2022年7月3日日曜日

説教メッセージ 20220703

今週の聖書の言葉 ルカ10: 1~11,16~20

10: 1その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 <中略>

17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

説教「一喜一憂ではなく、喜ぶべきこと」徳弘浩隆牧師

1.収穫は多いが…

岐阜にいるころから、家庭菜園を始めました。「自然に親しみたいので畑仕事」、というわけではありません。どんどん出てくる雑草の草刈りをしてもまた2週間後に元の木阿弥でまた草刈り、その繰り返しが嫌になったからです。どうせ汗をかいて草と格闘するなら、家庭菜園をしてみたら収穫もあって、一石二鳥と思いました。そしてあまりの暑さにエアコンの電気代もばかにならず、大きな日よけシートやすだれを買ってくるよりも、5月ころにゴーヤを植えれば、日陰になるし、7月からは収穫もあるし、一石3鳥です。

ゴーヤ、キュウリにミニトマトはうまくいきました。ピーマンとナスとスイカはだめでした。害虫対策などがむつかしいですね。今年はトウモロコシも植えてみたら甘くおいしいものができて、オオバとともに少しバラエティーが増えて、夏野菜の買い物が減り、地球環境と家計にも優しいと、喜んでいます。ミニトマトは岐阜にいるころの教会食堂のワンプレート・ランチ用にもして、ほとんどトマトを買わずに済みました。実ができ始めたころは毎回写真を撮って喜びましたが、ゴーヤやキュウリは二人暮らしには多すぎるくらいできて、妻がいろんなゴーヤ料理を試したり、キュウリは漬物にもしたり、近所に配ったりもしました。

今日の聖書は、「収穫」という言葉で何を表わしているのでしょうか?多い、少ないで一喜一憂しますが、そうではなくて、どうも違うことをイエス様は言われています。一緒に聖書のお話を聞いていきましょう。


2.聖書

今日の出来事は、先週の続きの場所です。先週は、「イエスさまの最後の時が近づいたのを悟って、エルサレムへの旅を始め、その時に弟子をあらかじめ派遣した」というところでした。サマリヤで受け入れられなかったのですがそれは異教色が強いところで仕方ないかもしれません。それの続きで今日は、「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」と話は進んでいきます。

イエス様は、弟子たちには行った先でのふるまい方を教えます。「この家に平和があるように」とあいさつをし、受け入れてくれるならそこにとどまり、食事や宿泊も世話になり、癒しと神の国を延べ伝えるよう、指示されます。もし、受け入れられなかったら、受けたものは足についた埃もすべて返して、ただ、「神の国が近づいたことを知れ」と広場で伝えなさいと言われました。そして「かの日」、つまり「主の日」には大きな裁きを受けることを説明されます。

そして、先週は受け入れられずに弟子たちが激怒したのですが、その続きの出来事では弟子たちはよろこんで帰ってきます。大きな収穫があったのでしょう。「お名前を使うと、悪霊さえも私たちに屈服します」と報告しています。それを聞いてイエス様はこう答えます。「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、私はあなた方に授けた」からだと。そしてこう話を結ばれます。「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と。

先週と今週で、イエス様の働きや福音を受け入れない人たちを責め・裁こうとする弟子を戒め、イエス様の名前を言うだけで屈服し受け入れた人々を見て喜ぶ弟子たちをも諭されました。受け入れないとしても、主の日に裁かれるから自分たちがそれをするのではない。受け入れてくれたとしても、自分の力ではなく神様からの力なのだし、喜んだり傲慢になったりしないで、むしろ、自分の名が天に記されることを喜びなさい、と言われました。


3.振り返り

わたしたちはどうですか?うれしいことが起こると、とても喜びます。しかし、思い通りにいかないと、怒ったり、人を責め裁こうとします。一喜一憂という言葉の通りです。

先週ブラジルから家族の介護もあって里帰りしていたサンパウロ教会のメンバーが私たちを訪ねてきてくれて、高蔵寺教会の牧師館のゲストルームに泊まり、礼拝にも参加されました。懐かしくて夜遅くまでおしゃべりし、久々に聖餐式もご一緒し、日本の教会員の方ともおしゃべりして交流できて、みんなにとってとてもうれしい日となりました。

