2021年9月25日土曜日

週報・説教メッセージ 20210926





 今週の聖書の言葉 マルコ9:38~50 (新80)

9: 38ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」 39イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。 40わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。 41はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」

42「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。 43もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。 44† 45もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。 46† 47もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。 48地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。 49人は皆、火で塩味を付けられる。 50塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」


説教「逆らわない者は味方?」徳弘師

1. 敵か味方か?

ブラジルの教会でバザーを年二回していましたが、こんなことがありました。どこの県人会もイベントやバザーでは焼きそばが定番でした。食材も入手しやすくて、比較的簡単にできるし、懐かしくておいしいし、外国人にも人気でした。しかし「もっと、たくさんの日本人や日系人の人に集まってもらい、喜んでもらいたい。教会にたくさん人が来てくれて、バザーの売り上げも上がれば、もっといろんな設備をそろえて、もっといい教会にできるのに」と思い、あれこれ考えました。いろいろなイベントや日系レストランに行ってもなかなかないもの、あっても「おいしくないもの」を妻と二人で食べ歩きました。

海外最大の日本祭りで、3日間で20万人の来場者が毎年あるサンパウロ日本祭りで各県人会が思い思いの郷土料理を出店しますが、お好み焼きは1時間以上並ばないと買えない人気でした。ウチでもやってみようと色々食べ比べて研究し、業務用ガスの鉄板を買い、何度も試作しました。新聞に載せてもらうと、遠くの街からも食べにやってきてくれて、大好評でした。

気をよくしてもっと人気商品をと思い、次はコロッケです。日本の調理済み冷凍コロッケを思い出しましたが売っていませんし、あっても輸入物のとても高価なものが一軒のお店にあるだけでした。そこで、材料にもこだわり、ホクホクのコロッケを作り、買ってきた専用冷凍庫で冷凍し、ビニールパックに入れて封をし販売しました。買って帰って電子レンジやオーブンかフライパンで温めるだけで美味しく食べれると好評で大人気になりました。年末のプレゼントにするので30-40袋ほしいと注文も何度も入りました。一日かけて妻とコロッケを200-300個、何度も作りました。バザー収益も増えて、施設に寄付もしましたが懸案の音響設備や中庭の会食用テーブルと椅子のセットなど、次々に整備できてみんなで喜びました。しかし翌年のサンパウロ日本祭りに行くと、教会の近所のある県人会がコロッケを売り始めて、行列になっていました。列に並んでいくつも買って食べ比べてみました。結構おいしくできていると、落ち着かないものでした。

なんだか、うちの人気商品をマネをされているようで複雑な気持ちでした。しかしよく考えれば、うちのもう一つの人気商品のお好み焼きは日本祭りで見つけた他所の真似をしているのにです。「うちのコロッケは調理済みを冷凍パックしているのでそこが違うんだ」と自分に言い聞かせてみたりしながら、人間の勝手さを思い知らされました。しかし、そのあとは、他所が真似ができないものもと思い、昔から好きだったスペインのパエリャを始めました。レストランにもなかなか置いてないようなスペイン製の業務用の大きなパエリャ鍋とコンロを買ってきて、これも大好評。しかも、これなら他所にまねされず独走していました。

2.聖書を学びましょう

今日の聖書は、イエス様の弟子たちが自分たちの真似をしたり、イエス様の名前を使って「活躍」しているように見える他人のことを見て、イエス様に「言いつけて」いるところです。

先週は、イエス様にしたがってきた弟子達は、旅をして歩いている最中に、「自分たちの中でだれが一番か」ということを話し合っていて、イエス様にとがめられたことが載っていましたが、今度は、自分たち以外の人たちとの関係が気になっているようです。

イエス様のこたえは、意外なものでした。勝手に自分の名前を使っている人をやめさせようとはされませんでした。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と言われたのです。

聖書においては、「神のみ名」は神の働きを代行するものとして考えられ、ソロモンが主の御名のために建てた神殿に、神はその名を置くと言われました(列王上9:3)。同じような感覚が主イエス様の御名についてもあったと考えられます。正当な弟子としてついて来ようとしなくても、「み名を唱える」ことによって主に信頼しているのなら、味方だと言われたのです。人間の知恵や力によらず、神様の力や働きの独自性を考えさせられます。「神様に信頼していること」が大切なのです。そして、それをやめさせることはないということです。

その後、「私を信じるこれらの小さなものの一人をつまずかせ」てはならないと、いくつかのたとえと「塩」の話をされながら、続けて教えられました。

3.振り返り

弟子グループの中での互いの競争、その次は自分たちと他のグループの競争、そんなことにばかり気を取られる弟子たちを、私たちは笑えません。私たちの人生でも似たことが時々あるからです。「せっかくうまくやっている自分たちの真似をしている人たちがいる」「この人は一体、自分の味方なんだろうか、敵なんだろうか?」「やめさせなければならない」と思うこともあります。敵というほど深刻ではなくても、自分の味方だと思っていた人が、そうではないと思えるとき、ふと、寂しくなったり、不安になったりするものです。

4. 勧め 

形はどうであれ、神様に信頼している人たちを、やめさせてはならない。彼らは敵ではなく、味方なのだとも。しかしイエス様の教えはそこで終わりません。私たちは、敵は打ち負かして、滅ぼしてしまいたい、排除するか、屈服させたいものです。しかし、その「敵を愛せ」とイエス様は言われました。その言葉通りの十字架の死で、神様の愛を示されました。それを知る時に、私たちは謙虚に悔い改めさせられ、心が変えられていきます。そんなゆるしと安心の救いの道を開いてくださったのです。どうぞ、ご一緒してください。


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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説

「モーセの願い」

聖霊降臨後第18主日の福音書の日課はマルコ福音書9章38~50節で無名の祓魔師(ふつまし・エクソシスト)と呼ばれている所で、弟子たちではなくともイエスさまの業をする者がいて、皆味方だという教え。逆に自分たちこそつまずきにならないように内に塩を持ち、その塩が潮解してダメにならないようにとの注意です。

この日の第一日課は民数記11章4~29節で、所々抜けています。マナに飽きてしまった民がモーセに文句を言った時、モーセが切れて「これ以上この民を導けない」と神に訴えます。それで神はモーセと共に民を導く長老たちを任命し、モーセの負担軽減を図ります。実はモーセの妻の父のミディアン人が天幕を訪れてきた時、モーセに同じ提案を行う記事が別にあります。ヤハウェ資料と祭司資料の違いと考えられます。ただここだけ、神が長老たちを任命し霊を授けた時、長老たちがトランス状態となり、ヨシュアが「やめさせて下さい」とモーセに言ったのですが、モーセは「民の全員が預言することを願っている」と言いました。ルターのまた教会の願いでもあります。シャローム!(三木久人)


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牧師コラム 今週の一枚の写真

「空の鳥、野の花をみよ」マタイ6.26-28

日本語教室の外国人メンバーの希望もあり浴衣体験をしました。
せっかくの3年日本滞在ですが、コロナで連休でも旅行に行けない2年が過ぎましたから。数に限りもありこの日はインドネシアとヴェトナムメンバ。大垣教会員さんからゆかたセットをお借りし、岐阜教会員さんが着付けの講師。皆さんの助けを借りて実現しました。折鶴と彼岸花とともに撮影し、河原町や岐阜公園でも男性ヴェトナムメンバーのカメラで撮影会。神様は、備え、彩を添え、養ってくださいますね。感謝。

(徳弘牧師)



 


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