2022年2月27日日曜日

週報と説教メッセージ 20220227

戦争が始まり、心の中の闇を見せつけられます。真っ黒な闇。今日の聖書は、イエスキリストが真っ白に輝いたという山上での出来事が読まれます。真っ黒と真っ白。ブラックアウトとホワイトアウト。いろいろいっしょに考えてみませんか?そして、平和な世界のために、一緒に祈りましょう。行動もしましょう。礼拝でお待ちしています。

聖書の言葉 ルカ9:28~43a (新123)より
9: 28この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。 29祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。 30見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。 31二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。 32ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。 33その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。 34ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。 35すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。 36その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

説教「真っ白になって/ White Out」徳弘浩隆師
1. ホワイトアウトという言葉
今年は寒い日や雪の積もった日が多かったですね。九州生まれで京都や東京、そしてブラジルで働いてきた私には、初めての本格的な積雪で珍しく楽しい面もありましたが、関ヶ原や垂井、大垣の皆さんにはもう、面倒なことでしかないかもしれません。家から車を出せずに、教会に集まれなくて大変だった日曜日もありました。お見舞い申し上げます。
そんな私も、先月母親の介護手続きで九州へ帰り、大阪・京都・滋賀を通って岐阜に車で帰り着こうという時、滋賀で予想外の大雪でコワい思いもしました。ニュースで見るほどではありませんが、高速道路の前方が降りしきる雪で見えにくくなったからです。その後も何度かの豪雪で、交通事故も多く、ニュースが注意を呼び掛けていたのは、「ホワイトアウト」という言葉でした。何かに驚いて「頭の中が真っ白になる」ということもありますが、これは目の前が真っ白になって、何も見えず、急に現れた前の自動車に衝突し、それが連続して起こるという事故もあり、気の毒な事でした。

2.聖書を学びましょう
今日の聖書は、イエス様が山に登って祈られていると、そのお姿が真っ白になったという出来事です。
「この話をしてから八日ほどたったとき」という書き出しですが、どんなシチュエーションだったか、少し前を読まねばなりません。
イエス様の宣教活動でたくさんの人が教えを聞き、弟子も訓練され、その民衆の心が集まっている噂にヘロデ王は心配になり、人々は奇跡を見、満たされ、弟子のペトロがついに「イエス様がキリスト・メシアである」と理解し告白した後でした。
ここで、イエス様の生涯は、大きな転機を迎えます。みんなが期待した「栄光の王様」ではなく、一番苦しい者と共に生き人々のために「裏切られ捨てられ死んでいく苦難の道」へと舵を切ることになっていくのです。
イエス様は3人の弟子だけを連れて山に登り、祈られます。「するとイエス様の顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」のです。そしてペトロ達弟子は、ユダヤ教で律法を代表するモーセと、預言者の代表ともいえるエリアがイエス様と一緒にいるのを見ました。
神の子でありながら、いつも貧しく虐げられている側の人々と共におられたイエス様ですが、この日は天に・神様に「近い」山に登り、ユダヤ教の聖書(いまの旧約聖書)の律法が実現し、預言が成就することを暗示する出来事が起こったのです。
これから向かっていく、イエス様の苦しみ、十字架の死は、予定外のことではなく、失敗でもなく、この方において神の律法が実現し、預言が成就していくことだと示されます。これが、不思議な方法でですが、私たちが悔い改めと赦しをいただく唯一の道なんだということを教えられます。
この日は、「変容主日」といわれ、イエス様のお姿が変わられた日だといわれますが、実は、これが本当の栄光に輝く罪のないイエス様のお姿であり、それを垣間見た瞬間ともいえるでしょう。この方に学び、従って生きていくなら、私たちの真っ黒な心の中や、失敗や涙にまみれた人生は、真っ白にされていくことも暗示しています。

