2023年9月24日日曜日

説教メッセージ 20230924

聖書の言葉 マタイ 20: 1~16 (新38)

1「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 2主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 3また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 4『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 5それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 6五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 7彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 8夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 9そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 11それで、受け取ると、主人に不平を言った。 12『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 13主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 15自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 16このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

説教 「彼に1デナリオン、私にも1デナリオン」  徳弘浩隆牧師

1,「 聞きにくいコトですが…」

ここ二週間くらいに二度、面接の練習をしてあげました。急に頼まれて、夜9時過ぎに1時間半ほど、インターネットを使っての練習でした。頼んできたのは、日本語を教え教会にも時々来てくれているベトナム人の若い女性です。一緒に日本語を勉強しているインドネシア人の女性も、一緒に出てくれました。彼女の方が長く日本にいるので少し上手で、一緒に学びながら、時々助けてくれました。

面接というのは、日本で技能実習生で働いてきたけれど3年経って特定技能労働者の試験に合格し、新しい会社で働きたいからという理由です。今までの仕事、変わりたい理由、この業種での経験などを日本語で聞いて、答えるために日本語の間違えや発音を直してあげました。私は面接官になり切って、「最後にあなたの方から、何か質問はありませんか?」と聞くと、普段は控えめな彼女はこう聞きました。「毎年サラリーのアップやボーナスはありますか?」と。その仲良しのインドネシアの女性は笑いながら、「それ、すぐ聞かないほうがいいです」とアドバイスしてくれました。面接の練習をしている女性もはずかしそうに大笑いしました。私も笑いながら、「大事なことだから聞いてもいいと思うよ。でも、先に残業があるかとかを聞いて、その後に、『聞きにくいコトですが』と前置きをしてサラリーのアップのことを聞いたほうが印象がいいかもしれませんね」とアドバイスしました。でも、厳しい環境で仕事をし、半ばだまされたりもすることがあるという、まだ問題だらけの日本の外国人労働者の制度ですから、サラリーのことはきちんと聞いたほうが良いでしょう。そのために、私も支援しているつもりです。

さて、今日の聖書でも、給料のことが話題になっていますね。いったい、神様と私たちの間でどんな関係があるのでしょうか。一緒に学んでいきましょう。

2,聖書 

聖書を簡単に復習しましょう。夜明け前に雇われた人、9時ごろ何もしないで広場にいるところを雇われた人、12時ごろ、また3時ごろ同じように雇われた人。そして、最後は5時ごろ広場に立っている人たちに声をかけると、だれも雇ってくれないから」、と働いていないことに嘆き不満を言う人も雇われました。そして、夕刻給料をもらうときに、最後に来た人から順に1デナリオンずつもらう列の後ろにいて、「自分は朝から働いたからさぞかしもっと弾んでもらえるに違いない」と期待したのに自分にも一デナリオンだった、という状況です。

そこで、「天の国はこういうものだ」と言われると、「なんと不公平な、働き者がバカを見る所だ」と思うかもしれません。そのように私たちの心に疑問がわくという事がキリストの話のポイントです。それに対する答えをどう聞き取るべきでしょうか。

「当然不平を言ってもよい状況だけれど、あなたには見えていないこと、気付いていないことがありはしないか?」と私たちに問いかけます。

色々な解釈が試みられますが、本質はひとつ。神様の大きな愛、そして人間のおごり高ぶりです。人が赦され救われるのは、その人がどれだけ努力したかではなく、神様の側の一方的な大きな愛だという事。そこには、理屈や計算はなく、ただ、神様に招かれたら従う事だ、という事です。

悔い改めて、神様に従っていくことは、長さでも、努力の激しさでもなく、素直に従っていくことが大切です。また、働いた成果としていただく給与は、一デナリオン・つまり当時の一日分の賃金という事ですから、頑張って働いたら残りの日々はのんびり何をしてもよいという事ではなく、毎日の神様との関係が大切という事も教えられます。「きょうも、日ごとのパンを与えたまえ」といのる主の祈りもの言葉も思い出します。

