2023年1月14日土曜日

説教メッセージ 20230115

聖書の言葉 ヨハネ1:29~42

29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 30『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。 31わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」 32そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。 33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

35その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 36そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。 37二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。 38イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、 39イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。 40ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。 41彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。 42そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

説教 「世の罪を取り除くかた」 徳弘浩隆牧師

1,羊や魚の意味は?

今日の聖書は、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」という言葉が、キーワードになっています。実はこの言葉は、聖餐式の中でも歌う言葉ですね。「アグヌス・デイ」と題名がついていますが、これはそのままラテン語で「神の子羊」という意味です。

そう言えば、聖書にはよく羊や羊飼いの話が出てきますし、教会の絵画でも羊の絵やシンボルもあります。それらは、どんな意味を持っているのでしょうか?

そこで私が思い出すのが、10年位前のNHK番組のことです。夜TVをつけていて、何も見たい番組がないので、NHK教育の番組にするとちょうど、ビジネス英会話というのをやっていました。私はぼんやり見ていました。そして、驚いたのです!間違えを見つけたからです。番組の中でスキットという短いドラマがあって、会話を勉強するのですが、その時はオーストラリアに行ったビジネスマンが教会に入っていくというシーンでした。ステンドグラスを見て「きれいですねぇ」というと、現地の人が「そうでしょ。オーストラリアは羊をたくさん飼っている国だし、海に囲まれているから、羊や魚のデザインなんですよ」というからです。大学の先生の講師も、何も言わずそれを見ながら会話の説明をしました。

教会に来ていて長い皆さんなら「あれ?」と思われると思います。そしておそらく、「オーストラリアだからじゃなくて、世界中の教会には、羊や羊飼い、そして魚のシンボルのデザインがあるよ」と思われるでしょう。

私は勇気を出してNHKにメイルで投書をしました。「私はプロテスタントの教会の牧師をしていますが、あの説明は少し設定が間違えていると思います。オーストラリアの特産物を教会がステンドグラスにデザインしたのではなくて、世界中のキリスト教会によく描かれています。それは、聖書の中で、羊や魚が特別の意味を持っているからです。英語を勉強するには、その文化や宗教の背景も知ったほうが良いと思いますから、誤った情報を伝えることになるので、再放送では訂正されることをお勧めします。必要ならメイルのやり取りでもっとご説明します」と書きました。すると数日後返事が来ました。「おっしゃる通り、誤りでした。再放送の際はその部分をカットして放送することになりました。ありがとうございました」とのことでした。

カットして再放送ではなくて、間違えは間違えで説明したほうが良いし、次回テキストで説明すればもっと良いと思いました。再放送を見なくて誤った知識を持った人がたくさんいるし、残念だなと思いましたが、あまりしつこくしてもいけないと思い、それまでにしました。

さて、羊や魚やハトのデザインの意味はそれなりに知っていますが、「世の罪を取り除く神の小羊」について、一緒に学び、神様の呼びかけを聞いていきましょう。

2,聖書

 今年はマタイによる福音書を読み進む年ですが、先週は3章から、イエス様が洗礼を受けられたというところでした。そして今日は、ヨハネによる福音書ですがその後ともいえる話になっています。イエス様の洗礼の記事はありませんが、洗礼者ヨハネとの出会いが記されています。メシア・キリストを迎える準備のために罪の悔い改めの洗礼を授けていたヨハネと、そこに現れたイエス様。ヨハネはこの方を見て、来るべき方が来られたと、紹介します。そして自分のしている洗礼とは違う洗礼を授ける方と証します。その場では群衆に大きなことが起こったとは書かれませんが、「その翌日」にヨハネが弟子といた時にもう一度で会い、「見よ、神の子羊だ」というと、弟子たちのうち二人はヨハネの元を離れイエス様に従いました。ヨハネによれば、その一人アンデレが兄弟を連れて行きそのものもイエス様に従い、それがシモン・ペテロだったという事になります。

 さて、この「神の子羊」という言葉の意味を学ばねば、その深い意味はわかりません。それには三つの意味があると考えられます。

1) 旧約聖書の出エジプトの時の「過越の子羊」です。エジプトで奴隷状態で苦しんでいたユダヤ人たちがモーセを通して脱出し救い出されたときに、それを阻止するエジプト王から逃れるために神様は天使を送りユダヤ人以外の家庭の長男を殺すという事がありました。しかし、神を信じるユダヤの民は、子羊を屠って、その血を家の門柱と鴨居に塗り付け、裁きと滅びから救ってくれたのです。その混乱の中、彼らは脱出しました。