3.振り返り
 私たちの人生はどうでしょうか?イエス様の真っ白なお姿を見て驚き、イエス様をメシアと理解し信仰を告白したばかりのペトロでしたが、彼の頭はそれこそ真っ白になり、理解できず、頓珍漢なことを言ってしまいます。「自分でも何を言っているのか、分からなかったのである」と聖書はその時のペトロの混乱ぶりや場違いな言葉を正直に伝えています。
 私たちは、どんな存在でしょうか? 悔い改めて、洗礼を受けて、聖書を学び、教会で奉仕もしても、依然としてまだ、「罪をゆるされた罪人」の集まりです。
 嫌なこともあり、失敗もし、罪深い日々と行ったり来たりすることもあります。傷つけてしまったり、傷ついて誰かを憎んだり疎んだりもします。
 私たちはどうしたら、イエス様のように、真っ白にしていただけるのでしょうか?心の中の闇を消し去ってもらえるのでしょうか?
 ホワイトアウトという言葉の反対は、ブラックアウトという言葉があります。停電して真っ暗になることもそうですが、書類などを真っ黒に塗ってしまうことも意味します。そういえば、政府がいやいや公開した重要書類が、真っ黒に塗りつぶされて、野党議員や被害者が「ほとんど真っ黒じゃないですか!」と批判する映像を見たことがあるでしょう。
 しかし実は、あれを私たちは笑うことができません。私たちも同じようにして生きているからです。心の中に、上から真っ黒に塗りつけて、見えないようにしてしまっている事柄がいくつあるでしょうか。神様から見たら、「表面は正しく一生懸命に生きているように見えるけれど、真っ黒に塗りつぶしているところばっかりじゃないかい?」と言える状態です。どうしたらいいでしょうか?

4. 勧め 
それは、聖書によると、「キリストの血によって洗ってもらう」しかないということです。
真っ黒に塗りつぶした心を、真っ赤な血で洗うとどうなるでしょう。もっとひどくなって何も見えなくなりそうですね。しかし、聖書はこういいます。
「だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って」いるけれど、彼らは「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」とヨハネの黙示録7章にあります。
キリストの苦難の十字架の血は、私たちが流すべき死に値する罪の代価でした。神様の目から見たら生きている価値がない、罪深いものでしたが、キリストの言葉を学び、悔い改めて、新しくされ、いっしょに生きていくことで、帳消しにしてもらい、日々、新たに作り変えてもらえるのです。
そんな、十字架を見つめる季節が始まります。四旬節は、自分の罪を見つめ、身代わりに苦しまれたイエス様を思い、悔い改め静かに生きる期間です。
今週水曜日の、灰の水曜日から始まります。憎しみ会い、殺し合いをTVで見せつけられる苦しい毎日ですが、平和の道具となれるよう、自分の罪を悔い改め、生きていきましょう。
神様は、私たちの罪を、ブラックアウトしてごまかすのではなく、イエス様の犠牲により、ホワイトアウトして、何も罪が見えないように生まれ変わることをしてくださいます。

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今日の一枚の写真
祈りと参加を
   
ルーテル世界連盟(LWF)は3月25日に「戦火の停止と国際法の尊重」を訴えた声明を出し、ウクライナの人々やそれを支援するメンバー教会のために募金を始めました。LWF事務局長Anne Burghardt牧師はソ連崩壊で独立を回復したエストニア共和国のエストニア福音ルーテル教会出身です。この募金に応えて日本のルーテル教会でも始まるでしょうが、まず個人的に少し寄付を送りました。参加する人数や地域の広がりも、大きな励ましになるでしょう。ウクライナのドイツ人・ルーテル教会や近隣のポーランド、スロバキア、ルーマニア、ハンガリーなどのルーテル教会が緊急キットや必需品、シェルターや基本医療品、宗教的・精神的サポートに着手し、平和実現のための交渉活動などにも取り組んでいます。対話と支援、そして平和実現を祈りたいと思います。


 

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