2021年9月19日日曜日

週報・説教メッセージ 20210919

 



聖書の言葉  

マルコ9:30~37 (新79)

9: 30一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 31それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。 32弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。

33一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 34彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 35イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。

「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 

36そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。 37「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」


説教「金メダルが欲しいなら」徳弘師

1. オリンピック、パラリンピック…

ドキドキ・ハラハラしながら応援したパラリンピックも終わりました。私も新しい世界に目が開け、いろいろと教えられ、考えさせられ、そして元気をもいました。私たちの教会メンバーが活躍し、自分のことのように喜んだと思います。先週のニュースでは、岐阜県知事から県民栄誉賞をいただいたとのことでした。今回は金メダルは取れませんでしたが、最後まで接戦し銀メダル。フランスへの夢も語っておられました。

金メダルや銀メダルを取るには、一生懸命な努力が大切だろうと思っていました。そんな彼らの努力や格闘を見せてもらいました。

しかし、今日の聖書は「おかしな」ことを言っています。「一番先になりたいものは、すべての人の後になりなさい」とイエス様は教えられたのです。盛り上がったオリンピックやパラリンピックを見た後にこの言葉を聞くと、まったく常識外れの、妙な教えに聞こえるでしょう。

 努力以外に何が必要でしょう。そういえば、体格や体力、才能があるでしょう。私は子供のころからスポーツや音楽はあまり得意ではなかったので、彼らを尊敬しますが、「ひがみ根性」もあり、何か他人事のようであり、あまり熱狂できないでいました。

 ほかには、知恵や戦略もあるでしょう。外国人に日本語や日本文化を教えていてるときに必ず出るのが「干支」の話です。中国起源ですが日本文化を知ったり、自己紹介して人と仲良くなる時にも欠かせないものです。いろんないわれがありますが、面白いことではこういうポイントがあります。1)年の初めに神様に挨拶に行く競争があったという設定です。2)牛は足が遅いのでみんなより早く出ました。「一番になりたいものは一番早く出る」という作戦です。3)ネズミはずる賢く知恵を使いました。その牛の上にちゃっかり載って、ゴール直前に飛び降りて一着の座を奪ったのです。4)イタチは足が速いので牛とネズミの後に着いたけれど、どんどんやって来る皆を見て「まだ大丈夫、12番以内に入れそうだから自分は後にしよう」と思って道を譲ってあげていると、寝坊してすごい勢いで走ってきたイノシシがゴール。なんと、自分の出番はなくなってしまったのです。5)もうひとり失格したのは猫。神様のおふれを聞くときにいなかったのでネズミに尋ねたのですが、「競争相手は一人でも少ない方がいい」と思ったネズミに「競争は1月2日だよ」とだまされて間に合いませんでした。以来、ネズミは猫に追い掛け回されるようになったとか…。

 面白いお話ですが、教訓はこんなことでしょう。一番になるには人より早くでる。勝ちそうな人を利用する。だまして競争相手を減らす。人に譲ってあげているうちに自分が入賞できなくなってしまうので、人の後になってはいけない、ということです。

2.聖書を学びましょう

こういうふうに、オリンピックやパラリンピックを見て、昔話の面白い教訓を聞いてみると、やはり、今日の聖書の言葉はまったく「常識外れ」です。イエス様は何が言いたかったのでしょうか。