それから日曜の午後は、牧師館の日よけ代わりのゴーヤを収穫し、トウモロコシの出来具合を見定めてもらって一つ採ってくれました。彼女は20代でブラジルに移民し、その後50年以上農業をされました。ブラジル人の労働者も雇って大きな農場をし、サンパウロで一番有名なラーメン店にも野菜を卸して顔のきく方でした。そんな方が、「先生、たくさん実が実ってきて、上手に畑をされていますねぇ」と褒めてくださいました。私はうれしくて、ちょっといい気になりました。しかしそのあと、こうも言われました。「今は、種や苗もよくできていて、誰が植えても奇麗に実ができるんですよねぇ」と。それをきいて、私は頭をかきました。「そうだそうだ、これは自分の力じゃないんだ」と思わされました。もっと言えば、この自然を作られ、雨を降らせ、日を照らせてくださる神様がおられてこその、収穫なのでした。なんと、人間は傲慢なのでしょう、と思い知らされました。

逆に、物事がうまくいかなくて落ち込むこともあります。しかしそれもまた、人間が傲慢な証拠ともいえるでしょう。何もかもできると思い、自然や生命までコントロールできると思ってしまう人間は、そうならない時に必要以上に落ち込むのです。人間の罪のゆえに、自ら互いに憎みあったり、愛のない自然開発で環境破壊のつけに苦しめられることがありますが、これは聖書の言葉を学び、本当の生き方に立ち戻っていかねばなりません。


4.勧め

本当に喜ぶべきことを教えられます。目の前の出来事で一喜一憂するのではなくて、神様の大きな恵みと、そのゆるしの中を生きているということです。一喜一憂するときに、神様の見ておられる視線を思い出しましょう。

そしてもうひとつ、私たちも、誰かに出会い、助け、神様を伝えるために、「派遣」されていることも忘れずに生活をしましょう。神様の祝福がありますように。 

 

 

キリスト教ワンポイント講座

 暑いですねぇ。日陰を作るとうごまの話は?

暑さ除けのためにもと、ゴーヤでグリーンカーテンができたら、ヨナと「とうごま」の日よけの話を思い出します。ちょっと思い出してみましょう。

ヨナは旧約聖書の列王記に出てくる預言者で、「ヨナ書」で詳しくその働きが伝えられています。悪に満ちたニネヴェの町へ行って、神の裁きを伝えるようにと命じられました。しかし、彼はそれが嫌で、反対方向の船に乗ります。すると嵐が来て大しけになり、「この船に神に逆らうものがいるに違いない」と人々はくじを引き、引き当ててしまったヨナは海に放り出されます。大きな魚に飲み込まれてしまい、三日三晩閉じ込められます。そこでヨナは悔い改めたところ、魚から吐き出されたところがニネベでした。神様に背いて反対方向の船に乗ったという予言者がいたというのに驚かされますが、魚に呑みこまれた話は、ピノキオの話にもあるエピソードのもとにもなっているといわれます。

さて、ニネヴェで神の裁きを大胆に伝えると、驚くことに人々は悔い改め、神様は滅ぼすことをやめられます。これで一緒に喜べばいいのですが、ヨナは自分の立場がなくなったとばかりに、へそを曲げてしまいます。そんなヨナを教え諭すような出来事が起こります。街を見下ろしていたヨナは暑さで死にそうになりますが、神様はとうごまの木を一日のうちに生え出でさせ、日陰でヨナを守ってあげます。ヨナは大喜びです。しかし、その翌日神様は木を枯れさせ、ヨナはまた猛暑の中に放り出されます。ヨナはまた怒り、神様に不平を言います。「もう死んだほうがましです」と。

そんなヨナに神様は言います。「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは12万あまりの、右左をわきまえない人々と、多くの家畜とのいるこの大きな町ニネヴェを、惜しまないでいられようか」と。

暑さの中、日陰で休むときに、人間の身勝手さと神様の惜しみない愛を思い出しましょう。でも、熱中症にならないよう、水分補給をして無理もされませんように。


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