)しかし、答えは、イエス様がその前に言われた言葉、「わが神、わが神」の中身あります。
(エ)人は、目の前で問題が解決して、自分が助かればよかった、と思います。
(オ)しかし、神様のご計画は違いました。
(カ)神の一人後はあっけなく、息を引き取りました。そこに何が見えたでしょう。
(キ)今日一緒に読んだ詩編22篇、最後はこう終わるからです。
   まずはこうでした:私は虫けら、とても人とは言えない。人間の屑、民の恥。苦難が近づき助けてくれる者はいない。犬どもが取り囲み、手足を砕く、着物を分け衣を取ろうとしてくじを引きく、
   しかし終わりはこうです:わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来たるべき代に語り伝え、成し遂げてくださった恵みのみ業を代々の民に必ず告げ知らせる。
(ク)人々は目の前の奇跡を待ちましたが、イエス様は無残な死を遂げました。最後の希望まで消え、絶望は最大限になりました。
(ケ)しかし、それは、神様の不思議な計画だったのです。
(コ)神からさえも見捨てられたような絶望の状況を自ら体験し、私達すべての苦しみと罪を背負われた方、それがイエス・キリストです。
(サ)この感染病の不安と絶望の状況にある私達には、今日こそ、少しそれを理解することができるでしょう。そして、これが終わりではなかったことを、私達は見ることになります。そこに希望を見つけることになります。
(シ)この方が私たちの代わりに死んでくださったことによって、私たちに、心からの悔い改めと赦しの道が開けたのです。
(ス)そして、希望の復活が預言され、約束されていました。これを日曜日に私たちは見ることになります。
5.   勧め
(ア)今こそ、私たちは、悔い改めをし、目の前の問題解決だけではなくて、その向こうの神様の本当の救い希望に目を向けるように仕向けられています。
(イ)世界がこの苦しみによって、悔い改めと、生まれ変わりに導かれ、愛と平和が少しでも実現されていくことになりますように。
(ウ)そのために、率先して私たちが、教会が歩んでいけますように。祈りましょう。

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