先週から聖書を読んで学んでいることを復習しながら今日の言葉をもう一度聞く必要があります。神様が世界の苦しみや問題を解決し、人々が本当に平和に安心していきていく世界を創るためにされたことは、この世のやり方とは全く違った方法をとるということでした。世界の歴史や今の問題も、力やお金や、脅しや罰や、そんなもので人々や社会、国を治めて支配しようとします。しかし本当に神の国を実現するためには、「神も人も信じられず、自己中心で自分だけが良ければいい」という人間の根本的な「罪」の心から解放されなければならない。それは、脅しや力での支配ではなくて、ゆるしと愛でなければならないのです。そのために、救世主として来られたイエスキリストは、王として君臨して人や国を支配することではなく、逆に裏切られ十字架で殺される中でも人を赦し愛していたという事実が、人を本当の回心に導くという方法でした。それがなければ一時的な立派な国が出来ても長続きしません。世界を変えるには、人が一人一人、本当の愛のある人間にかわらなければ、何も変わらないのです。そんな話をし、ペトロを叱りもした後、旅の途中で弟子たちが話をしていたのは、「自分たちの中でだれが一番偉いか」という話題だったのです。やはり、人間にはイエス様のなさる、自己犠牲になりながら本当の神の愛を示すということが分かっていませんでした。誰が一番偉いかと、心の奥底では競い合っていたのです。

3.振り返り

私たちは大丈夫でしょうか?一番になるために、人より先に出た牛は賢明かもしれませんが、猫をだまし、牛の上に乗ったネズミは一番をかすめ取りました。人に譲って自分は最後でいいと思ったイタチは番外になってしまいました。私たちは、このような姿や、その教訓で生きているかもしれません。その、人間の心の奥の、自分が認められたい、自分が上に立ちたい、状況次第ではうそをついてでも、力で押さえつけてでもという心が、私たちにもないでしょうか。あるいは、認められない、誤解されたという時に相手や環境を呪ったり、ゆるせなかったりすることがないでしょうか。

4. 勧め 

その罪深さを、気づかせるために、イエス様は自分の命を投げ出して、人々の競争やだまし合いや、妬みや嫉妬の餌食になることを通して、罪びとたちに自責の念と後悔を、そして改心へと促していかれたのです。それが神の愛の現れである十字架です。鍛錬をして一番になることも、夢を実現することもと尊いことですが、それだけではない、本当の夢や希望や愛を知り、それを達成する、それを伝えることも尊いことです。

キリストのように、人を愛し、人を赦し、人に希望と元気を与える、そんな生き方にも目覚めていきましょう。金メダルもとれるよう応援します。そして、その首には、人を赦し愛した「もう一つのメダルともいえる十字架」を下げて、そのように生きていきたいものですね。そのとき、私たちの人生と、社会は変わっていくのです。

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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説

「身の回りの悪企み」

聖霊降臨後第17主日の福音書の日課はマルコ9章30~37節です。イエスさまの2回目の受難予告ですが、みことばの書き方としては2度目の予告をある時した、というよりも歩き回っている間中、機会を見つけては十字架と復活を語り続けていたというものです。これに対応する第一日課はエレミヤ11章18~20節です。エレミヤはもともとアナトトの祭司でしたが、預言者として召され国王と対決するようになりました。支持者も多く、戦士もいたり、中には宮中にいて内情をスパイする者もいました。しかし逆に王のスパイもいましたし、エレミヤに対して悪を企てる勢力もありました。しかしエレミヤはどんな悪企みがあったとしても全てを主に任せ、主に信頼し、服従しました。しかし最後はエジプトに連れて行かれ、そこで死んだそうです。それも支持者たちによる暴走でした。マタイ福音書ではイエスさまはヘロデの刃を逃れてエジプトに行き、人知れずガリラヤに戻って来ました。それはエレミヤの道と考えられます。シャローム!(三木久人)

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牧師コラム クラスター!?
今日の一句
「クラスター これなら歓迎 彼岸花」
  彼岸花の別名の一つはcluster amaryllis(クラスターアマリリス)だそうです。火曜日の聖書と英語を学ぶ会でみんなでおしゃべりしながら調べて学んだこと。彼岸花の別名には、英語のhurricane lily(ハリケーンリリー)、cluster amaryllis(クラスターアマリリス)、spider lily(スパイダーリリー)もあるそうです。学名のラテン語ではLycoris radiata(放射状のリコリス)。
「クラスター」という言葉は、コロナ禍で悪いイメージで聞きなれてしまいましたが、「房(ふさ)、群れ、集団」という意味なので、彼岸花の咲き方を見るとうなずけますし、これなら歓迎ですね。(徳弘牧師)



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