2) イザヤ書の後半に出てくる、「屠り場にひかれて行く子羊」、つまり神が送る救い主なる王は、苦難を受けるという預言で言われる子羊です。

3) そして、レビ記16章などの掟にある、「贖罪の日」にイスラエル人の罪を除くために子羊、雄羊、ヤギなどをささげ、また罪を背負わせて荒野に放つという習慣があったことです。

このようないくつかの意味を持った方が、メシアであるイエス様だと、ヨハネは言ったのです。あるいは、神によってそう言わされたと言えるかもしれません。

3,振り返り 

それを聞いて、ヨハネの弟子たちはどうしたでしょうか?イエス様に従ってきました。それを見てイエス様は問います。「何を求めているのか?」と。何かを教えてもらおうと知識や言葉を求めたのかもしれませんが、イエスアマの答えは、「来なさい、そうすればわかる」と同じ宿に泊まることになったと考えられています。そして、彼らは外観や知識ではない、イエス様に「出会った」のです。そしてアンデレは兄弟シモンを呼びに行き、彼も従う事になったというのが今日の聖書でした。

4,勧め

さて私たちはどうするでしょうか? 何を求めていたでしょうか?何を知ったでしょうか?知らなければ信仰は持てません。ですから、聖書やキリスト教を学ぶことが大切です。しかし、すべてを知って理解したら信仰を持とうとしていたなら、だれも持てません。人間の知恵や知識には限界があり、創造主なる神を「知識としては」完全に理解できないからです。

この方に従い、自分の人生に重ね合わせて祈り学ぶ中で、私たちは知識とは違う「安心」や、「この大きな方にお任せし生きていこう」という事になるのが、信仰だと思わされます。

実際、ここでイエス様に従っていった弟子たちも、失敗したり怒られたりしながら、イエス様と共に歩んでいきます。その方の本当の意味を知ったのは、十字架と復活のあとです。

この方は、イスラエルだけの罪を背負い身代わりに追放され、殺される方としてではなく、世の罪を取り除く方です。私も、あなたも、その中にいるのです。一緒にこの方について、歩いていきましょう。神様は、今日、そう呼び掛けておられます。

 


牧師コラム スケープゴート 

羊が犠牲にされたという話を読んで、思い出す言葉は、「スケープゴート」という言葉かもしれません。でも待てよ。ゴートは羊ではなくてヤギですね。漢字で書くと「羊」と「山羊」は似ていますが、性格や特性も違う動物です。ちょっと調べてみました。

「山羊(やぎ)」は、「ウシ科ヤギ亜科ヤギ属」。生態:山羊は山岳地帯など、高所で険しい地形を好みます。人間では容易に登ることのできない崖でも移動することができます。家畜としては最初期は肉を、そして次第に毛皮や乳を求められるようになり、現在に至ったようです。

「羊(ひつじ)」は、「ウシ科ヤギ亜科ヒツジ属」。生態:羊は群れを作りたがる性質があり、群れから離れることを嫌がります。そして群れのリーダーに付き従う傾向がみられます。乳、皮は山羊の方が優れているとされていましたが、羊には山羊には無い脂肪が多く蓄えられいたため、乾燥地域で生活をしていた当時の遊牧民には欠かせない存在になったと考えられています。

スケープゴート(英: scapegoat)は、「身代わり」「生贄(いけにえ)」などの意味合いを持つ聖書由来の用語。「贖罪(しょくざい)の山羊」等と訳される。現在の意味はこの宗教的な意味合いから転じて、不満や憎悪、責任を、直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁することでそれらの解消や収拾を図るといった場合の、その不満、憎悪、責任を転嫁された対象を指す。原義は聖書のレビ記16章において、贖罪の日に人々の苦難や行ってきた罪を負わせて荒野に放した山羊を指した。「贖罪の日」は、ヨム・キプルと呼ばれ現代でもユダヤ教では大切な祭日で、今年は今の私たちの暦で言うと9月25日とのことです。


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