3,振り返り 

きょうの聖書のキリストのたとえは、社会的な労働条件や労使交渉の話ではありません。「天の国は次のようにたとえられる」とはじまっているからです。そして「天の国」とは、「死後の天国」の事ではなくて、「神様の支配のあるところ」という意味で、神様と一緒に生きる人生や社会のことだと、何度も確認してきました。

神様と一緒に生きていない、天の国ではないと言える生き方は、どうでしょうか。私たちの心の奥を見ると、わかります。例えばこうです。

「自分が恵まれるとうれしい、ひとも恵まれると恨めしい、自分のうれしさが減る感じがする。」

「彼は1万円、私にも一万円、でも彼は1時間、私は8時間も働いたのに。雇い主も、彼もゆるせない。」

「今まで自分はこれだけ頑張ってきたのに、彼は今頃やってきてズルい!良いとこ取りはダメだ。」

でも、立場が逆だとどうでしょうか。

「あの人は1万円、私にも1万円、なんと心が広い方だろう。自分にはそんな価値はないのに。ありがたいことだ。」

実は、その気持ちが、私たちキリスト者の気持ちのはずです。「自分は、自己中心的で、先ほど考えたように、ひとの喜びを一緒に喜んであげられない狭い心、罪深い心の持ち主だ。思い通りに行かないと腹が立つ。だけれど、自分の努力ではなく、神様の大きな愛で、あの人も、この私も赦されたのだ。ありがたいことだ。」

仕事の関係では、時間給や能力給という事もあるでしょう。不当な扱いを受けたり、賃金格差が多くあったり、だまされたりするのを認めてゆるすことをキリストは説いているのではありません。そんなことがあれば、私たちは社会正義のために、その人を助け、一緒に交渉したり、社会の不正義を正す声を上げることもします。日本語がわからないだろうからと、うやむやにされ騙されたりしないように、面接できちんと聞いたほうがいいことですよと、アドバイスもします。

しかし、神様から罪深い自分が赦され、生かされるというのは、時間給でも能力給でもありません。それは、神の愛。それも軽々しい愛ではなく、大きな犠牲を払っての出来事。それが、キリストの十字架でした。

4,勧め 

そして、神様との関係は、報酬だけではなく、働きに出ること自体が喜びという事も忘れずにいたいものです。毎日、神様と一緒に生きせてもらい、神様の愛と平和の働きに参与させていただく。毎日恵みをいただく。時には罪を犯し、人を傷つけることもあるけれど、そのたびに懺悔し赦していただき、また人間どおしでも赦し赦され、助け合う関係を持って生きていくこと、それが私たちの神様との生活、つまり信仰生活です。これからも、聖書を学んで、一緒に神の愛を知って、その中を、生きていきましょう。

 

牧師コラム・今日の写真 人の目には偶然・神の目では必然!?

 今日の写真は、先週の偶然の出会いの写真です。

 一つは、こうです。先週礼拝後名古屋の今池のルーテル教会であった会議、高蔵寺教会の山下さんといっしょに行き、会議後、電車で帰る山下さんからLineがはいりました。高蔵寺のメンバーのご主人とアデム君のキッチントラックに出会ったというのです。私は復活教会の牧師館に帰り、そのままもう一度今池に行きました。きれいなケバブのキッチントラック。ケバブもおいしくいただきました。翌日日本の外国人宣教の懇談があり名古屋に来ていた元ペルーとメベトナムから一時帰国中の宣教者も連れていき食事を楽しみました。このケバブは11月12日の高蔵寺教会のるうてるフェスタの目玉の一つでもあります。

 もう一つは金曜日、健康診断が終わり少し街歩きをし、聖公会の聖マルコ教会前で写真を撮り立ち去ろうとすると後ろから呼び止める声。その教会の耐震工事の設計を担当している復活教会の山田さんでした。貴重な工事中の会堂の中も見せていただきました。カトリック、ルーテル、聖公会の三つの教会巡りの写真を撮ってみようと思い、偶然出会ったのです。神様は見ておられ、出合わせてくださいます。神様からすれば、それは偶然ではなく必然の意味のある出会いのはず。感謝ですね。


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